長い日曜日(四)
「初めて履くの?」「はい!」
上機嫌で香澄は頷いた。その場で足を慣らそうとしている。
「こっちは?」「これはいつものです」「そう」
真治はよく考えて香澄に助言しなければならない。香澄は玄関の鏡で全身のチェックをしている。
「じゃぁ、いつもの靴にしておく?」「こっちも大丈夫です」
まぁ、そうだろうね。やはり説得は難しい。
「文房具以外も見たいのであれば、歩き易い方にしたら?」
当然のように返事はない。
「歩いて足が痛くなったら、楽しめないよ?」
さぁ、どうでしょう。お嬢さん。
「んー。大丈夫なんだけどなぁ」
香澄は独り言を言って、右足を振りながら考えている。
心中お気持ちお察し致します。『お洒落は我慢』って言いますものね。だがしかし。それでも言わねばならぬ、時があるベベンッ。
三味線をかき鳴らした勢いのままに、真治は言う。
「奇麗な所見せてもらったし。その靴は練習した後にまた見せて」
すると香澄は、ピタリと足を止めた。振り返って真治を見つめる。
「判りましたー」
元気良く返事をすると、それでも『最後にもう一度』とばかりに、鏡の前でポースを決めた。
そして、やはり慣れない様子でハイヒールを脱ぎ始める。
ピン、ピンと留め具を外したものの、足が支えを失ってよろけると、目の前にあった真治の腕を掴む。
「あ、ごめんなさい」
と言って、直ぐに手を離すでもなく。そのままハイヒールを脱ぐと、真治の腕を掴んだまま、パンプスに履き替えた。
その間真治は、直立不動で立ったままである。
「ほら、そっちでも良いじゃない」
その様子を見ていた女性が、安心したように言った。
「うん」
香澄からも納得した感じの返事が返り、足を眺めている。
どうやら前々から『どっちにするか』決めかねていたらしい。
香澄はもう一度鏡に向かって、ポーズを決めた。良し良し。これで準備完了である。
「では、お嬢さんお預かりします」
「お母さん、傘は?」
どうやら女性は香澄の母のようである。多分『そうだろうなぁ』と、思ってはいたのだが。
真治は知らないのだが、実は名を『恵子』と言う。
頭を下げた真治を見て、先に恵子が答えた。
「あら、よろしくお願いします。靴箱の中でなくて?」
すると香澄は、直ぐに縦長の扉を開けた。頭を上げて『今日は雨、降りませんが?』の、顔となっている真治は無視だ。
「あった♪」
短く言って、服の色と同じ白と青の『日傘』を取り出した。それは雨傘と違って、レースの縁取りが付いている。
パタンと靴箱の扉を閉めて、香澄は笑顔で振り返った。今度こそ準備完了である。それにしても、壁面一杯のでかい靴箱だ。
「では、おやつにはお返しします」
真治が恵子に、再び頭を下げた。
「あら? そう。じゃぁ夕方から『練習』できるわねっ」
思ったよりも早い『帰宅時間の宣言』だったから、だろうか。恵子は香澄に向かって、ちょっと嬉しそうに言った。
「おかぁあさーん」
思惑が違ったのか。それとも『今日それは勘弁して欲しい』と思ったのか。香澄は傘を持っていない左手を縦に勢い良く振った。
「ほほほ。慌てずに、ゆっくりしてきなさい」
意外にも恵子はあっさりと引き下がる。香澄の顔に笑顔が戻った。
真治は『不味いこと言ったかしら』と思いつつ、玄関のドアを開ける。それを押さえながら、香澄の通過を待った。
そして、恵子にもう一度頭を下げる。
「いってらっしゃい」
玄関での『ごたごた一式』を見送った恵子は、閉まった扉の鍵をかけると、直ぐにリビングに戻った。
ピアノのレッスンが、まだ続いていたからだ。
真治は時計を見た。十時三十六分丁度。うん。時間通りだ。




