4,5話 千文の気持ち
私には、ずっとずっと好きな人がいる。
それは、同じ村の私より少し遅く産まれた男の子。
初めて会った時から、きれいな顔をした子だと思った。それは、少し冷たさを感じる美しさだったけど、その冷たさを、その子の無邪気でキラキラとした笑顔が吹き飛ばしていた。
その子の名前は文哉というらしい。キラキラとした笑顔と可愛らしい声に、この子を守りたいと思った。
それから、文哉君は村の子供の中で一番私になついてくれた。
それが、すごく嬉しかった。
私に、姉や母に対するように接してくる文哉君。
それが、何故か少し寂しかった。
恐ろしい程不器用で、少し物覚えが悪くて、でも、狩りや漁は大人並みに上手くて、優しく、明るく、元気で。みんなの人気者。
だんだんと山菜などの見分けもつくようになってきて、正解するたびに、私に本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれる文哉君。その笑顔を見るのが大好きだった。
いつからだろう
文哉君の事を恋愛対象として大好きになっていた。
文哉君は、結構モテていて、周りの女の子たちがよく話をしている。それを見るたびに、文哉君はいつかこの中の誰かを選ぶのかと想像して、苦しくなる。文哉君は、姉の私は選ばないだろう。
文哉君はもちろん、周りの子たちも私を文哉君の姉として扱う。私を恋のライバルだとは、全く思っていない。
それが辛いけど、安心もできた。姉という立場であれば、愛してもらえなくても、ずっと家族のように扱ってもらえるんだから。
ある時、文哉君が抜歯をした。
本当に辛そうで、申し訳なくなった。
そしてその翌日から、私の姉としての幸せさえ、消え去った。
文哉君が、あからさまに私を避け始めたんだ。
話しかけても、以前のような笑顔を見せてくれず、辛そうな、苦しそうな顔で、短く答えた後、どこかに行ってしまう。
近づこうとしても、逃げられてしまう。
それが、辛くて、苦しくて、いつしか近づこうとするのが怖くなった。それでも、気づけば文哉君に視線を向けてしまっていて、その事に、文哉くんがこちらを向いた時に気づいて、慌てて視線をそらす。そんな事の繰り返しだった。
それから、いつの間にか季節が一巡りしていた。
相変わらず、私の生活に文哉君は戻ってこない。
朝、いつものように貝塚に食べ物の残りかすを捨てにいく。
貝塚には人がいた。それが文哉君だと気付き。思わず小さく声がもれた。その声に反応したのか、文哉君が振り向いた。
久しぶりに、近距離で、文哉君を見た。泣きそうになった。けれど、それを必死で抑え、何か話そうとする。
これは、きっと最初で最後のチャンスだ。何か、何か話さなければ。何かっ!
けれど、言葉は出てこなくて……
文哉君は、走り去ってしまった。
堪えていた涙が、溢れた。
それを誰にも見られたくなくて、人の少ない道を俯きながら全力で走った。
そうして来た場所は、森の中だった。
いつか、文哉君と一緒に山菜を採った森。
自分で、山菜を見分けられた時。私が、山菜を簡単に見分けた時。向けられる笑顔。喜びや、私への感謝や尊敬が含まれた笑顔。それを見れるのは自分だけだと、そう思っていた。今は、別の子がその笑顔を見ているのだろうか。そう思うと、私の心が醜い感情で満たされた。
森の中を見渡した。雪が積もっている。それをどかしてみる。どこかに山菜はないか。それを採って渡せば、またあの笑顔を見れるのではないか。そんなバカな事を考えたからだ。
ザッ
足音がしてそちらを見れば、そこには、、熊が。
「っ!」
どうして熊が、この季節に!?
「う"っ」
お腹に衝撃を感じたと思ったら、そこからぶわっと、猛烈な熱が溢れだした。
「あ"っ、う"っ」
熱、い……い、たい………
「ふっ、、やっ…」
文哉君、助けて
「おい、千文!?」
聞こえた声は、文哉君の声ではなかった。
もう一度私に腕を振り下ろそうとしていた熊を、声の主が受け止めた。
それから、戦っているような音がする。
頭が、ぼんやりする。視界が歪む。
―あぁ、私、死ぬのか
何故か、恐怖はなかった。痛みもなかった。
ただ、寂しかった。
―私、もう、文哉君に会えないんだね
もう一度くらい、話したかった。
こうなるなら、想いを伝えておけば良かった。
諦めずに、話しかけ続ければ良かった。
閉じた瞼の裏の文哉君のあの無邪気な笑顔が見えた