3
夜更けの丘の上に、黒い棺が立っていた。
棺は、その上に腰掛けて空を見上げる、少女の所有物だった。
星の安らかな夜。
肌寒い風が通り抜けて。
「逃げ帰る?私が?」
フェルカは笑い混じりに、リハルトを見返した。
「帰るもなにも、私にそんな場所ありませんよ」
「......」
「っていうか、私が今の生活を捨てる理由が無いですよ。衣食住、ばっちり保証されてますし」
新入りにも関わらず、クラウスはリハルトを優遇した。生き別れの兄弟だ。無理もないだろう。
しかし、リハルトがフェルカを特別扱いすることについて、クラウスもフェルカも、真意をはかりかねていた。
おそらく、リハルト自身も分からないのだろう。
そう思っていた。
つい、最近までは。
「もしかして...また何か、言われたんですか?」
リハルトには、熱心に囲っている女性がいた。本名含め、詳細は一切不明。
リハルトも生身の男だろうから、女の一人や二人がいると聞いたところで、何ら疑問はない。
しかし、フェルカはこの頃、分かってきた。
その女性と逢瀬を重ねてきた後の彼は、大抵、調子が狂っている。
「...彼女はね。僕が、君のことを悔やんでるって言うんだ」
「私は後悔してないですよ。それで解決じゃダメなんですか?」
「......」
リハルトはまた黙る。フェルカはため息を吐いてから、彼に向き直った。
「たしかリハルトさんに連れて来られて、私は赤バラに身を置いています。でも、リハルトさんと出会わなかったとしても、結局ここに落ち着いたと思いますよ」
「それは...どうかな」
「さっきも言った通りですよ。私、この国に溢れる吸血鬼の一つですもん。ゴミがゴミ箱以外に、収まるアテあると思いますか?」
「......」
少女は棺から飛び降りると、その側面についていた鎖をジャラリと手に掲げ、星空を仰ぐ。
「街を歩けば分かります。...私は蔑まれていて、私は蔑んでいる」
星の光だけが潔白な世界に、少女は両手を広げて歓迎を示す。
「強い人と弱い人。奪う人と奪われる人。傷付ける人と傷付けられる人。そういう、どこにでも溢れてることの善悪を、いちいち考えるくらいなら...虫ケラみたいに殺されない、奪われない、奪う側、傷付ける側でいられる自分であろう、って――――あの夜に、そう思ったんです」
「...!」
「あ――――強いて言うなら、ソレですか?」
リハルトの動揺を捉えたフェルカが思いつく。
「リハルトさんは、人が殺される瞬間を私に見せた、そのことを後悔してる、とか」
「......」
「まさか、人を殺したこと自体、まだ引きずってたりするんですか?」
「......どのみち...もう手遅れだ」
「ですよねぇ」
少女が笑いをこぼした横から、朝日が差し込む。
丘の上からは、まだ微睡みの中にいる、平和な街並みが一望できた。
「いよいよですね」
「......」
この国は――――もうすぐ、彼らのゴミ箱となる。