長い日曜日(二十三)
文房具店を出ると、もう十四時を回っていた。
「あとお互いに行きたい店、一軒づつ見て帰ろうか」
「もうそんな時間ですか?」
驚いた香澄は、差し出された真治の腕時計を覗き込んだ。
香澄の中で伝説になっている『雨の帰り道』。今から思えばそれは、たった十五分足らずの出来事だった。
それを思えば、今日はもう三時間以上、経過しているではないか。
「ねっ」「判りました。じゃぁ、五階の婦人服見ても良いですか?」
少なくとも『おやつ』までは一緒にいられる。そう思えば、あと『伝説四回分』も楽しめるのだ。香澄は再び笑顔になった。
「良いよぉ。エスカレータあっちだね」
真治も笑顔になって指さすと、香澄を連れて歩き始める。
エスカレータで五階に移動すると、香澄は数あるテナントの中から一店を選び、真治を引き連れて入店する。
そのとき、振り返った香澄と目が合った。
「それ、持とうか?」「お願いします!」
紙袋を指さして真治が言うと、香澄は喜んで渡した。
そして直ぐに、目に付いた中から一着のワンピースを選び、自分に重ねる。真治は、また香澄と目が合った。
「どうですか?」「かわいいよ」
香澄はにっこりと微笑んで、鏡の前まで真治を引っ張って行き、もう一度自分に重ねた。すると真治も、横から鏡を覗き込んだ。
香澄はワンピースを持ったまま、体を左右に振っている。
「ちょっと大人っぽいですかね?」
「そんなことないよ。似合ってるよ」
二人は鏡越しに見つめ合って、そのまま頷いた。
香澄は真治の手を離すと、襟元から垂れ下がった値札を引っ張り出し、くるくると回して値札を探す。
「一万八千円ですって!」
目を丸くした後に、口を尖がらせながら目を瞑った。どうやら予算が足りないようだ。
ちらっと香澄に見つめられて、真治は笑った。
「お高いですなぁ」
デパートだし良い物だ。似合っていても買えない物はある。香澄は頷いて鏡の前から離れた。
元あった場所に真治が片手を差し込んで間を広げると、そこに香澄がワンピースを戻した。買って貰うのは、まだ『夢』だ。
「じゃぁ、次、行きましょうかっ」「あれ、もう良いの?」
それは『次の服』ではなく『次の店』だったようだ。香澄の決意は固いのか、驚く真治の手を取ると、引っ張りながら店を出た。
「一度、男の人と、やってみたかったんです」「そうなのぉ?」
首を竦め、とても恥ずかしそうに笑う香澄を見て、真治もつられて笑った。何が夢か希望か、世の中判らぬものである。
「小野寺先輩は、女の人が服を選ぶのって退屈じゃないんですか?」
上目遣いの香澄が『変な質問』をしてきたので、真治は即答する。
「全然。退屈ではないよ」「そうなんですか?」
さも当然のように真治は答えたのだが、香澄にはそれが、どうやら信じられなかったようだ。首を捻っている。
「え、なんで? 何? 遠慮してたの? 戻る?」
ピタッと止まった真治を、香澄は驚いて引っ張って行く。
「良いです良いです。だって、男の人って、女の人が買い物をしているお店の外で、よく待っていません?」
「あー、そうねぇ」「だからです」
真治もデパートに買い物に来て、そういうのを見たことはある。
「なるほどねぇ。でもねぇ。折角なのにねぇ」
二人は話の途中で、下りエスカレータに乗った。一段違いにエスカレータに乗ると、二人の顔は段々近くなって行く。真治が答えを考えている間、香澄はすぐ横の真治の顔を見つめていた。
「だって、選んでるのって、デート服なんでしょ? 『この服だったらどこ連れて行こうかな』とか、『どんなお店が似合うかな』とか、考えるでしょー」
答えを選んだつもりだが、香澄からの返事がない。エスカレータを乗り継いで、さらに下へ向かう間も無言だ。
「じゃぁ、一杯買ったら、一杯どこかへ、連れて行って貰えるって、ことですか?」
つないだ腕をぶるんぶるんさせて、香澄が真剣に聞いて来た。
しかし真治は、流石に笑うしかない。
「いやいや、中学生だし、そんなに一杯、買えないでしょぉ」
「ダメですかぁ」
香澄のぶるんぶるんが止まった。真治は笑顔のままだ。
「お出かけする度にお洋服変えてたら、お小遣い、直ぐに無くなっちゃうでしょ?」
「でもでもー、毎回同じ服って、訳には行かないしぃー」
「そうなの?」
真治は驚き、香澄の方を見て聞いた。真治の家族で、そんなお洒落さんはいない。
エスカレータは下がり続ける。香澄のテンションも、下がり続けていた。そして、口をへの字にすると、悲しそうに答える。
「女の子同士で出かける時は、そうです」
「へー。そんなもんですかねぇ」「そういうものです!」
香澄に強く言われて、真治は『そういうもの』として納得する。しかし頷いたものの、笑顔で香澄に答える。
「でも、他に女の子がいなくて、私とだけで出かけるんだったら、毎週同じだって良いよ?」
「え、毎週ですか?」
「うん。だってお気に入りのかわいい服を着て来てくれるんでしょ? 何度だって見たいでしょー」
「ホントですか?」
答える度に表情が明るくなり、声のトーンが上がって行く。真治はさっきから、同じ笑顔のままだ。
「その服だってかっわいいよー。また見たいし、着てくれる?」
「はい! これ凄く気に入っているんです!」
香澄は元気よく答えた。エスカレータが下の階に近付くにつれて腕が組み易くなるや、真治の右手を包み込むように左手で囲い込んだ。そして絶対に離れないようにと、真治の肩に頭をくっつけた。
『夢なら覚めないで欲しい』
咄嗟に、そう願った。




