3-2b
「お待たせ」
しばらくして鍵を持ったユリエラが現れ、中へ案内される。ユリエラが部屋の窓を開けると、活発な午後の光とともに乾いた風が流れ込む。壁には順序正しく絵がかけられており、部屋の中央の矩形の台には人間の形や植物などの彫刻品が置かれていた。
ルディアーノは絵画のほうへ駆け寄った。
「たっぷり見ていってね」ユリエラはルディアーノに伝えてから、奥の部屋の扉付近にいるハーシュメルトに、「順調?」と囁いた。
ハーシュメルトは背後の扉の先の小部屋にユリエラを誘導し、ルディアーノが熱心に絵画と向き合っている隙に、「多分。いやもう分からないな。どうだろう、ユリエラさん、ぼくは順調に見えますか?」堰を切ったように話す。
「とってもよろこんでいるわよ」ユリエラは扉の隙間からルディアーノを窺う。
「ええ」ハーシュメルトはそう一言だけ呟いたあと、ルディアーノの後ろ姿を直視し、会話をとめた。
「下見しに来た甲斐があったわね」
ユリエラの言葉にハーシュメルトは反応する。「ユリエラさん、それはどうかルディには言わないで! ぼくはなんでもそつなくこなす男に見られたいんです」
「そんなに慌てるなんて、闘技場で見るあなたとは別人ね」ユリエラは笑いをこらえる。
「そうですか?」
「わたし、闘技場の王子さましか知らなかったけど、自身満々で何事にも動じず、冷静で、達観して、大人びてるような子だと思ってたの」
「そんなふうにしているときもありますけど」
「あの子のことでは演じる余裕もないほど好きなのね」
「そんなところです」ハーシュメルトは降参する。
「一緒に見てらっしゃいよ。わたしはここにいるから。帰るとき声をかけてちょうだい」ユリエラは少年を展示部屋へ押しやって、扉を閉めた。
ハーシュメルトが隣へ来ると、ルディアーノはうれしそうに話しかけた。「ハーシュさま、この絵、ウォールレストの街並みでしょう? とってもきれい、本物みたい。町のひとたちも細かく描かれていて、こんなところに小鳥がとまってる姿まで描かれてるんです。ウォールレストのひとたちの声が聞こえてくるよう」
嬉々として話す少女にハーシュメルトは見惚れていた。絵画に見入るルディアーノの横顔は、あの日の朝、彼女を目にし一瞬にして熱情へと誘い込まれた甘美な横顔を思い起こさせた。上品な睫毛に美しい曲線を描く耳、整った歯並びと、顔の造形が完璧なほど優れているのは言うまでもない。個で完成された美には、美そのものしか存在しない。究極の美に関しては金の羽も肌をごまかす粉も、顔を仕立てる色も、借り物の光も必要ないものなのだ。それを証明するかのように彼女の美しさには無駄なものがいっさいなかった。透き通るほど澄んだ白い肌に埋められた輝く淡緑色の瞳は、この世に存在する宝石をかきあつめても、同等の価値は見いだせない。
淡緑色の瞳。これもルディアーノの秘密の象徴のひとつだと考えられた。純粋なセザン人とされる瞳の色は黄金色である。異国の血がはいっていたとしても銀色、茶色、黒色のいずれかのはずだ。ルディアーノの父親は疑いようのない純粋なセザン人だった。彼女の父親を知っているハーシュメルトは、この親子の容姿があまり似ていないと思っていた。きっと、彼女の容姿は幼いころ亡くなった母親から受け継がれたものだろう。おそらく母親は異国の人間で、それがルディアーノ独特の色となって表れたのだ。そのようにハーシュメルトはルディアーノの背中を視界にいれながら分析に没頭していた。
ふと振り返ったルディアーノと目が合うと、ハーシュメルトは我に返る。突如体に熱がこもるのを感じ、もしや赤面してはいないだろうかと慌て、悟られないよう彼女の背後を横切り隣の絵の前へ移動した。
「これもセザンの町ですか?」ルディアーノはハーシュメルトの正面の絵についてふれる。
ハーシュメルトが絵を見てみると、よく知る町の風景画だった。川の出口となる湾にたくさんの舟が浮かび、民家もぽつぽつと描かれている。川の右岸側に町がないことからだいぶ昔の風景だと思われるが、奥の岬の灯台で、その町なのだとわかる。
「これがサンセベリアだよ」
