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雨の帰り道(十二)

 二人はしばらく笑顔で見つめ合い、そして、お互いに口をもごもごとしていた。どうしても言葉にならない。

 地下道から傘の先端が、外にはみ出している。そこに落ちる雨音だけが、二人を包んでいた。


 そこであと一言。何かの一言があれば、きっと二人の関係は、これまでとは全然違うものになるだろう。

 それは二人共口にはしないが、同じ想いだった。

 だがしかし、何だか段々『同じ部活の先輩と後輩』に戻ってしまったかのような、気がしてきている。


 香澄は左肩に風を感じた。真治が先に、雨の中へ走り出す。


 行ってしまった。スロープを降りるまでは、一緒に歩けた筈なのに。香澄はそのまま、真治の背中を見つめていた。


 真治は頭にカバンを乗せて、地下道からのスロープを下り、横断歩道で間を開けて二回ジャンプした。今度は無言だし、一人きりだ。

 商店街のアーケード下に辿り着くと、カバンを降して振り返り、駅の方に向かったであろう香澄を探す。


 香澄はまだ、傘を持ったまま地下道の出口に立っていた。


 真治は思わず、駅と反対方向を指さす。遠くから電車の音が聞こえ始めている。

 香澄はその音のする方を見て、もう一度真治を見て、真治に会釈してから雨の中に飛び出した。

 スロープをちょこちょこと降りて行く。曲がるときに、真治へもう一度会釈をしながら小走りに行く。そのまま背を向けた。


 改札口に向かって走る香澄を眺めながら、真治はアーケードの下を歩き始めた。駅前ロータリー越しに見える自分の傘が、揺れる髪と一緒に小さくなって行く。


 直ぐに電車がやって来て、あっという間に香澄に追い付く。

 まるで、競争をしているかのようだ。応援しようにもこの雨だ。声は届かないだろう。

 だからなのか、曲がり角まで来ていたのにも関わらず、曲がらずに電車と競争する香澄を見つめていた。


 改札口に辿り着いた香澄は傘を閉じ、カバンから定期を取り出すと、真治に見せた。

 真治は『俺に見せるんじゃない』と思いながらも、笑顔でパッと右手を上げる。


 すると香澄には、それが見えたのだろう。また一礼して振り返り、改札を通り抜けた。

 そして流石に急いでいるのか、ホームに上がるスロープを、髪を揺らしながら跳ねるように登って行く。


 ホームに辿り着いたのは、電車が止まるのとほぼ同時だった。

 車掌が指さし確認する前をゆっくりと歩き、まるで香澄を待っていたかのように扉が開く。


 香澄は一歩だけ電車に乗り、振り返る。傘の留め具をそのままに、右腕へ傘の柄を引っかけると、胸の所で小さく右手を振り始めた。


 真治は、また右手をちょっとだけ上げた。香澄の表情はもう判らないが、笑っていて欲しかった。


 直ぐに電車のドアが閉まり、車掌が指さし確認をしている。

 その間も雨で曇った窓越しに、手を振り続ける香澄の姿が見えた。その姿が見えなくなるまで、あと何秒もないだろう。

 真治は人の目を気にしていたが、今は誰も歩いていない。それに、真治が誰に手を振っているのかも、判らないだろう。


 確かに、香澄がずっと手を振ってくれていたのは嬉しかったのだが、こみ上げて来る恥ずかしさもあった。

 どうして、どうやって、腕を組んで歩いて来たのだろう。

 そもそも、どうやって、一緒に帰って来たのだろう。


 思い出せないし、考えても判らない。判る筈もない。

 手を振りながら考え続けていると、鼻がむず痒くなってしまい、真治は一旦鼻に手をあてると、最後にもう一度、短く手を振った。


 電車が動き出したとき、香澄の手はピタリと止まっていた。そして、直ぐに見えなくなる。行ってしまった。


 真治はその場でゆっくりと深呼吸をして、それから動き出す。

 角を曲がり、商店街にある自宅へ向かうのだ。


 もう雨に濡れる心配がないのに、真治は軽やかに走って行った。

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