長い日曜日(五)
バラのトンネルを歩く。二人は門扉まで来た。
真治が門扉を開けて、香澄を通す。
「閉める時、熱いと思うので、気を付けて下さいね」
「はーい。結構な温度だよね」
内側から触っていても、黒い鉄の門扉は熱い位だ。
表側は更に熱くなっている。真治はちょんちょんと門扉を触り、熱くない所を探してそっと門扉を閉めた。
太陽が二人を照らす。セミの音が聞こえたら、もう夏だろう。
誰もいない今は静かな住宅街を歩きながら、香澄は日傘を広げた。そして腕を伸ばすと、真治をチラ見して二人で入りたがっている。
まるで、いつぞやのように。
しかし、雨傘に比べてそれは、とても小さかった。
「持ちましょう。涼し気な青だね」
「はい。ありがとうございます」
真治は微笑んで右手を伸ばしたが、香澄の手に触れてしまい、慌てて左手で傘の柄の真ん中辺りを持った。
香澄が手を離すと、右手で持ち直して二人の間に固定する。
すると香澄は目を瞑り、勢い良く左手で真治の右手を捕まえた。
その時、少々恥ずかしそうにした香澄であったが、驚きつつも真治が見た香澄の目は『離しませんよ!』と強い決意を物語っている。
それでは仕方ない。眉毛を八の字にしつつ、微笑んで前を見た。
「ピアノの練習していたの?」「聞こえました?」
おかしいなという感じで香澄が答える。さり気なく、右手も左手に添えた。真治は気が付かないのか、気が付かない振りなのか。
「いや、お母さんが言っていたので」「なるほど」
会話は至って普通に続いている。
真治の『答え』を聞いて、香澄は納得した。二階のピアノが奏でるメロディーは、玄関まで聞こえるはずがないからだ。
「お母さんピアノの先生なの? さっき生徒さんいたね」
軽く右手の親指で、後ろになった香澄の家の方を指さした。
「はい。一階で練習しながら待ってたんですけど、生徒さんが早く来たので『自分の部屋ので練習しなさい』って」
本当は、真治に聞かせたかったのだろうか。ちょっと残念そうに言っている。しかし真治は驚いて見せる。
「ピアノ二台あるの?」
「はい。二階のはアップライトですけど」
まるで『グランドピアノだけがピアノ』のような言い方である。
「お嬢様だねー」「そんなことないですよ」
香澄が右手を口に当ててホホホと笑った。そんな笑顔を見ながら、後ろを確認して交差点を渡る。
次の角を左に曲がって、真っすぐ行けば駅だ。
「自室にピアノがあるってすごいよね。でも、音が漏れそう」
「防音になってますから大丈夫です」
真治は『そうなの?』と驚いて、香澄を見た。しかし香澄は、得意げな顔をしている。どうやら真治の心配は杞憂のようだ。
「すごいね。弾き放題じゃん」「毎日三時間位練習してます」
真治はまた驚いた。自分の腕に手をかけている香澄の白い指は、とても細い。
「手、つりそうだね」
「曲にもよりますけど、最近はつらなくなりました」
「人間何事も慣れなんだねぇ」
真治は左右を確認し、道路を横断した。香澄もくっついて来る。
往路と違って復路は、香澄を連れて歩くのでゆっくりだ。
想定した電車には間に合わないだろう。どうせならと、真治は歩く速度をもっと遅くした。
「帰ってからも練習が待ってるの?」
「はい。日曜日は六時間以上練習するので」
声のトーンが落ちた。歩く速度も。
判った。さっき母親が言っていたのは『このこと』だ。
「ああ、それは悪いことしたねぇ」
真治は済まなそうに言う。香澄は慌てた。
今更買い物を中止になんて、させない! させるものかっ!
「いえいえ。良いんです。良いんですぅ」
香澄は笑顔を作って、慌てたように右手をパタパタとする。
実は昨日、二人共『行けたらで』と言っていた理由だ。
それでも真治は思った。きっと買い物にかこ付けて、息抜きをしたかったに違いない。しかし、そうであるならば話が早い。
香澄の予定が『調整可能』と見込んで提案する。
「じゃぁさ、おやつにケーキ買って帰ろうか」「そうしましょう!」
香澄は嬉しくなって、本当の笑顔に戻った。




