雨の帰り道(十一)
地下道の出口から空を見上げた。雨が止む気配はない。
視線を前に戻すと、そこには駅前商店街がある。地下道の出口は、こちら側も水没防止のスロープがあり、少しだけ見晴らしが良い。
スロープを降りた先に見えるのは、横断歩道があって、その先は明かりが灯る商店街。今は人通りこそ少ないが、普段は人の目も沢山ある賑やかな場所だ。そこまで行けば傘は要らないだろう。
しかし香澄が向かうのはそちらではなく、スロープを降りた所で右へ曲がる。駅の改札口はそちらだ。
改札口までは、凄く近いという訳ではないが、かと言って長い距離と言う程でもない。
しかし今日のこの雨では、屋根がないので随分濡れてしまうだろう。それでは、折角ここまで送って来た意味が無い。
真治は左手に持っていたカバンと傘を、香澄の前に持って来る。右手は、香澄がまだ握りしめたままで、動かせない。
だから、そのまま傘の柄を香澄の方に向けて揺らす。
不思議そうに見上げた香澄に『傘の柄を取るよう』に、目で合図を送った。しかし、そんな合図を送られても、香澄はキョトンとしていて、傘と真治を交互に眺めるだけだ。
遠慮しているのだろうか。傘を手にしようとしない。
違う。遠慮ではなかった。
香澄にも、ここが分かれ道であることは、判っている。
だから、あと数十メートルでも。せめて、駅の改札口まで。このまま歩いて行きたかった。それだけだ。
「この傘、ぱくったやつじゃないから」
真治にその気持ちは伝わらなかったようだ。笑顔で促すように言われて、仕方なく頷く。
しかし傘を持つのは香澄の左手ではなく、今握り締めている真治の右手であるべきなのだ。
そんな頷きを確認してか、真治は右手で傘を取ると前方に差し出して『ボン』と開いた。そして、柄を持ち易いように下へずらす。
黒い傘に黄色い文字で、店名と電話番号が書かれている。どう見ても広告用の傘です。ありがとうございます。
「電車来るよ」
真治が心配している。遠くで踏切の音が聞こえているからだ。
香澄にも、それは判っていた。
学校帰りに、ここで電車を一本見送って、立ち話をしていたこともある。そんなときは、大抵次の電車は直ぐに来るものだ。
それに、まだ踏切の音が鳴っているだけだ。十分に間に合う。
電車の音が聞こえて来て、先頭車両が見えてきたら?
それは、ちょっと危ない。
地下道を通り過ぎてしまったら?
だいぶ危ない。それでも、吐く程ダッシュすれば間に合う。
香澄がそんなことを考えていたときだった。
「また明日ね」「明日ですか?」
真治の声が耳に入った途端、香澄は嬉しくなって直ぐに答えた。頭の中で『楽しい明日』の様子が浮かび上がる。
しかし聞かれた真治は『間違いを指摘している』と受け取った。
「あ、来週ね」
直ぐに言い直す。それを聞いた香澄は、自分の返しが良くなかったと反省した。
このまま別れれば、明日も逢えたかもしれない。
そんなことを考えて、直ぐに甘い希望を打ち消した。無理だ。判っている。母が『そんなこと』を、許してくれる筈がない。
名残惜しくも、遂に香澄は真治から左手を離す。
次に雨が降るのはいつだろうか。いや、そもそもどうやって、腕を組んで来たのだろう。
それよりもだ。どうして腕を組んでいても、良かったのだろう。
右手に持っていたカバンを左手に持ち直す間、そんなことを考えていた。それでも、そんな香澄を真治は急かすこともなく、風除けのようにピッタリ隣に立って、待ってくれている。
傘は真治の手に触れることもなく、右手で受け取った。
「ありがとうございます。お借りします」
「学校の傘立てに、戻しておいてくれれば良いから」
「判りました」
これで最後になるのだろうか。二人はもう一度、見つめ合った。




