長い日曜日(七)
「百九十円だって」「はい」
上に掲示された料金表を見た真治が言うと、香澄は値段を確認するでもなく、バックから小さながま口を取り出した。
『お先にどうぞ』という感じで真治が券売機を手で示したので、香澄は二百円を投入し、百九十円のキップを買った。
カランと十円玉が出て来る。
「かわいいがま口だね」
出て来た十円玉をしまう所を見て、真治が言った。
「江ノ島という所に行って、買ったんです」
香澄が嬉しそうに差し出す。真治は覗き込むだけで、手には取らなかった。
「色々猫ちゃんだね」「はい!」
掌よりも小さな小銭入れで、それでもしっかりとしたがま口である。そして、小さな猫が何匹もごろんごろんしている。
「彼氏と行ったの?」「違います。家族とです」
「本当ぉ?」
疑っている訳ではない笑顔で真治が言うので、香澄は言い返した。
「本当です。どうしてですか?」
「だってそこは、有名なデートスポットだから」
「そうなんですか?」
「うん。大体熱々のカップルが青春しに行く所だよ」
真治にしてみれば、自分の腕に絡まっていた女性が、そんな所に行って欲しい訳がないだろう。でも、何か言ってしまった。
香澄は目を大きくした。
「私、彼氏いません!」「そうなの?」
そう言いながら、真治は判りやすく笑顔になると、ジャケットの内ポケットから茶封筒を取り出した。
そして封を開け、ガサガサと指を突っ込んだ。
「ありゃ、聖徳太子だ」
真治はそう言うと、一万円札が使える券売機を探して移動する。そして隅っこに見つけると、手に持った一万円札を投入した。
香澄は真治を追い掛ける。『彼女いません』の返事が欲しかった。
「どこでも行けますね」
全てのランプが点灯した券売機を見て、楽しそうに香澄が言ったのだが、真治は『百九十円』のボタンを、人差し指をくるくるさせながら探しているだけだ。
「江ノ島も行けますか?」
「この券売機じゃ買えないかな。今日は木白までだけどね」
まるで『行き方は知っている』な感じ。しかし口に出したのは、それの説明ではない。
「何か『両替しに来た』みたいで、申し訳ない」
商売人か。しかし躊躇なくボタンを押す。機械に遠慮は不要だ。
すると報復するかのように、九枚の伊藤博文とじゃらじゃらした小銭と、最後に申し訳なさそうに『百九十円』のキップが出て来た。
真治はまず、九人の伊藤博文達を回収して茶封筒に戻す。
その間に香澄が、小銭とキップを回収してくれたので、真治は茶封筒の入り口を香澄の方に向けて、たるまないように支えた。
香澄は小銭を数えるでもなく、一枚も落ちないように両手で支えながら、差し出された茶封筒に向けてじゃらじゃらと入れる。
多分、百円玉八枚と十円玉一枚であろう。数えられない。
それでも「はい」と最後にキップを渡してくれたので、真治は「ありがとう」と受け取った。
「お財布使わないんですか?」「え? あぁ、今日はね」
真治は小銭が出ないように茶封筒の入り口を二回折りたたむと、内ポケットに戻す。
その時香澄は、茶封筒に『交際費』と書いてあるのが見えた。
『私達、交際しているんだわ』と思って嬉しくなり、財布について、『それは良し』と、言うことにする。
改札を真治、香澄の順で通り、真治が端に寄って立ち止まる。
香澄もトコトコと横に来て立ち止まった。真治が定期入れを出してキップをそこにしまったので、香澄も一応持って来ていた定期入れを出し、キップをそこにしまう。
丁度木白行きの電車が来た。反対側だ。
そのホームに行くためには、一旦階段を登って跨線橋を渡り、その先の階段を降りないと行かれない。
香澄はどうするんだろうと思って、真治の顔を見る。
「乗りますか?」「次のにしよう」
真治が顔色ひとつ変えず『さも当然』のように言ったので、香澄は安堵した。




