月1の報告場 第二十九 幸福の総量
半年ぶりの投稿です。
どうも、"働く意義"なんてものを無駄に考える鬼桜です。
『そんなことを考える暇があるなら働け!』、って話ですけど。私は、惰眠と読書とゲームで忙しいので、その片暇でしか動けません!
結局は自分が不自由なく生きているのは誰のおかげなのかを考えていけば働く意義は見えてきて、文明の恩恵を授かることに対する相互幇助ってことですよね?
皆さんは幸せですか?
継続する幸せはなかなかに難しいものだと思うので、両極端な私は皆さんを不幸だと断言します。
というわけで今回は幸福の総量です。
総量ってことは有限ってこと??
そんな事考えないと現状に泡を吹いてしまいます…
悲しきかな、これが私の現実逃避です。
幸せとは個人の感情であり感覚です。とても形として、質量として表すことなんてできません。
ですが、幸せの定型像、理想像というのはある程度個人差はあれ、固定化されているのではないでしょうか?
勝利、合格、称賛、認知、肯定、好意、結婚、友情。
三大欲求に基づく行為や、自己実現、他者との関わりなどは幸福に近づくものではないでしょうか。
人生は競争です。振り落とされれば簡単に元いたレーン、もしくはレールに戻ることはできないでしょう。
人の幸福は相対的なものです。環境や周囲の状況次第で幸福度は変動します。しかしこの変動は基本的に個人ではなく個々の話です。
現代人と平安人の幸せを感じる物事が一緒な訳がありませんし、同じ平安人でも農民と貴族で幸せな物事が同じわけがありません。
刹那的な生き方をしている人がいるとします。それは例えばギャンブラー等が典型例かもしれません。
彼らは多くの負けと少ない勝ちと、稀に良く起こる大負けと滅多に起こらない大勝ち、に最大限の幸福を感じて生を謳歌しています。
幸福の相対量でいえばどうなるのでしょう?
多くの負けは嵩み不幸がデフォルトとなって慢性的な不幸感に襲われる事でしょう。
少ない勝ちはこれまでの負けを振り返り当然の事だと納得するだけで幸福とは程遠いものです。
稀に良く起こる大負けは不幸感以上に怒りや失望を覚えます。自分の人生を振り返り、何をしているんだと現状を嘆くフェーズに入ります。もう辞めようと決心して翌日も開店前のパチ屋に並びます。
滅多に起こらない大勝ちは全てに勝ります。
幸福量として見た場合これは明らかなマイナスなのですが、一時の幸福が数日間の緩やかな不幸を覆すため感覚が狂います。大負けすらフラッシュバックした大勝ちにより、実害と比較して感覚的な損失が少なくなると考えられます。
しかし、当然この様な論理など実際行っている時に考えるわけがありません。なぜなら論理的な人間はギャンブルを嗜むものとして扱うため、ここまでの幸福や不幸をギャンブルで味わないためです。
一時の享楽に身を投じる人生は幸福総量に対して幸せなものだと思います。
僕の語る幸福総量とは、形のない感情である幸福や不幸を質量として計算した際の概算値です。
それは個々人で分かれる様な値ではなく、個々の行動に対してある一定の数値が振り分けられるようなもののこと。
最上の幸福が金を掛けて行うような人が与えるサービスを含めた幸福体験である人と、日々の食卓におけるオカズが豪華になる事である人では幸福の許容値や基準値も違ければ、幸福値すら違うだろう。
だが、ある行動に対して幸福感を覚える者もいれば、不幸に感じる者もいるだろう。それは外れ値と考えるべきなのか、幸福を覚える基準値点を変更するものなのか……感情の数値化は難しい。
これはあくまでも概算値である。
例として、幸福総量−10の幸福基準点+30は欲張りな不幸者だし、幸福総量+5の幸福基準点±0は欲なしの幸せ人だし。
恵まれた境遇で生まれた者はそれに見合う幸福を享受できなければ不幸な後年を過ごす。それは不幸だ。
恵まれない境遇で生まれた者は現代においては勝ち取った幸せすら上を見上げて満足出来ない。これも不幸だ。
私は悲観主義者であるため人類の幸福総量は不幸が勝ってると考えます。
例で出した人間は素晴らしいと思います。
日常は些細な不幸で溢れている。それを上回る幸福を体感できているということは幸せな人間だと思います。努力を苦難や苦労と捉えるのではなく乗り越えるべき試練と考えて取り組める人間です。
因みに僕の幸福基準点は+50くらいです。(概算って言っておけば誤魔化せるから問題なし?)幸福総量は多分+です。なんて恵まれているんだ……
でも基準点が高すぎて満足に生きていません。一体何が足りないのか?分かればこんなもの書いてません。誰か教えてくださぃ……(他力本願)
神は人間に苦難を与え成長させるとよく言います。
この言葉は苦痛の絶えない人生に救いを求めたもののように聞こえます。報われない苦痛に救済を求めて縋る先は神。こんな人生で幸福総量が上回るわけがありません。
あぁ、絶望。また不幸が重なった。
ですが私は天寿を信じています。
そのものに定められた時間を生きれば幸福総量はプラマイゼロに落ち着くという何の根拠もない理論を信じて生きています。
だって、人は振り返ったことを美化する特性、『回顧バイアス』があるから!
不幸なヒトも死ねば幸福さ!ハハハッ!!
冗談です。
というわけで現在の執筆中小説数は102です。
幸も不幸も思い込み次第です。気力さえあれば否定形程度取り外せます。逆説的にどれだけ幸福に見える人でも思い込み次第で不幸たり得るというわけですね。
隣の芝生は蒼く見える、羨む他者すらどう思っているのかなんて推量で憶測すること以外出来ない。人は想いを秘めることが出来るのだから。
自分の物差しで他人の幸不幸を推し量る事だけは止めましょう。下手に上を見て負けた気分になることが一番無駄な不幸なのだから。
作品投稿再開していきたいです。




