表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/272

長い日曜日(十七)

 何かに怯える表情をしていた香澄に、笑顔が戻った。

 真治はそんな香澄の笑顔に惹かれつつも、本当に、安堵した。


 ほんの数秒前、香澄の表情から笑顔が消え、目が閉じられた。


 その瞬間、息が詰まる程の緊張感を覚えた。

 そして全身から、一流の者だけが纏うオーラが立ち昇り、見開いた目からは、殺気にも似た『気迫』が感じられた。


 それは、明るくなったステージ上で、一曲目の一音目を出す、あの時の緊張感そのものだ。


 しかしそこに、違和感も感じていた。

 香澄はクラリネットで、まだステージに立ったことがない。それに、合奏する場合、指揮者を凝視するので、目を瞑ることはない。


 真治は直ぐにピンと来た。ピアノだ。

 しかもこれは、協奏曲ではなく、大ホールでのピアノソロだ。


 大観衆が見守るべき『価値あるステージ』に、贅沢にも自分一人。

 香澄はその秘めた実力を、全力で自分だけにぶつけて来る。それを自分は、しっかりと受け止めるのだ。


 やがて、高々とあげられた右手。そして添えられた左手が、ホール全体に、荘厳なる旋律を響かせ始める。


 真治は、一瞬で香澄の演奏に魅入られた。


 それはある程度『予測されていたもの』なのか、それとも『予期していたもの』なのか、あるいは『期待していたもの』なのか。

 そんな、まるで人を『評価』でもするような邪心は、香澄の演奏の前には無力。

 この心地良さは、筆舌に尽くし難し。


 そう。香澄は今、和食でピアノを弾いているのだ。

 自分一人の為に作られた特別な一曲を、だ。

 それは優雅で美しく、そして艶やかに。


 真治は、いつも時間を気にしている。しかも、それだけではない。

 周りを観察し行動の先を考える。緊張感を保ち続け、如何なる事態に遭遇しようとも、冷静であることを常とする。

 そもそも『実際に時計を見る』のは、正解だと確認する行為だ。外したことはない。


 しかし、香澄を眺めていると、頭の中で『コチコチ』と鳴り続ける音が、段々と静かになって行く。

 いつになくゆったりと流れて行く、このひとときを、真治は、香澄との時間を楽しんでいた。


 だから『どうしてこうなった』とか、そんな理由も、『今まで、何していたんだろう』とか、そんな後悔も、消えて行く。


 とにかく今は、もう、そんな『些事』はどうでも良くて、残ったのは、ただ会話を楽しみ、ただ笑顔で見つめ合う。それだけだ。


 それが、心地良かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