長い日曜日(十五)
真治と一緒に食事をしたのは、屋上でお弁当を食べた時だけだ。その時は、何も感じなかった。
真治は割り箸を口で割っていたし、ピクニックシートの上にあぐらをかいて座っていたし。
ただ、目の前の『今日の真治』は違っている。
食事の所作が、とても奇麗なのだ。
さっきまで楽しく話していた真治の声も、耳に入らなくなってしまっていた。それでも多分、相槌で頷いてはいただろう。
真治は両手に持ったみそ汁椀を置くと、右手で箸を上からそっと掴み、真っすぐに持ち上げて、下から左手を添えて持ち直す。
それを受けて、右手を離して下から持ち直すと、見覚えのある箸の持ち方になった。
そのまま、ふろふき大根をそっとカットして口に運ぶと、もぐもぐして飲み込んだ後『美味しいね』と香澄に言った。
すると今度は、左手で箸の先を支えると右手を一度離して、上から掴み直す。直ぐに左手を離すと、箸置きにそっと置く。
箸が元の位置に戻ると、今度は両手でごはん碗を持ち『あ、ちゃんと季節の瀬戸物だ』と言った。
右手をごはん碗から離して箸を上から持ち上げると、ごはん碗の下に持って行き、左手の小指を使って支える。
その隙に右手を離して箸の下から支えると、また香澄の見覚えのある箸の持ち方となった。
ごはんをパクンパクンと二回食べ、もぐもぐして飲み込むと『もっちりしていて美味しいよ』と言いながら、また箸の先をごはん碗を持つ、左手の下に持って行く。
左の小指で支えると、右手を離して上から持ち直し、そっと箸置きに置いた。
右手を箸から離すとごはん碗に添え、両手でお盆上に置く。
そして、またみそ汁椀を両手でそっと持ち上げると一口飲み、今度はフェイントか、箸を使わずにそのままみそ汁椀をお盆に置いた。
香澄はその様子を、茶碗蒸しを食べながらじっと観察していた。
これが、真治が好きな『お上品』に違いないということは、帰国子女の香澄にも、直ぐに判った。
真治の所作はとても自然で無音。それに、嫌みっぽいものでもなく、流れるように速かった。まるで『カップ手品』のようだ。
日本に帰って来てから母に教わったのは『箸の持ち方』だけだったのだ。いや、時々『ダメダメ』言われたこともあったが、今は何も思い出せない。
箸を使えない香澄は、小学校でクラスメイトにからかわれた。
それに、よりによって『箸の日』なんてのがあり、その日は真衣と二人で給食を食べ、ずっとフォークを使っていた。
今日は洋食にすれば良かったと、思った瞬間だった。
『普段の食事で、箸置きが出て来るような、そんな生活が憧れです』
真治の言葉が、小心に突き刺さる。
これでは、洋食に逃げても無駄だ。
この所作を覚えないと、真治と『憧れの生活』を送ることができないばかりか『下品な女』として、永久に登録されてしまう。
恐らく。いや、絶対にだ。
そしてその後は『それなりの扱い』が待っている。
怖い。怖過ぎる。凄く優しい人だと、その反動が怖い。
香澄の『箸の所作』を真治が見た瞬間、態度がコロッと変わってしまうのではないかと恐れた。
それに、クラスメイトがわらわらと席に集まって来ると、何やら色々言われて、凄く怖かったのを思い出す。
そんなの嫌だっ!
まだ真治と楽しく会話をしたいし、手だってつなぎたい。
嫌われるのだけは、それだけは嫌だっ!
まったく味のしない茶碗蒸しは、残り一口になっていた。
仕方なく生唾を飲んで、時間稼ぎをする。
真治の手は、相変わらず『カップ手品』のように動いている。それを見ながら、ゆっくりと茶碗蒸し最後の一口を食べた。
何か、今までと違うプニプニとした触感の丸いもの。何だ? ちょっとした苦みを感じて、香澄は我に返った。
「銀杏、最後に取っとく派ぁ?」「はぃ。美味しかったでs」
溢れる笑顔から飛び出した真治の問いに、香澄は何とか答えた。




