悪女
誰が最初に言い始めたのだろう。彼女が悪女だと。権力を振りかざして悪逆非道な虐めを行い、財産を浪費した。その女の名前は、エルリカ・トパーズ。サファイア帝国、トパーズ公爵家の令嬢で未来の皇后だ。
「ねぇ、殿下を呼んで頂戴!」
エルリカはお付きのメイド、マーシャにそう叫んでいた。皇宮で開かれた、エルリカと皇太子ルイスの婚約パーティーでのことだった。
ルイス10歳、エルリカ9歳。小さな婚約者誕生を大人たちは囲んで勝手に喜び、祝福していた。しかし、婚約者同士だというのにパーティーの席は遥か彼方。一言も喋れていない。
「大変失礼ながら、殿下は皇族。お嬢様から出向くべきでございます。」
他のメイド達はその様子をハラハラしながら見ていた。マーシャはエルリカのお気に入り。ワガママ令嬢に意見できる数少ない人なのだ。
「フンッ。まあ、いいわ。婚約者同士になったんですもの。これからいくらでも喋れますし、結婚して2人で愛を育むんですものね。」
皇太子ルイスのことになると、エルリカは慎重になる。この婚約は皇宮でエルリカがルイスに一目惚れし、父のトパーズ公爵に強請りに強請ってやっと婚約にこぎつけた。
それにしても何故エルリカはこんなにワガママに、悪女になってしまったのか。それは悪女が生まれた時に遡る。
トパーズ公爵とその奥方との間に遅くに生まれたエルリカ。トパーズ公爵家は死産や流産に幾度も見舞われてやっと無事に産まれた子供だった。
奥方は不慮の事故で亡くなったが、父であるトパーズ公爵に甘やかされて育った為ワガママ放題に育った。
たしなめる人がいなかったのも問題だが、何でも言うことを聞く召使いばかりがエルリカの周りに配属された。
マーシャも甘言だけを垂れる召使いの内の1人だ。
エルリカに無礼が無いように助言はするが、基本エルリカの言うことには頷くだけだ。エルリカの家庭教師も嫌気がさして3日も経たずして辞めてしまう。
こんな者が未来の皇后になれるのか。その心配は貴族の誰もが思った。しかし、トパーズ公爵の権力は強い。
皇室も婚約の申し出を無視できない。結果、皇室はまだ婚約者がいない皇太子を差し出すことで国の分裂を防ぐしかなかった。
当の皇太子本人は悲しむ訳でもなく、喜ぶ訳でもなく、ただ興味がないというように無関心だった。
******
やめて、そんな目で見ないで。私、エルリカ5歳。ただ、屋敷の廊下を歩いているだけなのに使用人達の視線を掻っ攫っていた。
私はこの屋敷の主人の娘、まず無視するなんてできないけど私に注がれている視線は憐れみのそれだった。
早くにお母様を亡くされて可哀想に…とか、お父様は仕事が忙しく、いつも1人で…とかの同情だろうか。
ふざけないで。私は使用人ごときに同情される人間ではないわ。公爵令嬢よ、貴族の中でも最高位の公爵の娘、
お前達が簡単に憐れられる存在じゃないのよ。
その怒りは時間が経つほどに膨れ上がった。
「マーシャ、鞭を持って来なさい。とびきり上等な、痛みが残るやつよ。」
「畏まりました。」
私は鞭を持ったマーシャとその他のメイドを引き連れ下働きが働く部屋へ入った。
使用人の中でも底辺に位置する下働き。奴隷商人から買い取った人間をここで働かせている。こんな汚らしい場所普段は来ないが、私の怒りを解消するにあたって都合のいい場所はここしかない。
「マーシャ。」
名前だけ呼ぶ。それだけで彼女は私の言うことをわかっていた。
彼女は鞭を振り上げ下働きの女に打ち付けた。何度も何度も。
「おやめください、おやめください。」
下働きの女はそう言って懇願していた。
「アハハハ!!これはあんたには勿体無いくらいの上等な鞭なのよ。有り難く受けなさい。」
「どうか、お許しください。このままでは死んでしまいます。」
他の下働き達が私に許しを請うて来た。
「私に口答えする気?生意気なのよ!死んでも構わないじゃない。また新しくお父様に買ってもらえばいいわ。」
下働き達の顔が青ざめる。
人間のすることじゃないとでも思っているのだろうか。
私は公爵令嬢、あんたたちは下働き。そもそも、奴隷は人間じゃない。
