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ルディアーノが屋敷へきてからはじめての休日に、ハーシュメルトたちはノーラルへむけ出発する。広場へおりるとすでに、大階段の脇にある馬車庫からハーシュメルトの馬車と、側近たちの馬が用意されていた。人通りのすくない早朝、人びとの興味に火がつかないうちに大通りをまっすぐ東へ進み、門を抜け、まずはウォールレストをめざす。
さわやかな朝を知らせる鳥の鳴き声に呼応して、アストレーヴの花々が歌っているようだ。風がはこんだ旋律に、山の緑も活気づく。王都をでてすぐ窓をあけ、ルディアーノははじめて見るアストレーヴの全貌や、周囲の色彩に魅入っていた。
ハーシュメルトはルディアーノが覗いている窓から北の山を指して、「あの城を知ってる?」とはなしかけた。
「いいえ、でもひどく崩れてしまっている。大昔のお城ですか?」ルディアーノは山の中腹の廃城を見つけ、たずねた。
「大昔というほど昔じゃないけれど、40年前まではあの城に王族が住んでいたんだ。ここからじゃよく見えないけれど、城の下に町もあったんだ。でも40年前の戦争でほとんど焼けてしまったから、新しく王都をつくったんだよ。それが今のアストレーヴさ。城下町にいた騎士と貴族はアストレーヴに、それ以外のひとは元々あったクーラントへ流れた。クーラントは知ってる? アストレーヴから一番ちかい、セザン第2の町だよ。あそこにも広い庭園がある。丘一面が庭園なんだ。有名な銅像もある。一度は見ておいたほうがいい、今度一緒に行こう」
「ハーシュさまはいろいろお詳しいのですね」ルディアーノはハーシュメルトの話を興味深く聞いていた。
「ぼくは本が好きなんだ。剣闘ばかり熱心なわけじゃないのさ。ね、きみも本を読む?」
「はい。読むのはほとんど物語ばかりですけれど。空想のお話が好きなんです」
「いいね、ぼくも好きだよ。小さいころ、エルトリアの本なんか夢中になってよく読んでたっけ。知ってるだろ? エルトリア。あの架空の世界の」
ルディアーノはうれしそうに頷いた。
「昔は信じてたなあ。じつは実際にある世界だっていろんなひとがエルトリアについて書いてて、雲の上にあるんだとか、海底の都市だとか、妖精の国だとか、はたまた古代に滅んだ国だとか。きみはいまでも信じてる?」
「はい。きっとあるって思っていたほうが楽しいから」ルディアーノは微笑んだ。
ウォールレストまでの道の途中に分かれ道があり、本道ではない道を行くと鉱山の町ザリルがある。ここで採れる鉱石が騎士の身に着ける武器防具の素材になることや、ここの闘技場でおこなった自身の興行試合での活躍など、ハーシュメルトはルディアーノが退屈しないよう語り聞かせていた。また、ルディアーノが話し始めたときは終始、彼女の音色に耳をかたむけていた。
ウォールレストに着いた翌朝、ハーシュメルトは昼の出発までの間にこの町を案内しようとルディアーノを誘い、闘技場の裏側にあるキングの屋敷を出た。ウォールレストは西の王都と東のサンセベリアを陸路で、北のジェダとサンセベリアを水路で繋ぐ交通の要所であり、道に沿って建物を並べていったというような、東西にのびる長細い街並みとなっている。町のなかでの主要道路は中央通りと呼ばれ、通り沿いには市場のある広場、闘技場、宿泊施設が集まる。
ハーシュメルトはまず中央通りから離れた路地をルディアーノと歩いた。似たような造りの四角い共同住宅は煉瓦で出来ていて、場所によっては馬車が通らないほど道が狭かった。
「ウォールレストから川沿いにずっと東へ行った先がサンセベリア。港町だよ。ルディ、世界の国はセザンのほかにリクトワール、アクリ、ロスカがある。サンセベリアにはリクトワールやロスカの商船がたまに来る。まあ、いまはロスカは来ないけどね。アクリに行くのなら、王都の南にあるコルナが近い。コルナも港町さ」
王都の外を知らないルディアーノに教えながら路地を歩いていると、ハーシュメルトは市場にむかう人びとからすれ違うたびに声をかけられ、そして知り合いがいれば、かれのほうからあいさつをした。ハーシュメルトは誰に対しても丁寧な対応をし、常に笑顔を絶やさなかった。
「応援してもらえるのはありがたいからね。ぼく、どんな気分のときでもこの顔でいられるんだ」ハーシュメルトが余所行きの笑顔をつくりながら冗談を言うと、少女はくすくすと軽やかに笑った。
中央通りの反対側から広場へはいったハーシュメルトは2人分のフルーツジュースを買い、広場に面する闘技場の前へルディアーノを連れてきた。セザンで3番目に人口の多いウォールレストの闘技場は、王都会場と比べると規模も収容人数も劣るが、それでも入口や窓枠には見事な植物模様が彫られ、正八角形の重厚な趣のある、石造建造物である。
