長い日曜日(十)
「かわいいー」
最初は真治の手を握ったままの香澄であったが、気分が盛り上がって来たのか、その手を離し、両手で猫雑貨を手に取り始めた。
「猫好きなの?」「はい」
「猫飼ってるの?」「いいえ。これ、かわいいけど何ですか?」
それは和風のぐるぐるをあしらった『招き猫形態の箸置き』だった。実在しない柄の、猫であるが。
「ぐるぐる猫の箸置きだね」「ぐるぐる猫って言うんですね」
香澄は騙されやすい性格なのかも知れない。かわいいではないか。
「中も見て良いですか?」「良いよー」
これが客寄せの見本である。
店頭に安くて目を引く商品を置いておき、客を店内に引き込む。そして、店の奥に行く程値段が高くなり、最終的には『二百万円の座卓』に辿り着くのだ。
香澄は再び真治の手を取り、先陣を切って店内に入って行く。
店内には塗の箸、急須、茶碗等の食器から、扇子、手ぬぐい等の生活雑貨まで、和のものが取り揃えてある。
真治は、ちらっとかんざしを眺めた。
思い起こせば、小石川家は『洋風』であったことから、和風雑貨は珍しかったのかもしれない。そんな風に真治は思った。
「こういうの、憧れますか?」
香澄が真治の方を見て指さしたのは、夫婦茶碗であった。
にっこり笑って、真治が答える。
「割れた時に、泣き叫んだりしなければ、使っても良いと思うよ」
そう言うと香澄は目を見開いて、もう一度夫婦茶碗を見た。
そして『割ってしまった時』を想像すると、想像上の自分が頭を掻きむしった後に、両手を広げて大きな叫び声をあげる。
「考えます」
そう言って、香澄は次の商品に目移りして行った。
夫婦茶碗は『割れたら怖い』と思ったからなのか、今度は『夫婦箸』をキラキラとした目で眺めている。
「お箸は、どんなのが好みですか?」
振り返って香澄が真治に聞いて来た。真治は目を細める。
「春慶塗で、先の細いやつが好みかな」
真治がそう言うと、香澄はショーウインドウにパッと向き直り、春慶塗の箸を探し始めた。だが、見当たらない。
「輪島塗しかありませんね。どんな字を書くんですか?」
「春に、慶応の慶だね」「んー、春という字がありませんね」
「そのようだね」
真治には遠目にもないことが判っていた。色味が全然違うから。
「どんなのなんですか?」「四角で朱色の地味なやつだよ」
香澄は四角の箸を探したが、丸い箸しかなかった。
「地味好きなんですか?」
「いや、こういう蒔絵のは『お正月用』とか、『お客様用』というか、『特別な時に使う感じ』だから」「へぇぇ」
「だから、『特に好み』ってないんだけど、普段使うものは、一見地味でも、ちょっと良いものが好き。みたいな感じ?」
「そうなんですかぁ」
香澄は真治の方を見て、もう一度箸の方を見た。これらは『特殊用途』らしい。
「商人だからね。見えない所で見栄を張る。こういうお高いものも良いけど、『普段の食事で、箸置きが出て来る』ような、そんな生活が憧れです」「へー」
そう言って香澄は頷くと、真治が指さした箸置きを見た。
ぐるぐる猫より地味だが、それなりにお高いものが並んでいる。それも、良く見て覚えることにした。
「小野寺先輩って、おぼっちゃまなんですか?」
さっきの仕返しとばかり、香澄はちょっとからかってみた。
「いやいや。そんなことはないですよ。憧れだけで」
「そうなんですか。じゃぁお嬢様が好きなんですか?」
香澄の質問は続く。顔は笑顔である。すると、真治も慣れて来たのか、本音を吐いた。
「んー、お嬢様の定義は人それぞれだけど、ギャーギャー煩い人は苦手かな。お上品な人には、それに応じた対応をしてあげたいよね」
そんな話をしていたら、和風雑貨屋の外に出ていた。
「今日の私は、どうですか?」
広い通路へ先に出た香澄は振り返ると、両手を広げて『今日のコーディネート』を見せた。
おまけに、小首をかしげて上目遣いである。
真治は『慣れた』なんて、即、撤回だ。




