2-2b
かれらはしばらく教会の前でエドアルドの旅先について言葉をかわし、その後旅立つ父親を見送り、ハーシュメルトは広場を迂回して中央通りにでた。
「父さんは旅人なのさ」と話しながらルディアーノとふたりきりで歩きたかったのだが、通りを進むうち、少年のまわりに波のようにひとが寄ってきて、控えめなルディアーノはひとの輪の外に押し出されてしまった。
朝、外へ出たときから追尾していたハーシュメルトの側近ふたりも群衆のなかへはいってしまったので、ルディアーノはひとり取り残された。騒ぎがおさまるまで通りの端で待とうとしたが、急速に膨らんでいく輪を見て、これは時間がかかりそうだと思い、ルディアーノは中央通りの散策をはじめた。
王都アストレーヴの大通りのように幅のあるこの中央通りには、車道とその両端の歩道との境目に樹木が整然とならび、ところによって四角の花壇が配置されている。花は花壇ごとに色がまとめられ、統一された美しさがあり、活力のある樹木にはつややかな青葉が茂っている。ルディアーノはときどき植物に手を触れ、群衆から遠ざかるように花壇を渡り歩いていった。遠くまで来てみても、はっきりとひとだかりが確認できる。輪は前よりも大きくなっているようで、ルディアーノの周辺からも、あれは何か、どうやらハーシュメルトさまがいるらしい、といった声があがっており、人びとに更なる活気を与えていた。
「ハーシュさまがいらっしゃってるってほんとう? きょう、闘技場で観戦なさるのかしら。お花を渡したいわ、はやく買ってこなくちゃ、ねえ、ハーシュさまの好きなお色はなに? もう行ってしまった? 急ぎましょう、わたし近くで見たことがないの。どうにかして一言でもお話できないかしら。ねえ、まだいらっしゃる? あの集まっているのがそうでしょう?」
「きょう闘技会はなかったはずよ。急にやることにしたのかしら? 観光にいらっしゃったのかもしれないわ。明日もここにいるかしら? 待って、わたしもお花を渡したいわ! でもたくさんいただいているでしょう? 迷惑ではないかしら?」
ルディアーノが群衆まで戻ろうとして歩いていると、落ち着きのない娘たちの会話が耳にはいった。娘たちは路地を駆けて行く。花を買ってくるのかもしれない。
「わたし、握手したことがあるの! 王都まで観に行ったのよ。伯父さまが王都に住んでいてね、それで入場券を手配してくださったの。とっても気さくなかただったわ! わたしのことをかわいいって言ってくださったの! だれにでも言ってるのかしら? そんなことないわ、まわりにも女の子はいたけど、わたしにだけ言っていたもの」
「あら、わたしはお話したことがあるわよ。一度だけね。わたしの従姉が王都にいるでしょう? 会いに行ったとき従姉のお友だちからお茶会に誘われたんだけど、そこにいらしたの! 知ってる? ハーシュさまはお茶に花びらも蜜もいれないのよ。お茶本来の味を楽しみたいんですって! だからわたしもいれなくなったの」
立ち聞きをするつもりがなくても、このような娘たちの会話が四方からとんでくる。中央通りには宿が多く、窓から顔を出し群衆を指している者の姿も見られた。
人だかりの近くまで戻ってきたルディアーノは通りの端でおとなしく待っていたが、ここでもかれの名前が耳にはいってきた。今度は婦人のようだった。
「さっきお見掛けしましたけれど、あなたもうお会いになりました? まだあそこにいらっしゃると思いますけど」
「見ましたのよ、さっき、広場で」
「広場でならわたくしも見ました。教会の前にいらしたでしょう? あの男のかた誰かしらと思っていましたけれど、ハーシュメルトさまのお父さまですって。あなたご存知? 隣でそう話してるのをお聞きしましたの」
「知っていますわ。エドアルドさんでしょう?」
「エドアルドさんっておっしゃるの?」
「ええ、たしかにそうよ」
ずいぶんと情報が漏れているものだ、とルディアーノはひやひやしながら声の大きい婦人たちをふりかえってみると、5,6人集まるうちのひとりと目が合ってしまった。広場で見ていた婦人だとしたら、ハーシュメルトの横にいた自分のことも見ているはずだ。ルディアーノは面倒な騒ぎになる前に隠れてしまおうと、その場を移動した。
ちょうどそのとき、ルディアーノは自分を探していたらしいグランディオと会った。ルディアーノはひどく心配した面持ちのグランディオに屋敷まで連れ戻され、テオジールが対処しに行ったハーシュメルトがもどり次第ウォールレストを発つので、それまで馬車の中で待つように言われた。グランディオは屋敷の庭でハーシュメルトの側近グレンと話をしていた。
あの婦人たちの会話はルディアーノの行動によって途切れることはなく、いまもなお続いていた。
「ええ、たしかにそうよ」ハーシュメルトの父親の名の質問に答えていた婦人が、白い手袋をはめた手を誇らしげに振る。「エドアルド・スフォルツァさん。たしかにそういう名前だったわ。ほら、わたしの娘が王都の貴族の次男のところに嫁ぎましたから、わたしはよく王都へ行きますの。そこで聞きましたのよ」
「あら。でもそれ言ってよろしかったの? まだ未成年だからって、あまりおおやけになさらないでしょう? 最初は年齢もあやふやでしたのに。いつのまにか知れ渡っていましたけれど。いま、15だったかしら、16? 18はいっていないでしょう? 歳を聞いたとき、まだうんと子どもだと思った記憶があるわ」