甘酸っぱい黄色い果汁を味わうハーシュメルトは早々に広場を立ち去ろうとしたが、ルディアーノの視線がある方向にくぎ付けとなっている。闘技場の向かいにある建築物、広場を挟んで向き合うこのふたつの建物は、それ自体に心とか、意識といったものは当然ないだろうが、人間の目には、殊にセザン人の目にはこのふたつの建物が対峙してたがいに牽制、監視しあっているように見えるのだ。
やっぱり気になったか、と思いながらハーシュメルトはルディアーノを呼び、広場を横切り大階段をのぼる。「この建物だけは容認できないんだよな」かれは階段のさきにある建築物を見上げた。
「これはなんですか?」ルディアーノがたずねる。
「教会だよ。太陽神派の奴らがなかで儀式? みたいなことをやるんだ」
ロスカからはこび込まれた白い石で積み上げられたこの教会は、その昔セザンへ来たロスカ人の手で造られたと伝えられている。ハーシュメルトはウォールレストへ来るたびに、一番目に付く場所にあるこの教会を嫌でも毎回意識してしまうのだが、同時にこの厳めしくも華やかな、しかし異様な雰囲気をもつ顔に惹きつけられることもしばしばあったのだ。
まず特徴的なのが、建物の両脇にある羽のはえた人間の彫刻がほどこされている塔で、頂上には天を突き刺す槍のような飾りがついている。徹底した信仰のあらわれなのか、建物の縁やつなぎ目、扉の周囲、窓枠といったあらゆる部分に花や葉、果物の実、動物などの装飾があしらわれている。両脇に柱がある3つの扉の上部には、それぞれ動物の頭の彫刻があり、扉の前に立つ者を監視しているかのようだ。なかでもひときわ目立つのが、扇を持つ人物を象った、さまざまな色が鏤められた中央上部のガラス窓である。太陽の産声と呼ばれるこの輝きは、女神の宝石箱、聖水のしぶき、天上の砂場、神の国の木の葉などと例えられ、それはまさしく光の言語であり、聖なる書物であった。セザンの建造物ではまず見られない色とりどりのガラス窓は、ハーシュメルトだけでなく大半のセザン人の関心をひき、不愉快ではあるが圧倒的な技術の差、文化の奥深さを見せつけられているようだった。
「ぼくらははいれないよ、太陽神派ではないから」ハーシュメルトは扉の脇の柱に触れようとしたルディアーノに声をかける。彼女は何も知らないようだった。「ロスカのやつら、太陽神っていう神さまを信仰してるだろ? そういうひとたちをまとめて太陽神派って呼ぶんだ」
「セザンにもロスカ人がいるのですか?」ロスカのための建物がセザンにあることをルディアーノは不思議に思う。
「多少はね。でもセザン人のなかにも太陽神派はいるって言われている。昔はセザンとロスカ、うまく共存していた時代もあるから太陽信仰は許されていたのさ。どんな経緯でこれが造られたのかは知らないけどね。何千年も昔はぼくらセザン人もロスカ人と同じ大陸に住んでいたんだ。でも戦争が起こって、負けたセザン人はこの狭い島に追いやられた。負けたのは神に見放されたからだと考えるようになったセザン人は、次第に信仰心をなくしたのさ」
市場で賑わう大階段の下の広場には、アストレーヴの有名人を見上げる顔がだんだんと増えていった。が、教会には近寄りたくないのか、階段をのぼってまでハーシュメルトに声をかけようとする者はいなかった。だからこそ、見晴らしの良い大階段を駆けのぼって行くひとりの男に、あれは誰だ? と人びとの注目が集まっていた。
「ハーシュじゃないか、どうした? こんなところで。元気でやってるのか?」先が細い、整った金色の口髭を生やした壮年の男が声をかける。
「ああ! 父さん、お久しぶり。何事も順調です、しあわせなくらいです」親子は体を寄せ合ってあいさつをした。そしてハーシュメルトはとなりにいる少女の肩を抱き、「彼女はルディアーノ、ぼくの大切な友人です」と紹介した。
「はじめまして、おじさま。ルディアーノ・セレヴィスです」
「はじめまして、ルディアーノ。わたしはエドアルドだ」
ルディアーノはハーシュメルトの父親と握手をした。洗練された優雅な身のこなしが似通う親子だ。家族の詳細は秘密ではなかったかとルディアーノはふと思ったが、広場まで声がとどかないからだろうか、ハーシュメルトは気にしていないようだった。
「父さん、いまからどこへ行くんです?」
外国製の襟なし外套を着ているエドアルドが行き先を答えると、ハーシュメルトの目が輝く。
「いいですね、ぼくも行きたいな! またあとで話を聞かせてください、父さん」