私と対等ではないのだから何をされても文句は言えない。私は気分が晴れるまでマーシャに鞭を打たせ続けさせた。
******
それは私が9歳の時だった。お父様の仕事で、皇宮へ行った。お父様達の政治の話を聞くのは難しいので、庭園を散歩していた。色とりどりの花が咲き乱れており、花の香りでむせ返りそうだった。
花の香りにつられて蝶がひらひらと飛んでいた。蝶は私の指を花と勘違いしたのか、それとも、先程まで来た道の花をむしっていたので花の蜜でも付いていたからかは知らないが指に止まった。
私は指に止まった蝶を掴むとその羽を千切った。蝶は羽を千切られても必死に飛ぼうとするが千切れた羽で上手く飛べるはずない。
「私と一緒ね。どこにも行けない。」
地面でバタバタする蝶を靴の踵で踏んづけた。グシャリと潰れる音がして足を上げた。
そこには無残にも蝶の残骸があった。
地面から顔を上げるとそこには、深い青色の髪と同じ色の瞳があった。同年代の子と会うのはこれが初めてだった。
彼は私が見えてないかのように通り過ぎて行った。こんな扱いを受けたのも初めてだった。私は公爵令嬢として今まで生きて来た。誰からも無視された事なんてなかった。
ここで怒りが湧いてくるはずだが、不思議とそんな気は起こらなかった。不思議だ。彼は確かに私を無視したが、怒りなんかよりもその瞳に吸い込まれそうになった自分がいた。不思議な体験をしたのだ。
「エルリカ、こんな所にいたのか。」
お父様は仕事が終わったのか私を迎えに来た。
「お父様、青い髪と瞳の方は誰?」
もう、この場に彼はいなかったがお父様には誰だか分かったようだ。
「あぁ。その方はルイス皇太子殿下だよ。」
「こうたいし…でんか?」
とても偉い人だということだけはわかった。年下な筈なのにお父様が尊敬しているとわかるような言い方だったし、纏っている雰囲気が他の貴族とは違った。
あの人はとても綺麗だと思った。確かに美形ではあったが、顔の美しさではなく彼を取り巻く全ての物が清く、美しく、それはまさに皇太子という位に収まらず神様でも見ているようだった。
この時から私は彼一点だけを見つめるようになった。私の世界に彼以外必要なかった。
「お父様、私皇太子殿下と結婚したい。」
私の世界が彼に支配されてから、そう考えるのに時間はかからなかった。彼にも私と同じように彼の世界を私で支配したかった。そうなれば相思相愛じゃないか。
私はゆっくりと彼に腐敗され始めた。
******
私も今年で12歳。学園に入学しなければならない。
皇族や貴族の子息、令嬢が通う『学園』。社交界にデビューする前に学園で社交界で必要な知識を学ぶのだ。
学園に入る前に一般常識を学ぶために家庭教師をつけて勉強するのが普通だが、私の場合家庭教師は次々と辞めたり逃げたりでお父様直々に勉学を学んだ。
寮の一室、私は公爵令嬢なので部屋も特別に大きい。いや、これには殿下の婚約者ということもあるかもしれない。殿下も同じ学園に通っていて先輩になるのか。
「ねぇ、そこのあなた足がむくんできたから揉んで頂戴。」
私はソファに座ると足を差し出した。メイドがおずおずとやってきて私の足をマッサージする。
「・・・・・・・」
私は黙ったまま、マッサージ中の足を動かしメイドに蹴りを入れた。急に動いたものだからメイドは驚いてそのまま顔に私の蹴りが炸裂した。
「雑にやらないで頂戴!それでマッサージのつもり?」
「お嬢様、どうなさいましたか?」
マーシャが部屋に入ってくる。その後ろから新しいメイド達が入ってくる。学園生活のため、新しく雇ったメイド達だ。
「クビよ。クビ。あなたもう、来なくていいわ。」
マッサージをしたメイドにクビを宣告する。メイドは泣きながら部屋を退室した。あのメイドに病気の身内がいて、彼女がクビになると困ることを私は知っていた。
「あなた達、誰が入っていいと言ったのかしら。」
そして私はマーシャの後ろにいる新しいメイド達を睨みつける。
「もっ申しわけありません。」
その中の一人が小声で謝罪する。
「え?何?聞こえないわ。」
