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副業犯罪者達の夜  作者: 桐生彩音
SEASON1
2/7

001 秋濱 敏行

 準備を終えた抽冬は、階段を登って一階の扉へと向かった。

 客にとっては傍迷惑なことに、ドアノブには『OPEN/CLOSE』の札が掛けられている。『ギャングの隠れ家(ハイドアウト)』という心理的に開け辛い扉が、物理的にも煩わしいものと化しているが、改善される見通しはない。一般人避けにもなっているので、おそらくはずっとそのままだろう。

 抽冬は扉を開け、ドアノブの札を『CLOSE』から『OPEN』へと変えた。


 これにて古びたビル地下一階のバー『Alter』が、開店となった。


 店内に戻った抽冬は、ポケットに手を入れながら、悠々と階段を降りていく。

 再びカウンターの裏に戻ったのは良いが、開店してすぐに客が来るわけではない。特に決まった営業時間がないのが、一番の原因だった。オーナーの意向か予約がある時に営業さえしていれば、問題はないのだ。

 だから営業時間は、抽冬の好きに決められた。通常の裁量労働(フレックス)制とは違い、固定出勤時間(コアタイム)自体が存在しない。強いて挙げれば、『オーナーの都合』で決まるものの、大まかな時間が決まっているシフト制だった。

 今日は三十分後に客が来る。それまでに営業を開始し、相手が帰った後の適当なタイミングに閉店すれば、それだけで一定の給料が手に入る。おまけに勤務時間内は、必要な仕事さえしていれば、『後は好きにしていい』という緩すぎる職場環境。

 オーナーの『本業』が犯罪行為に該当するものであること以外は、ある意味では理想の環境だった。かつての勤め先とは、比較にもならない。

「まだ、時間はあるな……」

 カウンター裏で、抽冬は椅子を引っ張り出して腰掛けた。

 抽冬は自身を、バーテンダーの蔑称である『バーテン』だと思っている。実際、バーテンダーに必要な要素はおそらく足りず、また学ぶ意欲も持ち合わせていない。

 ゆえに抽冬は、『バーテン』という肩書を背負うことを良しとしている。だからバーテンダーらしく、立ち姿でグラスを磨くなんてことはしない。客がいない店内であれば、なおさらだ。

 だからいつも、カウンターの裏で趣味に走るなんてことが当たり前に行われている。今日は客も来るので、椅子に腰掛けて読書でもしていようと、抽冬は一冊の本を取り出した。

 ここでハードボイルドな推理小説でも読めば格好が付くのだろうが、残念なことに……抽冬が読んでいるのは、異世界転生系のライトノベルだった。




 そして予定通りの時間に、扉の開閉音がした。

 ゆっくりと階段を降りてくる客に対して、抽冬は静かに本を閉じ、椅子から立ち上がって声を掛ける。

「……いらっしゃい」

「…………」

 階段から降りて来た男性客こと秋濱(あきはま)敏行(としゆき)は、体格の良い見た目とは裏腹に陰気な表情を浮かべながら、カウンターの椅子へと腰掛けた。




 秋濱という男は、普段はジムのインストラクターとして働いている。

 ただし契約社員という立場もあり、収入はそこまでいい方ではない。だから副業として、個人でのインストラクターも引き受けているのだが……その相手が悪かった。

 簡潔に言えば『裏社会の住人』であり、かつオーナーの昔馴染みでもあった。

 だからかどうかは分からない上に、抽冬は秋濱の雇い主がどんな仕事をしているのかまでは知らない。

 ……が、その雇い主がオーナーに依頼する頻度も多いので、彼はよくこの店に来る。

 それだけならばいいのだが……抽冬から見て、秋濱という男は、『他の飲み屋への入り方』を知らないのではないかと考えていた。実際、このバーに普通に飲みに来ることも多いのだが、適当な営業時間にも関わらず、開店まで近くで待っていた前科(こと)もあったのだ。

 当時扉を開けた目の前に秋濱が立っていた時等、驚愕で階段から転げ落ちていたかもしれないと、抽冬は今でも考えている。

 それでも、今日の彼は予約(・・)を入れた立派な客だ。相応の対応をしなければいけないと、抽冬は意識を改めた。

「ご注文は?」

「とりあえず、先に仕事を……」

 秋濱は背負っていたリュックを降ろし、中にある封筒を取り出して、カウンターの上に置いた。

「これ、俺の雇い主から……」

「……たしかに」

 抽冬は封筒を持ち上げると、酒瓶の並ぶ棚の隙間に、見えないように隠されている小さな扉の元へと運んだ。その扉は小荷物専用昇降機のもので、そこに依頼料や注文品を入れて受け渡しを行っている。

 今回は秋濱の雇い主からの依頼で、依頼料の振込(・・)が来店の目的だった。

 抽冬は扉を開けて、中に封筒を入れてから再び閉じた。そして近くの受話器を取ると、内線で電話を入れた。

「……あ、オーナー。これから予定の依頼料(封筒)を送ります。確認して下さい」

 そして受話器を当てたまま、抽冬は昇降機を操作し、さらに下の階にあるオーナーの隠し工房(作業場)へと封筒を送り込んだ。後はオーナーが中身を確認し、その旨を返してくれれば、今日の秋濱の用事が終わる。