「きれいな町」ルディアーノはそうつぶやいて、絵に近寄ったり離れたりして見ていた。「ハーシュさまはここを訪れたことがあるのですね」
「剣闘試合の巡業でね」
「どのような町ですか」
「のどかなところだよ」
「それだけ、ですか」
「うん」と返したあとハーシュメルトはしばし沈黙し、「クーラントみたいな庭園があるわけじゃないけど、ここも沢山花が咲いてるよ。ここにしか咲いていない花もある。そういえば、あのセザンの英雄でおなじみのソルドの生まれ故郷だよ、ここ。知ってた?」
明るく続けたがルディアーノは悲しそうに笑っていた。
「どうしたの?」かれは聞く。
「ハーシュさまはいつもサンセベリアの話だけ避けるから、わたしのせいかと思って……」
「ああ、うん、きみのせいというか」適切な言葉を探すのにハーシュメルトは歯切れが悪くなる。「思い出させたら悪いと思って」
「ハーシュさまはなぜお父さんがロスカへ行ったのか、ご存知なのですか?」
「話は聞いてる。サンセベリアの商人がロスカへ行くとき、護衛を依頼されたってね。だから、きっかけをつくったというか、町の名を聞いただけでも嫌かもしれないと思ったから」かれは以前、ウォールレストで話題にしたことも後悔していたくらいだった。
俯いていた少女は顔をあげ、風景画を見つめる。「お父さんはロスカヘ行くことをとてもたのしみにしていました。護衛の依頼があったときも、みずから志願したのです。だからサンセベリアの商人の方をきっかけをつくったと悪く思うことはありませんし、サンセベリアの町の話を聞いても平気です。ただ、ロスカのことだけは……」ここでルディアーノは口をつぐんでしまった。
「そうだったんだね、ぼくは思い違いをしていた」ハーシュメルトは気を取り直して言う。「これからはサンセベリアの話もしよう。ただ最近はあまり行ってないんだけどね。子どもたちは漁の手伝いで剣闘をやる暇がないからって、試合が行われないときもあるんだ。これもグランディオにどうにかしろって言われてるんだけどね。サンセベリアのひとはみんなのんびりしているし、剣闘に興味を持たないし、なかなかの難題だよ。まいっちゃうよね。今度行ってみる?」
少女の目にかがやきが戻ると、かれは安堵した。
ルディアーノがサンセベリアの風景画を見終えるまで待ち、かれは頃合いをみて次の絵画の前へ移動した。サンセベリアの風景画の隣の絵には、体格のいい男が左手に剣を、右手にひとの生首を持ち上げ、雄叫びをあげているようすが描かれていた。
「なんだろう、これ」ハーシュメルトはこれまでのあざやかな風景画とは異なる、色調暗い禍々しい絵に圧倒された。
「だれでしょうね」とルディアーノ。
「見たことない場所だな、セザンのひとじゃないのかな」ハーシュメルトはユリエラを呼びに行く。「ユリエラさん、このひとだれ?」
奥の小部屋で本を読んでいたユリエラは展示部屋を覗き、「それね、ソルド」と言った。
「こんな顔だったの?」
ハーシュメルトの仰天ぶりに気を良くしたユリエラは、「わたしの想像で描いたの。ちなみにその生首は初代キングの生首よ。実際にそんな場面があったかなんて知らないけど、きっとこうだった、と思うわたしの心のなかを描いたのよ。格好いいでしょう」陽気に答えた。
日の入り始めるころ、気の済むまで鑑賞したふたりはユリエラにお礼をし、また来る約束をしながら階下へおりた。
「目に見えるものだけじゃなくてもいいのよ。なんだって好きに描いていいの。決まりなんてないんだから」ユリエラがルディアーノに伝える。
「ありがとう、ユリエラさん。どれも素敵だったけど、あのソルドの絵、とても好きです」
「そう? いい男でしょ」ユリエラは軽快に言った。そしてルディアーノに続いて馬車に乗り込むハーシュメルトに、「王子さま」と小声で呼び止め、「本物の王子さまによろしくね」茶化すように言った。
「ユリエラさん、よしてください。ルディになにも言わないでくださいね、約束ですよ? もちろんセシルには伝えておきますから」ハーシュメルトはいたずらっぽく笑うユリエラに別れのあいさつをして、馬車を走らせた。
