谷口康子との恋愛
志郎と女性は、一緒のテーブルに座った。
志郎はカレーライス大盛を、注文した。
女性は、日替わり定食である。
二人は食べながら、話し始めた。
「坂本志郎さんね」
「僕の名前、覚えてくれてたんだね?
君の名前は?」
「あたし?あたしは谷口康子」
「谷口康子?覚えやすい名前だ」
「将来どんな仕事に就こうと思ってるの?サラリーマン?」
志郎は首を振った。
「いやいや、会社なんかじゃ働かない。公務員だよ」
「学校の先生?」
「先生なんて聖職者には、向いてないな。警官だよ」
「ケーサツ?あんた、お巡りさんにでも、なるつもり?
制服が似合いそう」
「俺がなりたいのは、刑事だよ。
社会を震撼させる凶悪犯を捕らえて、市民の安全を守るんだ」
「そっかー。坂本君は将来、刑事になるのね。
もしうちが事件に巻き込まれたら、坂本君が担当になってくれればいいのにね」
「もしそうなったら、異常な程親身になってお世話させて頂きますよ。
でも康子さんが殺人の被害者になってくれたら、困るけど」
康子はクスッと笑った。
そこまでは、あり得そうにない。
「ねえ康子さんの方は将来、どんな仕事がしたいんだい?」
「うちはねえ、本を企画・出版するのが夢なの」
「本を書くんじゃなくて、出版する方?
編集者みたいな?」
「ええ、そうよ。あんた、訛ってるけど、大阪育ちじゃなさそうね」
「俺は大阪人じゃない。鳥取生まれだよ。
殺人なんか全然ない鳥取よりも、大阪の方が好きなんだ。
康子さんは大阪育ちのナニワっ子なんだろ?」
「ナニワっ子?住んでるのは、茨木なんだけど」
「茨木?駅の近くに家はあるの?」
「ええ。今度の休み、あたしんち来ない?」
せっかくだけど・・・、と言おうと思ったがやめた。
本人が誘ってくれてるのに断るなんて、バカげた話だ。
―――――――――――――――――――
大学もバイトも休みの日、志郎は康子の実家に遊びに阪急の総持寺駅で降りた。
駅を出た所で康子に電話すると、10分ぐらいで迎えに行くと言う。
駅舎の壁にもたれかかってコートのポケットに手を入れていると、車のクラクションがうるさく響いてきた。
あまりにもしつこいので、どこのどいつかと顔を上げた時、車窓から康子が身を乗り出しているのが見えた。
「坂本君、こっちよー!」
康子か手招きしているが、見えた。
クラクションは、俺を気づかせるためだったのか。
志郎は急いで、車のそばに走り寄った。
康子は助手席に座っていて、運転席には中年男が座っている。
康子の前の彼氏なのかと、志郎は思った。
志郎は後部席のドアを開けて、車内に入った。
「おはよー、坂本君」
康子は後ろに乗った志郎に向かって、振り向いて笑った。
乗ってから分かったのだが、運転している中年男は康子の父親なのだ。
「お早うございますら。
そちらは、お父さんですね?」
志郎に聞かれると、中年男も笑った。
「こちらこそ、初めまして。
康子の父の富造です」
「坂本君、びっくりした?
あたしが自転車で、迎えに行くと思った?」
父親と娘が、代わる代わるしゃべった。
「そういや、康子はまだ免許持ってないんだよなあ。
俺は二十歳の時に取ったけど」と志郎。
「あたしは運転に自信がないから、まだ免許持ってないんだけど」
「へえ、若者なのに珍しいね。
運転に自信がないから、免許取らないなんて」
「人を轢き殺してすみませんで済んだらいいけど、実際にはすまないものね。
でも坂本君が免許を取った理由は?
彼女とドライブ?」
「そんなお上品なもんじゃない。
犯人を追跡するのに、運転免許は必要だ。
派手なカーチェイスをしてでも、犯人は捕まえてみせる」
「君は警察官志望なのかね?」富造が聞く。
「ええ、悪を捕まえるためには、この命を捧げます!」
「随分警察官になるのに、熱心なんだね?
何か理由があるのかね?」
「志郎には警官しか考えられないもんねー」
「そうだ。俺は小学校の時に警官になるって決めたんだ。
警官以外の職業なんて、考えられない。
それに俺を家族に紹介しなかったのか?」
地区の富造が車を出すと、しばらく走った所で康子の実家に着いた。
回りは住宅街で、家と家とがひしめき合っている。
それでも康子の家は、小さい方だった。
「お邪魔しまーす」
志郎は靴を脱ぐと、食卓に案内された。
康子、富造、志郎がテーブルに座ると、キッチンの中からおばさんが出てきた。
「いらっしゃい。
あなたが康子の言ってた彼氏ね」
オバサンは志郎の顔を、珍しそうに見た。
どうやら家族総出で、お出迎えらしい。
「彼氏という程の者じゃないです。
友達ですよ、友達・・・」
「外は寒かったでしょう?温かいコーヒーても、いかが?」
オバサンが勧めると、「ありがとうございます」と言って、コーヒーをもらった。
フレッシュと砂糖は、自分で入れた。
テーブルに座った四人共、コーヒーを飲んでいる。
康子だけなら気軽に喋れるが、両親がいては無口にならざるを得ない。
「この好青年は将来、刑事になるそうだ。
前途有望な好青年なんだ」
無口な志郎に、富造が切り出してきた。
「ええ、まあまず警察学校に行ってからですよ。
最初から刑事なんて、なれません」
「何故また刑事なんてなりたいと、思ったのかね?
危険な目に会わんとも、限らんのだろう?」
「危険だからって、そんな事言ってたら刑事なんて務まりません。
刑事って言うのは市民の安全を守るために、命を捧げてるんです。
それだからこそ、市民の皆さんが安全に生活出来るんですよ」
「立派な心がけだな」
「僕は真剣に刑事になりたいと、思ってるんです。
中途半端な気持ちじゃ、ありません」
「刑事ドラマの見すぎが影響してるの?」
富造に代わって、次は母親がしゃべった。
「刑事が主役の番組は好きですよ。
熱中刑事に、なればなるほどね。
でもそれだけじゃ、刑事になりたいって思わない。
刑事になりたい、いやならなければならないって思ったのは小学校の時でした。
80年の鳥取小学生失踪事件は知ってますか?」
「知らんなあ」
「うちも」
「私も」
三人とも、知らなかった。
三人は志郎と違って、殺人事件には興味はないのだ。
「あれは、僕と同じクラスの子だったんです。
無惨な姿に変わり果てたのを見て、こんな犯罪を無くすのに少しでも自分が役に立てればと思って。
それから警察の仕事に就きたいと、考えるようになったんです。
でもまあ、仮に刑事になれたとしても犯罪が撲滅出来る分けじゃない。
少しでも減ってくれれば、立派に自分の使命は果たせたと思ってます」
「君は最近の若者にしては、高潔過ぎる。
娘を嫁にくれてやるには合格点だな」
「そんな、お父さん、冗談言われても。
でもマジな話、刑事になれたら家庭が持てるかどうか、とても不安です」
「どうして?」と母親。
「犯罪者に憎まれますからね。
家族に報復される事も、ままあります。
そうでなくとも、家にいる事なんてほとんどないし、家族とうまく過ごせる時間なんか無いんじゃないかな」
「坂本君には、円満な家庭生活は無理なのね」と康子。
「それでいいんです。
家庭よりも、仕事を優先する方が。
美味しいコーヒー、ご馳走さまでした」