「……はい、分かりました。そう伝えます」

 抽冬は受話器を置き、カウンター席に着いている秋濱に伝えた。

「オーナーが依頼料を確認した。これから仕事に入る旨を、そっちの依頼主に連絡するらしい」

「分かった。じゃあ……」

 ここはバーだが、それは隠れ蓑に過ぎない。オーナーの仕事の受付担当が、本来の業務だ。だからそのまま帰られても、何ら不思議ではないのだが……


「……ビール。あと灰皿と、何かつまみも」


 ……秋濱は、そう注文を入れてから、取り出した煙草とライターをカウンターの上に置いた。




 ――シュワァァァ……


(まさか、学生時代のアルバイト経験が、今でも活きているなんてな……)

 ビールサーバーにグラスを当て、泡立つ液体を流し込みながら、抽冬はそんなことを考えていた。

 秋濱は先に置かれた灰皿に煙草の灰を落としながら、ぼんやりと酒瓶の並ぶ棚を眺めている。

 そして注ぎ終えたグラスのビールを、抽冬は秋濱の眼前にそっと置いた。

「今日はほうれん草が取れたから、おひたしでいいかな?」

「いや、ほうれん草はいいけど……もっと凝ったものにしてくれない?」

 客である秋濱にそう言われては仕方がないので、抽冬は他に材料がないかと、足元の冷蔵庫を覗き込む。幸いにもベーコンの買い置きがあったので、他の材料と合わせて取り出し、炒め物を作ることにした。

 他の店とかでは隠れていることの多い厨房が、カウンターの裏の半分を占拠している。そこに材料を並べてから、抽冬は料理を開始した。その間にも、秋濱から話は振られてくる。それにきっちりと応えることも忘れずに。

「さっきの封筒だけどさ……」

「封筒がどうかしたの?」

 自宅でもあるビルの二階から降りてくる前に、趣味でやっている家庭菜園から収穫してきたほうれん草を水洗いしながら、抽冬は秋濱の方を向いた。

「あれ……絶対に俺の月給以上の金額が詰まっていたよな?」

「だろうね」

 包丁を取り出す為に視線が途切れるものの、話は中断されない。

「うちのオーナー、腕はいいからね。その分、料金も高いよ」

「だけど犯罪だよな。こっちはいくら本業で働いても、月給はあれの三分の一にも満たないってのに……」

(相場が違い過ぎる気もするけど……)

