長い日曜日(二十四)
二人は再び文房具屋さんの前にいた。
「所で、小野寺先輩は、何処に行きたかったんですか?」
「ここー」
真治が指さしたのは、文房具屋さんの隣にある楽器店だった。
香澄は入り口にあるピアノを人差し指で、ポンポンとつついて音を出してみたが、真治に引っ張られて店の奥に来ていた。
真治がショーケースを覗き込む。
「何が欲しかったんですか?」「メトロノームの小さい奴」
二人でキョロキョロして、メトロノームを探す。
すると、一番の隅っこに、赤、青、黄、黒、白と、五色ラインナップで、トランプケース位のメトロノームを見つけた。
「こんなに小さいのが、あるんですねぇ」
「うん。部活で使っている人を見て、良いなぁって思って」
「でも、大きいのなら学校に、一杯ありますよね?」
香澄の疑問はもっともだ。お小遣いは有効に使いましょう。
「トランペットの楽器ケースに入る感じで、かわいいでしょ」
どうやら『持ち運び用特化』のようだ。香澄もそれは認める。
「それにね、『ねじを巻いてから止まるまでロングトーンを練習する』のに、良いかなぁって、思ってさっ」
「何で、ロングトーン用なんですか?」
香澄の疑問はもっともだ。そんな特殊用途のメトロノームがあるはずがない。すると真治は、口を尖らせた。
「小さいと、ねじを巻いて止まるまでの時間が、短いからだよ」
理由を言うだけ言って、にっと笑う。香澄は笑い出した。
「えー。動機が不純です!」
それでも値段を見ると、そんなに高くない。買えなくもない感じ。
「お揃いにします?」
香澄が聞く。真治は香澄を見て少し考えた。その間に香澄は、自分が赤、真治が青を買うと、想像していた。
「二人で一緒に練習するんだったら、一つで良いんじゃない?」
「あ、それもそうですねっ」
香澄の頭の中から、赤いメトロノームが消えた。
「今日は、見るだけだからー」
笑いながらの答えで、どうやら青いメトロノームも消える。
二人は続いて楽譜売り場にやって来た。すると真治が、ひょいひょいと適当に楽譜を引っ張り出しながら香澄に聞く。
「ピアノで、どんな曲を練習しているの?」
『そう言えば、久し振りにピアノの話題』と思った。
香澄は真治が楽しそうに楽譜をひょいひょいしているのを見て、紙袋を右手首に引っかけると、自分も両手でひょいひょいし始める。
「これですねっ」
しばらくひょいひょいして、香澄が引き当てて、真治に見せる。
「へー。結構難しいの練習しているんだね」
「でも、大分弾けるようになりましたよっ」「それはすごいねぇ」
香澄は少々照れた。すると真治から再び聞かれる。
「次はどんなのやるの?」
「えっとですね、ショパンのバラ三、バラ三」
香澄が張り切って、またひょいひょいし始めた。
「これですね!」
香澄が楽譜を見つけた。そして真治に渡す。受け取った真治は、楽譜をそっと開いて、中を見た。
どう見ても、自分には弾けそうにない。ショパンだもんなぁ。
「あれまぁ、大変そう。これ、買っちゃう?」
真治は香澄に聞いてみた。すると香澄はポカンとしている。
「え? でも、お母さんが持っているから?」
わざわざ買うこともないだろう、という感じで香澄が返事をした。
お小遣いでピアノの楽譜を買うなんて、考えたこともなかった。
「でもお母さんのは、『お母さんの思い出』が、詰まっているかもしれないじゃん?」「思い出って!」
真治の言葉に、香澄はちょっとおかしくて、プッと笑った。
「曲の解釈って時代と共に変わるから、『同じ所に同じ印』ってことは、ないでしょ」「そうですかねぇ?」
確かに楽譜には赤ペンで、どんどん書き込みがされて行く。前に母から貰った楽譜にも、そういうものがある。
「んーでも『原本』の、コピーを取れば良いんじゃないですか?」
「なる程! 賢いねぇ」
真治は納得して、直ぐに笑い出した。
一方の香澄は当たり前過ぎて、『何をしに来たんだか』という思いが廻った。
「じゃぁ、ケーキ買って帰ろっか」「はいっ!」
そんな思いは『甘いもの』を前にした途端、瞬時に霧散する。