「申しわけありません!」
今度は全員で大きな声で謝罪する。
「誰もあなた達に発言の許可は与えてないわ!」
と、最初に謝罪したメイド以外のメイド達に向けて叫ぶ。
メイド達はビクッと肩を震わせた。そして私は最初に謝罪したメイドの前に立った。
「それが謝罪と言えるのかしら。誠意の見せ方ってものがあるんじゃなくて。」
メイドが青ざめるのがわかった。私は続ける。
「しょうがないから教えてあげる。額を床につけて許しを乞うのよ。」
わざわざ教えてあげたのに、それでもメイドは黙っている。
「ほら、土下座しなさい。あなたが土下座したら全員許してあげる。」
このメイドは育ちがいい。きっとプライドが高いので土下座が許せないのだろう。
「あら?どうしたの?早くしなさいよ。もしかして、できないのかしら。身分は高くないのにプライドが高いのは困りものね。土下座をするなんて屈辱かしら。確か平等の相手に頭を下げるのは屈辱よね。」
私は下を向いている彼女の顔を覗き込む。
「でも、よかったわね。私とあなた身分が違うからあなたは躊躇なく土下座できるわね!」
満面の笑みでそう言い放つと彼女は震えていた。震えながら、両膝をつく。そして頭を床つけた。
「申しわけありません。」
やっと言った言葉は震えていた。私は他のメイド達に慈悲深いような笑顔を見せる。メイド達の顔は明るくなり…
「誰が頭を上げていいと言ったの?」
土下座したメイドの頭を踏んづけた。きっと彼女達は自分が許されたと思ってしまったのだろう。私は土下座しているメイドの頭を踏みつける。
「ゔっ。」
メイドからそんな声が漏れた。
「声を出していいなんて言ってないわ。」
そう言ってグリグリと踏みつける。
「あんたみたいな汚らしい女を踏んで靴が汚れたじゃない。マーシャ、後で靴を磨いて頂戴。」
「畏まりました。」
先程まで傍観していたマーシャだが、私の命令を聞いてすぐさま新しい靴を用意し、靴を磨く用具を出してきた。
「喉が渇いた、お茶を淹れて。」
新しいメイド達にそう、命令する。土下座していたメイドは歯を食いしばりながら立ち上がった。
「まだ、あなたの謝罪は終わってないわよ。私がいいというまでそこで土下座してなさい。」
「そんなっ。」
メイドの口からそう溢れた。
「口答えするつもり?いつからあなたはそんなに偉くなったの?あなたはメイドでしょう。ご主人様の言うこと黙って聞いていればいいのよ。」
もう、メイドは何も言わずに土下座をした。
「お嬢様、お茶をお淹れしました。」
新しいメイドの一人がお茶を持ってきた。
「これ、私が好きなものじゃないわ。淹れなおして。」
「失礼ながら、お嬢様の好きなお茶は何でしょうか。」
「は?少しは考えなさいよ。普通わかるでしょう。」
「いや…わかるわけ…あっ。」
まだ出会って1時間。もう嫌気がさしたのか、口が滑ったようだ。
「申しわけありません!」
メイドは慌てて謝罪を入れるが謝罪したから何でも許されるわけじゃない。私はにっこりと微笑んだ。メイドの目には涙が溜まっていた。
「レモンティーよ。」
土下座を要求されると思っていたのだろう。そのメイドは唖然としていたが、ハッと我に返った。
「淹れ直してきます。」
そそくさと立ち去った。
私は私の命令で今も土下座の体勢でいるメイドに声をかける。
「もういいわ。邪魔だし、綺麗なこの部屋にあんたという汚れがあったら嫌だもの。」
「畏まりました。」
表情からも、口調からもこのメイドが怒っているのがわかった。
「目障りよ。下がって頂戴!」
私はそのメイドに叫ぶ。
「畏まりました。」
そのメイドはツカツカとわざと足音を立てて退室していった。
「お嬢様、お茶を淹れ直してきました。」
「ええ、ありがとう。」
私はお茶を受け取ると、口には運ばずカップごとそのメイドに投げつけた。カップは割れ、お茶はメイドにかかった。
「え。」
メイドは茫然と立ち尽くしていた。どうやらさっきのことを許したから、自分は特別扱いだと誤認してしまっていたようだ。私は許してなどいない。
「淹れ直して。」