「まあ! 言ってはいけなかったのね、たいへん! 罪に問われないかしら? ここだけの秘密にしておいてくださらない? でもわたし、もうちょっと知っていますのよ」と、ここで小声になった婦人にみな近寄る。「あの方、コルナに住んでいらっしゃるでしょう? コルナにおおきなお屋敷があるって聞いたことがありますの」
「あら、ウォールレストにお住まいではなかったかしら? よく見かけますわよ、エドアルドさん」
「何を言ってますの? それは間違った情報よ。ほんとうはいまでも王都にいらっしゃいますわ」
「もう王都にはいらっしゃらないでしょう? お屋敷が観光地になってしまってご近所の迷惑になるからって、王都のお屋敷を売り払って余所へ行ってしまったって聞きましたけれど」
「あらそう。ねえ、どれがほんとう?」
「わからないわ。でも、コルナじゃないの? わたくし、ハーシュメルトさまはグランディオさんの甥御さんだって聞いたことありますもの」
「テオジールさんの隠し子だって言うのは? どなたか知りません?」
「養子じゃなかったかしら。隠し子ってほんとう?」
「じゃあエドアルドさんってどなた? 父親っていうのは嘘なの?」
「そんなはずないわ。王都では有名よ、この話。ハーシュメルトさまはエドアルドさんのお子さんだって」
「疑わしいわね。どれも嘘に聞こえるわ。でも、ハーシュメルトさまはもう結婚なさってるっていうのはほんとうでしょう?」
「まだ婚約中じゃなかったかしら」
「破談になったって騒がれてませんでした?」
「それはハーシュさまに恋する支持者の流した嘘の情報」
このように延々と、至る所で、どれが真実か嘘かわからないようなハーシュメルトに関しての噂話に花が咲き、各地の婦人たちの好奇の唇によって気まま勝手に色付けされてゆくのだ。
「アーヴィン! ぼくのことはいいからはやくルディを探してきてくれ。見当たらない!」ひとの輪に閉じ込められたハーシュメルトは、年若い側近に耳打ちする。人びとを邪険にするわけにもいかず、長いあいだ笑顔で応じながらも背伸びをしたり跳ねたりして、はぐれたルディアーノを探していた。
「出られないんですよ、ちょっと娘さんがた? 通してくれませんか!」アーヴィンは悪戦苦闘している。
「ハーシュさま、いましたよ、通りの端に。ああ、グランディオさんもいますね。みなさん、押さないで、また来ますから、もう行かなくてはならないのです。すみませんが道をあけてもらえませんか?」もうひとりの側近キースは少年が押し潰されないよう、人びとを押し戻している。
その人間の性格によってはうんざりしそうなこの暑苦しい状況でも、ハーシュメルトは晴天のような輝かしい愛嬌をふりまいていた。が、ある人物の姿が目にはいると、少年の顔はたちまちひきつる。周囲の女たちも恐ろしいものから逃げるようにその人物、テオジール・クローヴィスを避けていった。
「ハーシュメルトさま、じきに発ちますゆえ、お戻りください」テオジールの顔は厳めしい。
「うん、わかった」少年は素直に行儀よく返事をすると、別れを惜しむ女たちに手を振りながらテオジールのあとを付いていった。
屋敷へ戻ったハーシュメルトは、グランディオとテオジールからの小言を聞き終えるとすぐに馬車に乗って、ルディアーノとの再会を果たした。「ルディごめん。きみをひとりにしてしまった。なにもなかった?」
「ハーシュさまはここでも人気者」ルディアーノは微笑んだ。
「まさかあそこまでの騒ぎになるとは思わなかった。いつもあのふたりのどっちかがいるからかな。ほら、テオジールはにこりともしないからね、怖がって女の子たちはテオジールがぼくの近くにいるとあまり寄ってこないんだ。グランディオは対応は丁寧でも愛想が悪いからね、敬遠する子もいる。あのふたりあれこれとうるさいからさ、きょうはアーヴィンとキースに頼んだんだ。グレンは絶対ぼくの言うこと聞かないしね。黙っててくれって言ってもかならずグランディオには報告する。アーヴィン、まだ怒られてる、悪いことしたな」と言いつつも、ハーシュメルトは悪戯をしかけた子どものように笑っていた。
馬車が移動し始めると、ハーシュメルトは窓を閉めた。次の行き先の話をしていると馬車がとまり、なにが起きたのかと外を窺っていると、グランディオとよく知らない娘たちの会話が聞こえてきた。どうやらハーシュメルトに花を渡したく、ここまで訪ねてきたようだった。
グランディオに呼ばれると、ハーシュメルトは馬車を降りた。「どうもありがとう。うん、そんなことないよ、ぼくは花が好きだし、みんなからの気持が伝わるからたくさんもらえると嬉しいんだよ。え? ぼくの好きな色? 緑なんだけど、花に関して好みはないよ。ああこれ? そうだね、きょうぼくは緑色の上着を着ているけれど、毎日緑ばかり着ているわけではないよ、たまたまだよ」
ハーシュメルトは娘たちの好意を快く受け、言葉を交わしていた。馬車のなかで声だけ聞いているルディアーノにも、娘たちの興奮した熱意が伝わってくる。どうやら泣いている娘もいるようだ。
ウォールレストの次に向かうのはジェダ、山の麓の町である。日の沈む前にジェダへ着いた一行は、ここで一晩キングの屋敷で過ごす。ハーシュメルトはウォールレストでもらった花をジェダの闘技場に飾らせた。贈り物として受け取った花をかれはよく、自身の控室や観戦場に置くのだ。
翌日ノーラルへ着くころにはすでにあたりは暗く、時おり吹く涼しげな風に揺れる木の葉のささやきが、村の眠りを見守っていた。




