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「そう言って、本来の目的はクーラントにいる恋人でしょう?」うらやむアーヴィンが口を挟む。
「なんだ、クーラントへよく行きたがるのはそれが理由か。その時期は闘技会も休みだし、ゆっくりしてきてもいいよ」ハーシュメルトが言うと、キースは礼を述べよろこんだ。
「ルディアーノ、花の日は知ってる?」グランディオの右隣にいるグレンが話しかける。グランディオと友人でもあるグレンはルディアーノの父親と面識があり、幼いルディアーノを知る人物である。性格は友人と多少異なり対応も愛想も良い男なのだが、過激な反ロスカの精神はグランディオと似通う。
「はい、いつもお父さんからもらっていました」
ルディアーノが答えると、彼女の左隣にいるテオジールがたずねる。「白い、こまかい花びらの花か?」
「そうです、ちいさめの、かわいらしい花で、これと似ています」少女は食卓の花瓶に生けられた花に手を触れた。
「なんで知ってるの?」ハーシュメルトが聞く。
「以前、店で会ったことがある」
「へえ! テオジールも花を買うんだ」
似つかわしくない趣味だと笑いかけたが、「娘さんにですよ」と言うグランディオの言葉に少年は納得した。
「お父さんは毎回同じ花をくれるのですが、本当はいろんな花をもらいたかった。毎回花を選ぶのが面倒なのかと思って、言えなかったのですけれど」
ルディアーノはどことなく寂しそうだった。
「よく選んだうえで、その花に決めたのですよ」グランディオが微笑む。「花にはそれぞれ特有の意味が込められてると、知っていますか?」
「知りません」ルディアーノは答える。
「昔のセザンでは男性が女性に求婚する際、花に言葉を添えて贈る風習がありました。それが徐々に性別関係なく誰かに自分の想いを伝えるために花を贈るようになり、やがて花そのものに言葉を付けるようになったのです。それが花言葉とよばれるものです。そうしていつのまにか男性から女性に花を贈る花の日が決められて、その日には恋人に限らず家族、友人、自分の大切なひとに花を渡すようになりました。ですから、その花にもちゃんと意味があるのですよ」
ルディアーノはグランディオの話を真剣に聞いていた。「グランディオさんはお父さんのくれた花の言葉を知っているのですか?」
「いつでもあなたを見守ります」この手の風習に疎い友人との思い出を振り返りながら、グランディオは伝える。
とたんにルディアーノの涙がこぼれ落ちるのを見たハーシュメルトはあわてて立ち上がり、「だめじゃないか、泣かしたりなんかして! きょうは楽しい日にしなければいけないんだから」少女の涙を拭った。
「いや、失礼しました。それにしても、こういった類の話はすでにあなたからしていると思いましたが、意外ですね」
「知ってると思ったんだ。ぼくの部屋の花はルディに任せてあるからね。でも今日この話を聞けてよかった。花言葉を知らなかったんだね、それならいいんだ」ハーシュメルトはルディアーノの椅子の背もたれに片手を置き、途中から自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「もしや不都合な花を飾ってしまったことがあるのでしょうか?」ルディアーノは心配になってたずねる。
「今ぼくの部屋に飾ってある花なんだけど、故意だったらどうしようかと夜も眠れないくらいのたうちまわっていたよ。きみに真意を確かめる勇気もでないくらい、ぼくは怯えていたんだ」ハーシュメルトは大袈裟に暗い表情をつくってみせた。
「なにが飾ってあるんです?」アーヴィンが聞く。
「薄い紫色の大きな花びらに、黒い筋のある……」
ルディアーノの説明が終わらぬうちに、テオジールが吹き出すのをごまかすように咳払いし、「あなたを呪う、だな」と言うと、瞬時にルディアーノが青ざめ、一斉に笑いが起こった。
夕食を終えた夜のはじめころ、若いふたりは2階の自室へつながる廊下を歩いていた。左手の大きな窓にうつる完璧な満月が、川のきらめきのような無数の星を従え、闇を制する準備をしていた。
ハーシュメルトはルディアーノの部屋の前で立ち止まり、扉をあけた。「今日は楽しかった。もう疲れただろう? 今日はここでいいよ、寝巻は自分で用意するから。明日はいつも通り起こして。朝の訓練のあとはずっと王都の闘技場にいるからきみは自由に過ごすといい。今日買った筆の感触を試してみたらどうかな? いいのが描けたらぜひ見せてね。それじゃあおやすみ」
ルディアーノは体を半分部屋へいれたが思いとどまり、立ち去るハーシュメルトに声をかけた。即座に反応したハーシュメルトが戻ってくるとルディアーノは意を決する。「お話したいことがあるのです。すこし、いいですか?」
やさしく灯るランプを少女の手から取ったかれは、「いいよ、おいで」と言って奥にある自室へ招き入れた。ルディアーノをソファに座らせ、庭園側にある縦長の窓をあけ、涼しい葉の香る夜風を感じながらかれは昔何かの本で読んだ「夜風の香りは妖精の足跡」という言葉を思い出していた。
「きょうぼくはとてもたのしかった。きみと過ごせたことも、馴染みのない世界を見れたことも」ハーシュメルトはソファに腰をおろした。
「ハーシュさま、わたしもとっても楽しかった。本当にありがとうございます。アストレーヴに絵を描いているひとがいるなんて思っていなかったから、ほんとうにうれしくて。それに画材のことも、あんなにたくさん、良かったのでしょうか?」ルディアーノは遠慮がちに言葉を発する。
「いいんだよ、きみのよろこぶ顔が見たいだけだから」目の前のテーブルに置いたランプのゆるんだ取っ手のネジをまわしながらルディアーノの次の言葉を待っていたが、沈黙が続いたためかれは、「きみは音楽や演劇なんかも興味ある?」と聞いた。
予期せぬ問いにルディアーノは戸惑うも、「はい、そういったものはすべて好きです」と答える。
「そうか、じゃあ」互いの緊張で張り詰めた空気を払うように、ハーシュメルトはあかるく提案する。「今度クーラントへ行こう。あそこでは音楽会や演劇なんかをやっているから」
「やっぱりハーシュさまはセザンのことをなんでも知っているのですね」ルディアーノは胸元で手を合わせてよろこび、敬意を表した。
するとかれはやや長いことルディアーノを見つめ、かるく微笑み、「知らないこともあるよ」そして視線をランプの灯火に移してから、「きみの心とか」と気取ってみせた。
ルディアーノも灯火に視線を移す。ハーシュメルトのひととなりはわかったつもりでいる。かれははじめから惜しげもなく心を見せ、狭い世界から抜け出せずにいた自分を暖かい光で真の世界へ導いてくれた。与えられるばかりでは自分の足で歩けない。自分の心がわずかでも開放されたいまならば、扉の前でやさしく佇むかれを招き入れられるのではなかろうか。けれど、そのためにはひとつだけ確かめておかねばならない。招き入れたあと、かれが迷いの渦に飲み込まれてしまってはならないからだ。
「ハーシュさま」前かがみになって頬杖をつきランプを眺めるハーシュメルトに、少女は声をかける。「ハーシュさまは混血の人間をどう思いますか?」かれが振り向くのと同時に少女はたずねた。