私は穏やかな笑顔で、そう言った。
「淹れ直し。」
「淹れ直し。」
「淹れ直しよ。」
あれから3時間。持ってくるお茶を一口も飲まずにメイドに返す。メイドからはレモンティーの香りが漂っていた。
「あーあー。私、いつになったらお茶が飲めるのかなー。」
わざとらしく叫ぶ。メイドの顔にはお茶のせいでできた火傷だらけだった。
「お嬢様、何故淹れ直しなのでしょう。何処がいけないのでしょうか。」
「そんなこともわからないの?自分で考えなさいな。自分で考えないと、成長できないわよ。」
「わかりません。」
メイドは悔しそうに言う。
「ただの嫌がらせよ。」
「左様でございますか。」
そのメイドは怒りに震えながらこう叫んだ。
「辞めさせていただきます!」
「あっそう。」
私は自分の爪を見ながら、さも興味ないように言った。メイドは自分がいなくなったらメイドの数が減るので、私が困るだろうと思ったのか、先程まで怒りしかなかった顔に余裕の笑みが隠しきれていなかった。
「なら、違約金を請求しようかしら。」
「はっ⁈」
メイドの顔から怒りも笑みも消えて、困惑したような顔になった。
「ただで辞められると思っていたの?私に仕えることは栄誉なのよ。違約金を請求するのは当然だわ。」
私はそのメイドの顔を見ながら笑った。
******
「結局、初日で辞めてしまいましたね。」
マーシャは呆れたようにつぶやく。結局、あの後土下座したメイドと淹れ直しさせたメイドは違約金を払って辞めてしまった。マッサージしたメイドも合わせてたった1日で三人ものメイドが辞めた。
「メイドが気に入らなかったからお父様にお願いして新しいメイドを用意させるように伝えて。」
「畏まりました。」
「明日の予定は何、マーシャ。」
「明日は入学式でございます。入学生代表のスピーチをお嬢様がすることになっております。スピーチの原稿はこちらに。」
「これも公爵令嬢として殿下の婚約者としての務めだものね。」
「ご立派でございます、お嬢様。」
マーシャ以外のメイド5人は、怯えながら部屋の隅で待機していた。
「明日の入学パーティー用のドレスを試着するわ。準備して。」
「はいっ、畏まりました。」
メイド達全員ビクビクしながら準備に取り掛かる。
「痛い!コルセット締め過ぎよ!」
「申しわけ…痛っ。」
コルセットを締め過ぎたメイドに平手打ちをしたり
「時間かかり過ぎ、もっと早くして!」
「申しわけありません。」
「雑にやらないで!もっと丁寧にしなさい!」
理不尽に怒ってみたり
いじめをされても残ったメイド達はなかなかしぶとそうだ。これは虐めがいがある。
「じゃあ、一人一人褒めてもらおうかしら。」
そう言うと、マーシャがいち早く口を開いた。
「はい。昔からお嬢様を見てきましたが、お嬢様はスタイルがよく美貌も兼ね備えていますのでどんなドレスもお似合いです。」
やっぱりマーシャは昔から私の欲しがる言葉をかけてくれる。私は他のメイド達の方を向いた。
「あなた達は何かないわけ?」
「す…素晴らしいドレスがお嬢様の美貌を引き立てております。」
「お嬢様の美しさでしたら殿下もさぞ、お嬢様に夢中でしょう。」
「お嬢様のお姿は美の女神も羨むほどでございます。」
「お嬢様ほどの美貌と豪華なドレスはどのご令嬢を探してもお嬢様しかおりません。」
「これほどの豪華な、ドレス。公爵家の財力を見せつける素晴らしいものですね。」
「これほどのドレスを着こなせるお嬢様はさすがでございます。」
全員の感想を聞くと、私は2番目に私を褒めたメイドに向かってこう言った。
「今まで殿下が私に夢中になったことはないわ。出鱈目を言わないで!」
悔しい話、殿下が私を見てくれたことがない。初めて庭園であった時も、婚約のご挨拶に行った時も、婚約パーティーの時でさえ私を見てはくれなかった。彼の世界には私どころか、誰も映ってはいない。
(絶対に振り向かせて見せるわ。)
彼の世界に私だけは入りたい。政略結婚ではなく私が本当にあなたを愛してると伝えたい。
そんな決意を固め、出鱈目を言ったメイドに平手打ちを食らわせるのであった。