贄と成れ
「マーシャ…。」
部屋にはちゃんとマリアがいた。まだ殺されてはいなかった。
生きてはいたが、それは拘束されているようだった。両手を後ろで縛られ、公爵家の警備隊にガッチリと掴まれている。
「奥様!」
マーシャはエルリカを抱いたままマリアに駆け寄った。
「何をしているんですか、この方は奥様ですよ!?トパーズ公爵夫人ですよ!」
警備隊に向かい、叫ぶが彼らは困ったように顔を振った。
「旦那様の命令だ。皇帝陛下に貢女として奥様を差し出す事になった。」
殺す…訳ではなくとも、あの好色帝に差し出す!?頭おかしいんじゃないか。
好色帝イーサン皇帝。七人の妃と数百人にはのぼると言われている妾を持つ皇帝。既婚者だろうが関係なく手を出し、自ら妻を差し出した貴族は忠誠の現れと解釈する。
トパーズ公爵家はあまりいい噂を聞かないからこれくらいまでして忠誠を誓わないといけないのか。
そんな事に奥様を利用するな、このひとでなし。
ジェームズに直接は言えないが、マーシャは怒りのため手が震えた。
「マーシャ…エルリカをよろしくね。」
マリアは平然を装っていたが声が震えており怖いことは丸わかりだった。
「お…奥様、畏まりました。」
マーシャも自然と涙が出ていた。マリアとの別れと自分の無力さが悲しかった。
それから数年が経った。あの時はまだ赤子だったエルリカはすくすく成長した。とんでもない我儘娘…いや、悪女に。
エルリカ付きのメイド達はすぐに辞めていったがマーシャだけはマリアの為にエルリカの我儘にも根を上げずに付いてきた。
しかしエルリカとマーシャを繋ぐのはマリアの言葉だけでそれが無かったらマーシャもさっさとエルリカ付きのメイドを辞めていただろう。
マリアの娘であるからマーシャは必死に彼女に忠誠を誓おうと努力した。しかしどう頑張っても彼女に忠誠を誓うのは無理だった。
一生彼女についていける自信がない。なら結婚適齢期までメイドとして仕え、公爵家のツテで嫁ぎ先を見つけてもらうまでの辛抱だと耐える事にした。
(奥様、どうしたら貴女からこんな娘が生まれるのでしょうか。申し訳ありません、貴女の言葉通りお嬢様にお仕えしていますがどうやら無理そうです。)
******
マリアはジェームズによって皇帝に差し出された。
「煮るなり焼くなり、妻を好きにしてください。それが私の忠誠の現れです。」
ジェームズはそう言ったのだ。
(やっぱり狂ってるわ。)
そんなことは今更だ。
後宮内に与えられた部屋は公爵夫人の部屋としては狭かったが実際に公爵邸で与えられた部屋より広かった。
(皇帝が部屋に来るとしたら今夜…ね。)
正直一生放っておいてほしいが公爵が差し出した貢女、記憶に残っているだろう。
妃ではない女…ましてや貢女は後宮の敷地からは出られない。警備も厳しい為逃げ出すのは不可能だろう。
(いや、逃げ出してトパーズ公爵家の家名に傷をつけてみるか?)
