皇太子の憂鬱
僕は生まれた時から皇太子という位を授かっていた。この世に生を受けた瞬間から人生は決まっていた。まぁ、別にいい。受け入れている。自由がないから自分の人生にも興味がない。何代も受け継がれてきた皇帝という人生を辿るだけだ。
姉3人、弟6人、妹2人、父1人、母7人、という家族構成。
勿論実母は1人だ。
物心ついた時には母はおらず、未来の皇帝を育てる為に教育係の大人達に囲まれていた。しかし、僕は大抵のことはできてしまうらしい。7歳になる頃には皇帝になるまでに習得するはずの教育過程を終了していた。与えられた年相応の自由。色々制限はあるが勉強を強要されることはなくなったが、自由の謳歌の仕方を知らない。
何にも興味を持てない。同じく制限がある姉や弟達も何かしらに興味を抱いている。自分だけが異質なのだと感じた。自分の目には人も石も花も全てが同じ。ただそこにあるもの。いつしか世界の全てを自分の視界から除外していった。
10歳になった時唐突に婚約者が決まった。婚約者となれば嫌でも興味が湧くだろうと思っていた。婚約者である彼女こそが異端な自分を正しい姿に、何かしらに興味が持てる普通の世界に連れ出してくれると思った。結果は変わらなかった。彼女にも興味は湧かなかった。ただそこにあるものという以外僕は認識できなかった。婚約者の席に座っているのが石ころでも同じだっただろう。
だが、この頃からひとつ変わったことがある。今まで自分は、機械のようだ、人形のようだ、と散々な言われようだったが愛想をつけることにした。すると、様々な人が自分へ寄ってきた。勿論、興味が湧くわけではないので深く踏み込むことはせず表面上の薄っぺらい関係を築いた。
そして、異質で異端な変な自分を受け入れることにした。皇太子として未来の皇帝としてという大義名分のもと行動すると、さも自分は血の通った普通の人間のように見える。しかし本質は何も変わっていない。
きっと将来は外政、内政に目を配り妻を迎え世継ぎを産ませ慈悲深く時には冷酷な統治者という機械になるのだろう。自分のことなのに興味がない。自分はとんだ化け物だと自嘲した。
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「おめでとうございます、お嬢様。」
マーシャはいつもと変わらず淡々と祝福の言葉をくれた。明日、私は皇宮入りをする。それに伴いメイド達は公爵家に戻ったり何処かに嫁がせたりする。皇宮には別の侍女がおり、家のメイド達は皇宮入りできない。マーシャも私の皇宮入りを機に嫁ぐことになった。
「ありがとう。マーシャ。」
マーシャは今までよくやってくれた。私の手となり足となり、殿下に近づく令嬢を排除してくれたのだ。マーシャ以外メイドは最後まで残らなかった。今、部屋にはマーシャと2人だけ。学園の基本在学期間は2年。任意により在学期間を延長することができる。私は2年在学し、社交界デビューを果たし同時に結婚する。
私はこの2年、殿下に振り向いて貰おうと奮闘した。勿論、殿下に近づく令嬢を排除することも並行して行った。
結果は惨敗。殿下は振り向いてくれるどころか変わらず私を認識しなかった。
これから夫婦になるというのに。ただの夫婦じゃない。国を治める夫婦なのだ。
「お嬢様なら幸せになれます。」
マーシャの根拠のない励ましが私の心を抉った。
「家に、帰りましょう。」
私はそう呟いた。ここでマーシャを怒る気力がない。私は2年ぶりの我が家に帰るため重い腰を上げた。
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「お父様!」
「エルリカ、卒業おめでとう。そして、皇宮入りおめでとう。」
屋敷の前にはお父様と使用人全員が待っていてくれた。
「さぁ、中に入ろう。」
「はい、お父様!」
