悪女の恋煩い
僕は人である前に皇帝だ。皇帝はいついかなる時でもその言動に責任が生じる。国を背負う立場なのだから当然だ。その責任は皇帝のみならず、皇后、皇妃、皇室の全員に生じる。だから今回の皇后の行動は見過ごす訳にはいかない。皇妃達が住まう後宮の動きに変化があったのは側室を迎える当日だった。
トパーズ公爵が皇后の元に訪れた。側室に薬を盛り妊娠出来ない体にするそうだ。皇后に仕えさせている侍女全員が僕の諜報員として皇后の監視をしている。部屋から人を追い出したとしても天井や壁、至る所に隠れているのだから皇后達の悪巧みは全部筒抜けだ。側室の侍女にトパーズ公爵の息がかかったものが配属されることになった。ここで何かしら阻止したら怪しまれるので不自然な配属を無視して、公爵の息がかかった侍女を懐柔し側室には薬も何も入っていない食事やお茶、菓子を食べさせた。
(自らことを起こしてくれて助かった。これを理由にトパーズ公爵家を没落させることが出来る。)
力を持ちすぎた貴族ほど国にとって不安要素はない。すぐにでもトパーズ公爵の力を削ぎたいと思っていた。このまま放置しておけばトパーズ公爵とその他の貴族の格差が広がっていくだろう。その前になんとかして阻止したかったが、丁度いい理由を作ってくれた。
側室に薬を盛ろうとした罪でトパーズ公爵の家格降格、財産土地の没収、皇后を廃妃。
(うまくことが運んでくれてよかった。まさかあれほどまでに簡単に侍女を懐柔できるなんて。)
そのおかげでトパーズ公爵の実態がつかめた。一見、大勢の人がトパーズ公爵の派閥についているが、トパーズ公爵の権力に群がる烏合の衆だということがわかった。
トパーズ公爵と皇后の件を考えるのがひと段落した時、先日の皇妃宮に訪れた時のことを思い出した。
相手は嬉しさを隠し切れていなかったのに対して自分はあの時でさえ気持ちが高ぶることも何か感情を抱くこともなかった。懐妊の報せを聞いても特に何かの感情が湧く事も無く出産まで絶対安静、不要な外出は控えるようにと言伝したまでだ。第二皇妃はどんな顔だったか…自分は覚えようともしなかったのだな…。
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「皇妃殿下に会わせて。」
「それは出来ません。皇后陛下。」
第二皇妃宮の門の前、皇后と皇后の侍女達が門兵と言い争っていた。
「何故?門を開けなさい。命令よ!」
「誰も許可なく通すな、と陛下のご命令です。」
(また…これか…。これなのか…。)
学園の時の豚女を陛下が庇う姿が脳裏をよぎる。今回は私は認識されているのかしら。彼の事を考えると心踊り、胸を締め付けられるような痛みが伴う。まさに恋してる。誰がどう言おうと、恋して…その恋心は愛情に変化した。痛みも彼を考えたからと思うと心地よいものになる。そこに他の女が現れさえしなければ、たとえ認識されなくてもこの愛情を側で育み続ける。だから、他の女は消すわ…私の前から陛下の前から。
「騒がしいです、何事ですか?」
門が少し開き、皇妃が顔を覗かせた。それを私は見逃さなかった。
「お姉様!お久しぶりです!最近会えなくて心配してましたの、少しお話しできないかしら。」
「皇后陛下、どうぞお入りください。」
門兵も侍女達もあまりの出来事にオロオロしている。ここで皇后を追い返したともなると皇妃の皇宮内の評価は落ちる。皇妃も少しくらい喋るだけならいいだろうと、中へ入れた。
「お姉様、ご懐妊おめでとうございます。」
部屋に入ると門前での元気の良さはなくなり、落ち着いた声色になった。
「ありがとうございます、皇后陛下。」
本当に妊娠しているのかわからないくらい体の変化はなかった。
(でも…その中にいるんでしょう。彼との子が。)
「お姉様、お祝いにお菓子を持ってきましたの。是非今、食べて感想を聞かせて。」
「申し訳ありません皇后陛下。妊娠してから食事制限がありまして。」
「そうなの…残念だわ。」
しばらくの沈黙が続く。皇妃はふと、皇后の顔を見る。エルリカの目には光が灯っていなかった。ガタガタと手が震える。
「お姉様は羨ましいわ。」
手の震えが大きくなる。
「陛下に守ってもらえて…。」
震えが全身に広がる。
「それにご懐妊するなんて…。」