 と内心で思う抽冬だが、声には出さない。社会の在り方に一々突っかかっても、一個人の力ではどうしようもないからだ。

「じゃあ何で持ち逃げしなかったのか、って聞いても?」

「……俺の人生賭けるには、安すぎるから」

 たしかに、抽冬のオーナーが手掛ける仕事は高い。高い技術力を擁する上に、法を犯す内容である分、料金はさらに高騰している。

 けれども、それは人一人分の人生と等価とは限らない。


 たとえ、オーナーが生み出す成果が、その人一人分の人生を救うとしても、だ。


 しかし、そんなことは末端である彼らには、まったくもって関係ない。

「不公平だよな……いくら真面目に働いていても、裏社会の住人(不真面目な連中)の方が稼いでいるんだからさ」

「何をいまさら……」

 狭くなることも厭わずに設置したガステーブルの上にフライパンを置き、火をかける。抽冬は油を引きつつ、熱されたタイミングで材料を次々と投入し始めた。

「動機はともかく……稼げる(・・・)から、人は悪に染まるんだよ。たとえ人生を捨てることになったとしてもね」

 火の巡りを良くする為に、都度フライパンを揺らし、菜箸で中身を掻き混ぜていく。

 視線を降ろして料理の具合を確認しながら、抽冬は言う。

「で……その愚痴何回目?」

「……忘れた」

 秋濱はグラスのビールを飲み干してから、新しい煙草を口に咥えた。

「料理が出来たら、ビールお代わりで」

「はいはい」

 その料理も、もうすぐ完成する。




 ――……コトッ

「はいお待たせ。ベーコンとほうれん草のソテーです」

「…………」

 カウンターの上に置かれる、出来上がったばかりの料理が盛られた皿と箸。それに無言で手を合わせてから、秋濱は黙ってソテーを口に入れていく。

 陽気な表情を浮かべているわけではないものの、それでも味に満足しているのか、秋濱は抽冬の作った料理に対して、箸を止める気配がない。

 ビールも新しいグラスに交換してから、抽冬は調理中に片付けていた椅子を再び引っ張り出し、そのまま腰掛けた。

 しばらくは料理に舌鼓を打つだろうと思い、抽冬は秋濱が来る前に読んでいた本を取り、再びページを捲り出した。

「……何を読んでるんだ?」

「ライトノベル」

 会話終了。

 しばらくは抽冬がページを捲る音と、秋濱がソテーとビールを片付ける咀嚼音が店の中に響いてくる。

 やがて、食事を終えた秋濱は再び手を合わせ、未だに本を読んでいる抽冬の方を向いた。

「いつもこうだと、暇じゃないか?」

「別に暇でもいいからね……」

 結局のところ、抽冬の仕事は基本的に、オーナーありきだった。

 仕事があればその受付担当を引き受け、なければ普通のバーとして、やる気のない『バーテン』を演じればいい。

 そこに客の来る来ないは関係ない……が、今日は秋濱以外にも、扉を開ける者()が居た。

「……他にも来客の予定が?」

「予約は無いはずだけど……」

 再び店内に響く扉の開閉音。抽冬は本を閉じ、椅子から立ち上がって階段の上に視線を向ける。

「おいおい、こんな所に店があったとはなぁ」

「いいじゃねえか、いいじゃねえか」

「はっはっはぁ……」

 見るからに、そこらのごろつきだった。

「……いらっしゃい」

「おうおう、随分陰気臭い連中が揃っているじゃねえか!」

 俺は関係ない……と小さく漏れ出た声が、抽冬の耳に入り込んでくる。

 カウンターの上で新しい煙草を咥える秋濱の隣に三人並び、抽冬へと威嚇してくるごろつき達。

「丁度いいからよ。ここを俺達の縄張り(やさ)にしようと思うんだが……どう思うよ?」

 通常であれば、台詞は二種類しかない。

 受け入れるのであれば『みかじめ料はいくら?』、断るのであれば『おととい来やがれ』、と。

 しかし、ごろつき共が相対するのは所詮、ただの雇われ『バーテン』に過ぎない。

 なので……返答はこうなる。

「俺はただの雇われなので……その辺りはオーナーに聞いて下さい」

 そして示される、店に入っただけでは分からない階段裏のエレベーター。それを見たごろつき達は、ニタニタと下卑た眼差しを抽冬に向けてから、そのまま(・・・・)()へと降りて行く。




 ごろつき達がエレベーターの中に消えると同時に、秋濱は灰皿に煙草を押し付けて、火を消した。

「お勘定……」

「三千円」

「……いつも適当だな」

 ビール二杯に料理一皿、計三点で三千円。注文有りなので(テーブル)(チャージ)無し。抽冬の適当会計に、秋濱も財布から抜いた代金を適当に置いて返した。

「だから『バーテン』なんだって。ところで……今日はもう上がるのか?」

「……これ以上は無理だろ」

 しかし手遅れだった。


『ぎゃあああああああ…………!?!?!?!?』


 階段裏のエレベーターは、たしかに下へと続いている。しかし、そこがオーナーの隠し工房(作業場)に繋がっているとは、抽冬は一言も(・・・)言っていない。

「さすがに断末魔を聞き続けてまで、飲みたくはない……」

「それは、……たしかに」

 置かれた代金を手に取り、数える抽冬に秋濱は背を向けた。

「どうせ依頼される気はするけど……待たなくていいの?」

「俺は個人契約のインストラクターで……」

 気が付けば、悲鳴は止んでいた。


「……ただの『掃除屋』の使いパシリだ。清掃員じゃない」


 そう言い残してから、秋濱は店を出て行った。




 秋濱敏行という男は、オーナーの昔馴染みの『掃除屋(・・・)』の個人インストラクターを引き受けていた。

 しかし、その『掃除屋』は文字通り、清掃業者という意味ではない。あらゆる行動の、犯罪の痕跡を消し去ることを生業としている。

 無論……そこに残された死体も含めて。

 オーナーの昔馴染みもまた、その『掃除屋』の一つとして働いていた。今日、秋濱が抽冬の雇い主(オーナー)に届けた依頼料も、その仕事に起因している。

 死体の痕跡を消す為に、必要な物(・・・・)があるからだ。

「……さて」

 秋濱やごろつき共がいなくなった店内を、抽冬は清掃し始めた。

「死体まで、片付ける羽目にならなければいいけど……」

 階段裏に隠されたエレベーターの先には、オーナーの趣味で仕掛けられた罠が大量にある。加減すれば殺さずに済まされるかもしれないが……抽冬は、事前に(・・・)連絡しなかった。

「……っと、と」

 そして鳴らされる内線の受信音。抽冬は布巾を置くと、慌てて受話器を取った。

「はい……はい、はい……」

 別に、オーナーに連絡もなく、不審者をエレベーター()乗せ(掛け)たことは責められることではない。元々は敵対者対策として、用意された罠の一つでしかないからだ。

 だから電話の内容は、抽冬を責め立てる為のものではない。

「はい、分かりました……お疲れ様でした」

 ……死体処分の為に『掃除屋』が来るので、『店を早仕舞いしろ』という指示を出す為のものだった。

 抽冬は手早く片付けを済ませ、帰り支度へと取り掛かっていく。

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