エルリカが屋敷の中に入った途端、出迎えていた使用人達は強張った顔が緩んだ。やっとあの令嬢が屋敷から居なくなると思うと顔がにやけてくる。しかもいい事ににやけているのがバレても、皇宮入りが嬉しいのだと言い訳ができる。
エルリカは無理難題を命令したり、旦那様が甘いのをいいことに使用人達を虐めドレスやアクセサリーを買い漁りそのしわ寄せは使用人の給与という形で表れた。
(都合のいい言葉を並べて言うことはいはい聞いていたらいいところに嫁げる事になったわね。)
マーシャはこれからの悠々自適な生活を思い浮かべながら伸びをした。あんな女を嫁にもらう事になる皇室には同情しかないし、皇后としてやっていけるわけない。皇帝は非常に優秀だと聞くし、昔から天才だの神童だの騒がれていたから大丈夫だろう。鼻歌交じりに寿辞職の辞表を提出しに行くのであった。
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こんなに近くで彼を見るのは初めてだ。私は彼の隣に立ち皇后の冠を頭に乗せて、彼は皇帝の冠をかぶっていた。
「新皇帝陛下万歳!新皇后陛下万歳!」
「新皇帝陛下万歳!新皇后陛下万歳!」
国を挙げて私たちの結婚を祝福してくれている。
でも、私の心は満たされていなかった。隣に妻がいるというのに、一度もこちらを見ない。
「陛下。」
私は隣にいる彼だけに聞こえるように囁いた。
「やっと一緒になれましたね。」
返事は返ってこない。こちらに見向きもしない。皇帝陛下万歳、皇后陛下万歳、という歓声がすぐに私の声をかき消したのだろうか。
「陛下。」
今度は少し大きな声で話しかける。チラリと彼の顔がこちらを向く。今までの努力が報われたような気がして頰が赤らむのが自分でもわかった。彼の目に映る自分は頰を赤く染めているだろうと思った。
しかし、彼の視線は私を通り過ぎた。まるで私なんていないように、空気のように視認出来ないかのように。それは滑らかに当たり前のことみたいに私を捉えなかった。
視線を移す時のぼやけた背景に対する扱いに、先程報われたような気分に浸っていた私は絶望のどん底に突き落とされた。
彼は何事もなかったかのように国民達に手を振る。私も先程の絶望を飲み込んで皇后として、手を振る。涙が溢れそうだった。
(泣いては駄目。国民達が見ている。せめて、皆の前では幸せな夫婦を演じなくては。)
皇宮の庭園で出会った時からずっと欲しかったものが手に入ったのに。いざ手に入ると、それは憧れていたものとは全然違って本当に欲しかったものかわからなくなってくる。彼に愛されるどころか見てくれてもいない。
「私が望んだのはこれじゃない。」
私は呟く。彼には聞こえただろうか。どちらでもいい。聞こえていようが聞こえてなかろうが彼には関係ないのだから。
冷たい瞳をしていても心の奥は暖かいと信じていた神様は実際は無機質のような冷たさで暖かくなんてなかった。
それでも自分の信じたものを曲げないように、否定したら私の積み重ねてきた物が崩れてしまうから自分に言い聞かせて暗示をかけた。
(彼は皇帝よ。時には人の心を捨てなくてはならない。)
もう、涙は溢れ出しそうじゃない。皇后に相応しい気品漂う笑みを彼に向けた。
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「すぐに側室を迎える準備をしなさい。」
「しかし、ルイス陛下。まだ婚姻が終わったばかりではありませんか。皇后がそれを許すわけありません。」
「トパーズ公爵家から皇后を輩出した。それだけでトパーズ公爵には他の貴族よりも遥かに権力を持ったというのに、世継ぎまでとなると貴族社会は完全に崩壊してしまう。側室はトパーズ公爵とは別の派閥の貴族から輩出し、世継ぎを産んでもらうことにする。」
「そうですか。畏まりました。すぐに迎え入れる準備をいたします。」