悪女の特別
入学式、壇上で入学生代表のスピーチを終え私は一礼する。客席からは拍手の音が聞こえ、あまり悪い気分ではない。私は自分の席に戻りながら目でルイス殿下を探していた。殿下は皇族専用の席に鎮座しており、やはりその目線は私の方には向いていなかった。
入学式後の入学祝いのパーティーでは新入生が在校生との交流の場である。婚約者や恋人がいる者はエスコートしてもらい、共にダンスを踊る。私はダンスどころかエスコートすらされなかった。
その様子を見てクスクス笑う者もいれば同情し、ダンスを申し込む者もいた。
(殿下以外の方とは踊りたくない。仮に踊るとしても殿下が最初よ。)
私に同情し、我が公爵家に恩を売ろうという魂胆が丸見えの申し出を断り続けた。
会場内では殿下から付かず離れずの距離で後をついて周り、殿下に近づくご令嬢をすぐさま会場から追い出し人前に出られないほどドレスを切り裂き池に突き落としたりもした。実行犯は私のメイドだから私が直接の犯人になることはないし、死人が出たとしても公爵家の権力で揉み消せばいい。
パーティーが終わる頃には殿下に近づく令嬢はいなくなり、15人ものご令嬢を殿下に近づくなと警告しなくてはならなかった。
******
授業開始日。午前の授業が終わり昼休みになっていた。取り巻きの令嬢A、Bが私の元へとやってくる。
「入学早々、○○家のご令嬢、調子に乗っていると思いません?」
「確かに。エルリカ様を蔑ろにしているようですわ。エルリカ様、ここはひとつ制裁を加えませんこと?」
令嬢A、Bの個人的な恨みだろうが寮生活サポートのメイド達は授業に連れてこれないので暇していたところだ。
「私を侮辱した罪、重いですわよ。」
新たな虐めの対象が出来て丁度良かった。
昼休みの食堂には大体の生徒がいた。その中に○○令嬢はいた。膨よかな大人しそうなご令嬢は山盛りの昼食が乗ったトレーを持っていた。
「ちょっと!○○嬢!エルリカ様を侮辱するなんてどう言うおつもり?」
令嬢Aの甲高い声が食堂中に響き、〇〇令嬢はトレーを落としそうになる。
「ちょっと、聞いているの!?」
令嬢Bが〇〇令嬢の持っていたトレーを叩き落とす。床に昼食がこぼれ落ち〇〇令嬢のドレスに飛び散った。
〇〇令嬢は涙目になり、私も令嬢A、Bも彼女より家格が上な為貴族のルール上〇〇令嬢は私達に反論できない。この貴族社会は身分が上の者が絶対ルール。社交界にデビューする前の令嬢、令息が集まるこの学園でもそれが適用される。
食堂の一角にルイス殿下とその側近達がいることに気づいた。
(このエルリカ、あなたの前で悪を断罪しますわ。)
〇〇令嬢が私を侮辱したのかは定かではないが、この場全員に〇〇令嬢が私を侮辱したことになっている。
「身に覚えがありません。」
小さな声で〇〇令嬢は否定するが、近くにいた者がかろうじて聞き取れたくらいで少し離れたところから見ている野次馬達には後ろめたくてモゴモゴしているようにしか見えないだろう。それをいいことに私は〇〇令嬢に叫ぶ。
「さあ、今!この場で誠心誠意謝罪なさい!そうすれば自主退学くらいで済むのではないの。」
ここで変なプライドで謝罪しないとなると〇〇令嬢の家を潰すことになる。〇〇令嬢が膝をつこうとしたその時だった。
「この令嬢が侮辱したという証拠はあるのか。」
〇〇令嬢を庇うようにして間に立ったのはルイス皇太子だった。私の頭は真っ白に目の前は真っ暗になる。皇太子の側近の生徒たちも〇〇令嬢側に立っていた。
「証拠はありませんけど、その令嬢が言った事実はありますのよ!」
令嬢Aはそう言ってなんとかこちらが正義かのように言う。
「正義の執行人面はやめなさい。」
ルイスは冷たく言い放つ。その言葉が鉛玉のように胸の奥へと入っていった。決してスッと入ったわけではない。無理矢理押し込まれているような不快感が伴う。
「具体的にはどのような侮辱をされたのだ。」
「そっそれはっ…。」
令嬢Aが言葉に詰まる。ルイスの突き刺すような視線で令嬢Aは固まってしまう。周りの雰囲気も、こちらが加害者であちらが被害者というような感じになっている。権力のある公爵令嬢と皇太子、どちらにより信用があるのか。それは一目瞭然だった。
その時私は重大なことに気づいた。〇〇令嬢はルイス殿下に庇う対象として認識され、令嬢A、Bは加害者として認識されている。その加害者への視線が私に向いているものではないということに気づいてしまった。私は加害者としても認識されてはいなかった。実際に、彼の言葉は令嬢A、Bに向けてのものだった。
「私のプライドに関わることですの!公衆の面前で私がどのような言われをしたかなど晒すのは私のプライドが許しませんわ!」
そう言うと私はドレスの裾を掴み足早に食堂から立ち去った。
「エルリカ様、お待ちを!」
令嬢A、Bが私の後を追いかける。私は食堂を出るまでは毅然としていたが食堂を出ると段々顔は下を向き、歯は唇を噛み切りそうなくらい噛み締めた。
「エルリカ様!」
「エルリカ様!」
令嬢A、Bが駆け寄ってくる。
「もう二度と私の前に現れないで。」
悔しい。豚女は庇う対象として、この2人は加害者として認識されたのに私は認識されなかった。
「エルリカ様…?」
「聞こえなかったの?私の視界に入らないで。」
令嬢A、Bはおずおずと私の視界から消える。手を握りしめていると爪が手のひらに食い込んで温かい血液が滴った。
(悔しい。)
その感情だけが私の頭の中に存在していた。
彼は全てのものに等しく認識しなかった。彼にとって世界はどうでもいいものだった。彼に特別は存在しない。なら、私が彼の特別になりたかった。婚約者になれば特別になれると思っていた。結婚すれば彼の大事な人になれて、子供を産めば彼の全てになれると思っていた。…なれると思っていた。なると決めていた。
私は彼にとって空気と同じで目に見えない。
婚約者という記号のついた女でしかない。
庇う対象にも、責める対象にもならなかった。加害者としてでもいいから彼に見てもらいたい。認めてもらいたい。
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「殿下、助けていただいてありがとうございました。」
「いや、いい。あそこで傍観していれば皇太子として恥すべきことだった。」
その言い方は冷たく、皇太子して動いたまでで私個人として動いたわけではないから勘違いするなと言っているようなものだった。〇〇令嬢が気づくわけないが。
エルリカが去ってから静まり返っていた食堂だが、またざわざわとし始めた。
「それにしてもエルリカ嬢は自分が裏でなんて呼ばれているか知らないのだろうな。」
「悪女…と。」
食堂にいたほとんどの生徒がこのような会話をしていた。彼女がメイドや皇太子に近づく令嬢を虐めていることなど周知の事実。そして生徒達は大人の貴族達と同じことを言うのだ。
「こんな人が未来の皇后なのかと。」