皇后は笑っていた。目に光が灯っていない満面の笑み。その顔には狂気しかなかった。
「え?」
皇妃の低い声が部屋の中に響いた。そして次の瞬間耳が痛むほどの叫び声をあげた。
「きゃあああああああああああああああああああ」
腹を抱えながら床でバタバタともがいている皇妃を上から眺めていた。皇妃の腹からは血が流れ出ていた。
腹に突き刺したナイフを抜き、もう一度刺す。一度目に刺した傷口から血が溢れ、新しく刺した箇所からも血が溢れている。
「ドレスが血で汚れちゃったじゃない。」
私の手は真っ赤で全身返り血を浴びていた。笑顔は張り付いたままで、クックックと笑いが漏れる。
叫び声を聞いて侍女や兵士達が部屋に入ってくる。侍女達は叫び声をあげて、兵士は私を取り押さえた。
その時には床でバタバタもがいていたはずの皇妃はおとなしくなっていた。
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取り押さえられた後、私は牢屋に入れられた。惨めだ。凄く惨めだ。あの時は冷静じゃなかった。あの女を殺さないと、という焦燥感が私を駆り立てた。
結局あの女はお腹の子供と仲良く死んだのだが、私はスッキリなどしなかった。
「どうして私はここにいるの?」
私の声だけが牢屋に響く。どうしてここにいるかだって?それは私があの女を殺したからだ。もう少し、慎重になっていれば…お父様の忠告を聞いていれば…あの女を殺さなければ…。色んな可能性が浮かんでくる。今更後悔したって遅いのに。
「私は幸せになれたのかしら…。」
もし、殺さなかったら…。幸せになれた…?
無意識に涙が頬を伝う。私はなんて事をしてしまったの。許されない罪を犯してしまった。今まで自分で手を下したことなんてなかった。だから分からなかった、死という重さを簡単に殺すという言葉を口にしたこと。
「嗚呼。」
私は自分の手を見る。手は血だらけではなかったがまだ血の匂いがこびりついている。この手は汚れてしまった。
「出ろ。」
兵士が牢屋の扉を開けそう言った。
牢屋の外に出ると、手錠と足枷をつけられて引きずられるようにして歩いた。
これから私は処刑されるのか。自身の前に迫った死の恐怖で頭がおかしくなりそうだ。嫌だ、死にたくない助けて。思わず口に出そうになった言葉を飲み込み前を向いて歩いた。私は皇后なのだからせめて最後だけでも皇后の名に恥じないように堂々としていよう。
「最後に父の顔が見たいです。」
人生最後の願いにドレスでもアクセサリーを願うわけでもなく、お父様に別れの挨拶をしたいと私を連行する兵士に頼んだ。
「何を言っている。トパーズ元公爵は先日処刑された。」
「え?何ですって。」
私に死刑判決が下る前に形だけの裁判が行われた。私が無実になるわけではないが公正さに欠けるらしい。
そこで私は真実を話した。嫉妬に狂い皇妃を殺した事、皇妃を妊娠出来ない体にするために薬を盛った事。だが、私はひとつだけ嘘をついた。これは全部私の独断で単独犯であるということ。身分剥奪は逃れられないがお父様に生きていて欲しい…だからお父様は殺さないでほしいと頼み、裁判長はそれを飲んだはずだ。
「何でお父様が殺されるの⁈お父様は死刑を免れたはずじゃ…。」
「皇妃殺害の共犯者だ。死刑は当然だろう。」
「嘘よ!死刑は私だけよ!」
私が暴れ出したので他の兵士達に地面に押さえつけられる。
「嘘よ…。」
顔には打撲痕がつき口の中に砂が入って奥歯を噛みしめるとジャリっという音がした。
鉄格子のついた馬車に乗せられ帝都の広場で降ろされた。広場の真ん中にある火刑台に向けて私は引きずられた。
「悪女め!」
「死んじまえ!」
民衆達が私に向かって石を投げる。体中に当たって血が滲んでくる。痛みなんて気にならなかった。お父様がもうこの世にいないなんて…と呆然としていた。火刑台に縛り付けられ油が撒かれる。
(お父様、私も今からそちらに向かいます。)
火がつけられあっという間に火は私の肉を焼いた。人々の怒号も炎の音でかき消されていく。自身の焼ける匂いに包まれながら彼の事を考えていた。
(私…とうとう最後まで愛されなかったわね。)
わかっていた事だ。私は幼き日庭園で出会った皇太子に恋した女の子を呪った。




