表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/272

雨の帰り道(五)

 人数の割に狭い音楽室で演奏する時、全員分の譜面台を設置する余裕はない。一人しかいないオーボエとかでなければ、同じパートの奏者と共有するのが普通だ。


 それは香澄も、例外ではなかった。例え自分だけが『アー菅』であったとしてもだ。

 だから、香澄の楽器用の音階になっていない楽譜を、『頭で転調しながら演奏』を、していることになる。どの曲も、ずっとだ。


 真治は違和感の理由が判った。納得だ。沢山練習していたのだ。

 見た目『普通に演奏している』ように見えたのは、裏側でそんな苦労があったからなのだ。凄いではないか。


 真治は、ふと不思議に思った。

 何故、香澄が合奏の時は『譜面台を共有している』ということを知っているのだろうか?


 指揮者から見て、クラリネットは中央から左側一帯。前列からファースト、セカンド、サードと並んでいる。

 一年の香澄は、中学からクラリネットを始めた初心者で、どの曲もサード。席は一番後ろだ。


 一方のトランペットは、指揮者から見て正面奥の方。右からファースト、セカンド、サードと並んでいる。

 小学生から『プースカ』していた真治は、どの曲もファーストで一番右に陣取っている。まぁ、定位置だ。


 二人の席は『音楽室の対角線に近い場所』ということになる。申し訳ないけど、正直見ている余裕もないし、見えやしない。

 全体練習が終わって人が少なくなるか、そうねぇ。ソロのときなら立ち上がるから、見えるかもしれない。見る訳ないが。


 三年生は『コンクール用の曲』を練習していたが、それ以外の一、二年生は『三曲の練習曲』が与えられていた。

 その中で香澄は二曲目が好きだった。


 二曲目の百八十小節目が『秘密のロングトーン』である。

 通常クラリネットは両手で演奏するが、この時だけ左手のみでロングトーンを演奏する。

 その時を見計らって、体を捻りながら右手を伸ばして譜面のページを捲るのだ。


 香澄はクラリネット最奥壁際、スネアドラムの前で演奏していたが、その時だけ、指揮者を横目に見ることになる。

 視線の先にはクラリネットの横顔が並び、その先は休符で楽器を降ろしたホルンが見える。


 そして、その先、ホルンが休符で楽器を降ろしているからこそ、隙間から真治が見えた。

 トランペットは右手で演奏する。だから左手でページを捲るため、体を右に捻り左手を伸ばす。自然と右を向く。

 譜面を捲るその瞬間だけ、真治と香澄は向き合って、目が合う。

 いや、そんな気がしているだけかもしれないが。

 いやいやいやいや、違う違う違う。気のせいだ。


「そう言えば、今日、リードミスしてたでしょ」

「え、何でバレたんですか?」

 香澄は飛び上がらんばかりに驚いて、思わず聞き返す。


 リードミスとは、クラリネットを演奏中に思いがけず『ピッ』と高音を出してしまうミスのことだ。

 これをやってしまうと、結構恥ずかしい。


 しかし、クラリネット初心者の集まりで、この時期、まぁ、演奏毎に『誰かやらかす』のは普通だし、知らぬ顔をしていれば、誰がやらかしたなんて、判る筈もないのだ。

 それが判ったなんて。しかも『真治が』である。


「あれ? 何で判ったんだろうね。あれ?」

 香澄に問われたが、真治には『理由』が思い当たらない。不思議に思って、笑いながら首をかしげた。

 一方の香澄は下を向いて、口をもごもごするばかりだ。真治からは見えていないが、顔も耳も赤くしていた。


 今日は『秘密のロングトーン』の時、右肘が譜面台に当たって驚き、リードミスをした。確かに『その時』だけなのに。

 だから今日は『真治と目が合わなかった』のだ。

 何か、残念に思ったのも、良く覚えている。


 それが、それでも、『真治が香澄を見つめていた』で、あろうことは、理解できた。

 それはもう、日本語では何とも言い難い恥ずかしさと、形容し難い嬉しさだ。ただ心音だけがどんどん大きくなり、雨音を超えて行く。そして、遂に『フォルテシモ』になった。


 もう、呼吸の、仕方が、判らない、では、ない、かっ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