王宮前の広場に着いて馬車をおり、ユリエラの店で買った画材道具を側近に持たせ、屋敷に戻るためハーシュメルトたちは大階段を行く。すると、のぼりきったところで王宮側から駆けてくるアーノルフィニ国王の次男セシルの姿がハーシュメルトの目にとまった。
「ハーシュ、すまない! ユリエラさんの」
ハーシュメルトは大声で話しかけてくるるセシルをとめ、ルディアーノに先に屋敷に戻るよう伝える。そしてルディアーノが屋敷にはいったところでかれはセシルの発言を許可した。
「ユリエラさんのところ、今日は休みなのを伝え忘れていた。すまないハーシュ、せっかく案内したのに、ルディアーノにも悪いことをした」
「それなら問題ない。気を利かせて開けておいてくれた」
「なら良かった。画廊も観た?」
「うん、ありがとうセシル。助かった」
「いいんだ。きみが芸術に関心をもつとは夢にも思わなかったが、これはいい兆候だ。クーラントにもいい店がある、下見ならいつでも付き合おう」セシルは愛嬌のある下がり目をよく動かしながら喋る。
「クーラントに?」
「ああ、ルディアーノは音楽や演劇にも興味あるかな? 規模は小さいけれど、たまに催し物があるんだ。誘ってみたらどう?」
「いいね、またあとでくわしく聞かせてほしい。きみはよく行くの?」
「もちろん。観たらきっときみも感動すると思う」剣闘とは無縁の世界に住むセシルは華奢な両腕を広げてみせた。
「じゃあそのときはよろしく。助かるよ。ぼくにとっては想像を絶する世界だからさ。きみがいなければ窮地に追い込まれていた。セシル、きみが困ったときはぼくがちからになろう」と言って、ハーシュメルトはいつものように手を差し出した。
この日の夕食は普段より豪華に飾り立てられた。ハーシュメルトが朝の内に狩ってきた新鮮な肉料理、コルナから運ばれた魚料理、ウォールレストで買い付けた果物の盛り合わせ、ノーラルから取り寄せていた野菜など、いずれの皿にも王都アストレーヴの近辺に咲く数々の花で彩られていた。休日と同様、ハーシュメルトとルディアーノ、そして5人の側近たちで食卓を囲む。ルディアーノは全員に深く深く感謝の気持を伝えた。
「このお花、とっても可愛らしい」ルディアーノは皿に飾られた淡紅色の小振りな蕾を手に取る。
「皿に乗ってる花は全部食べられるよ」ハーシュメルトは薄切りの肉に花を乗せて食べた。「きみの持ってる花は甘いよ、食べてごらん」
勧められた花を食べてみると、ほのかに甘い香りが少女の口に広がった。
「セザンには数えきれないほどたくさんの花が咲いていますからね。食用とするのみならず染料であったり、香料としても使いますよ。石鹸や湯にいれたりね。この屋敷の浴室にも置いてあるでしょう?」
「あれは花の香りだったのですね。とってもいい匂い」ルディアーノがグランディオに返す。
「服や髪にも挿しますね。とくにここの主人がよくやりますけど」若者アーヴィンが、端の席からハーシュメルトに笑顔を送る。
「勝手に飾り立てられるんだ」ハーシュメルトが説明する。
「次回の花の日はいくつ用意しましょう、ハーシュメルトさま」
声の主に目をやると、アーヴィンの正面の席にいるキースと目が合った。ウォールレスト出身のかれの容姿はセザン人らしい金髪金眼、その耳障りの良いなめらかな声質は、テオジールと同じ内容の叱責をくらっても精神的苦痛が緩和するという価値がある。声質は人格をあらわすのかと誤解するほどかれの性格を支える柱は平和で、そのためハーシュメルトは不穏な気配を察知するといの一番キースを探し出し、なんとか説教の場に同席してもらい、猛省しているかのごとく涙ぐんだ目をかれにむけ、同情を引き、慈悲をかけてもらって難を逃れるのは、少年の常套手段となっていた。
「前回とおなじでいいよ、キース。ぼくはアストレーヴで過ごすから、きみはまたクーラントへ持って行って。雪が降らなきゃいいけど」
「降っても行きますよ。クーラントのご婦人たちはハーシュメルトさまからの贈り物といえば、花でもなんでも飛びついてきますからね。彼女たちを失望させてはいけません」