そしたらあの男もただじゃ済まないだろう。
部屋で考えていても息が詰まる。久々の外だし、ここは外出禁止ではない為後宮の庭園を散策していた。
その庭園に一人、佇む人を見つけ思わず声をかけてしまった。
「こんにちは。」
相手はこちらに気づくと会釈した。まだ若い男性だった。
「良い天気ですね。」
「そうですね。」
特に用もなく話しかけてしまった為話題に困るかと思ったがまだ自己紹介もせず天気の話に持っていってしまったので自己紹介に話題を戻そうする。
「私はマリア・トパーズです。今日後宮に入ったばかりでして、貴方は後宮に詳しいのですか?」
「トパーズ公爵夫人でしたか。私はジョージ・スピネルと申します。申し訳ありません、私も今日初めて後宮を訪れまして。」
ジョージは私の自己紹介を聞いて私をじっと見つめた。何故公爵夫人が後宮に入っているのか。
ジョージのように来訪したのではなく、住人としてやってきたのだから。
「宰相閣下に会いにきたのですが閣下は皇后陛下と会談中らしく、ここで暇を潰しているのです。」
「まぁ、それなら私と少しお話ししませんか?」
「わかりました。」
自己紹介が終わり、普通の会話に移っていく。お互い今日が初対面であり名前を聞いたのも初めてだ。
貴族であれば面識はなくとも名前は聞いたことがあることが殆どなのだが、ジョージは少し前まで平民だったしマリアもつい最近まで屋敷に閉じ込められていたので二人とも知らなかった。
「公爵夫人という立場にもかかわらず何故後宮へ?」
ジョージの質問にマリアは苦笑した。
「やっぱり気になっちゃいますよね。夫に貢女として皇帝陛下に献上させられる事になりまして。」
そんな絶望に打ちのめされていてもおかしくない状況でマリアは至って普通だった。取り乱したり、悲しんだりすることもなく。
「そ…そうなんですか。」
ジョージは言葉が出なかった。それほどに衝撃の強い内容だったからだ。マリアの平然とした態度もこれほどの衝撃を与えた要因の一つだろう。
「先日、娘が生まれたんです。いつか娘が大きくなり、スピネル卿と会うことがありましたらその時はよろしくお願いしますね。」
「ええ、その時は。」
いったい何年後になることやら…とジョージは思った。しかしかつての想い人から見ればマリアの娘は姪にあたり、もし生きていて結婚などしていたら今目の前にいる人は義姉だった筈だ。
もしかしたらそんな未来もあったのかもしれないとジョージは思った。
「あっ…そろそろ行かれた方がよろしいのでは?」
マリアが指差す先にはレヴィがこちらに向かってきていた。
「そのようですね。また今度。」
ジョージはその場から立ち去ろうとした時、マリアが引き留めた。
先程立ち去るようにと促した本人であるというのにどうしたのかとジョージは足を止めた。
「スピネル卿、身勝手なお願いではあります。娘を…あの男から助けてやってください。」
貴女が助ければいいのではないか?…どうでもいい人物に対してならジョージはそう返していただろう。
しかしマリアは見て分かる通り娘をジェームズから助け出すにしては力不足だ。
「もし、その時が来ましたらお手伝いいたします。」
そう言ってジョージは立ち去った。遠くない未来、ジョージはジェームズを殺すだろう。目的は違えど娘を助け出す事にはなる。
マリアには酷な話かもしれないが、その時が来るまでは辛抱してほしい。
******
その日の夕方、まさにマリアの部屋に皇帝が訪れようとしたその時だった。
マリアが後宮の塔から身を投げたのは。
皇帝のものになるのが嫌で命を絶ったものと思われる。イーサンはこの事で激怒し、忠誠の現れだったはずの貢女は結果的にトパーズ公爵家の家名に傷を付けることとなった。
ジョージは何故あの時、マリアの言葉の真意に気づかなかったのか…と少し後悔した。
何故自分にだけ助けてと言ったのか。初対面の自分に。そこまで追い詰められていたということなのだろう。
他力本願な人…と受け取ることもできたが彼女が身投げしたことで分かった。元から死ぬつもりで娘は自分で助けられないからジョージに託したのだ。
(なんて賭けをするんだ。)
もし喋っていたのがジョージではない他の誰かだったから助けようなんて思ってくれなかったかもしれない。
ジョージはジェームズを殺す時は目の前の宿敵を殺すことだけを考えており、その娘のことなんて気にも留めていなかった。
しかし復讐が終わり、マリアにエルリカを助けてくれと頼まれていたことを思い出した。
かつての想い人の姪だ。酔狂な気まぐれかもしれないが死んでしまったマリアの為にも、娘のエルリカを助けたいと思った。
しかしジョージがトパーズ公爵家を潰した後エルリカは奴隷商人の手に渡っており見つけることはできなかった。
(もしかしたら国外に売り飛ばされているかもしれない。)
エルリカの捜索を諦めようとしていた時、一つの情報が入ってきた。
とある男爵家の支援によりフローライト学園に通っているエルリカという女子生徒がいることを。
そしてその女子生徒が学費の滞納で退学の危機に瀕していることを。
助けようと思った。かつて恩人がしてくれた事と同じように。




