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KING  作者: 安三里禄史
三章
15/77

3-2a

 ルディアーノの16歳になる誕生日の午後、ふたりは町へ出かける。ハーシュメルトは「せめてきょうだけは」と懇願しドレスを着せようとしたが「それだけは」とルディアーノは頑なに拒み、いつも通り男性用の服をえらんだ。ならば「せめてこれだけは」とルディアーノのために用意した、花型の飾りのついた素朴な首飾りをかれは着けさせた。男性でもこれくらいの装飾品を身に着ける習慣はあるので、ルディアーノは承諾した。目的地まで距離があるのと人目を避けるため、ふたりは王宮庭園の先の大階段をおりたところで屋根付きの馬車に乗る。

 動き出した馬車の窓から後方を覗くハーシュメルトは、げんなりしていた。「いつも付いてくるんだ」

「セザンにとってハーシュさまは大切なお方ですから、しっかりお守りしないと」ルディアーノも窓から後ろを見ると、馬に乗ったキングの側近グレンとキースがいた。

「護衛のためって思うだろ? でも違うんだ」ハーシュメルトは窓を閉め、「ぼくが悪さしないように見張ってるのさ」と、戯けて言った。

 馬車は広場と繋がる大通りへは行かず、闘技場の裏側から裏道へはいった。人通りのすくない裏道とはいえ、知り合いの多いハーシュメルトは誰かに声を掛けられるのを億劫がり、ルディアーノ側の窓も閉めた。

「見張らないといけないくらい、悪さをするのですか?」ルディアーノはハーシュメルトの顔を覗き込んだ。

 ハーシュメルトは真摯な口ぶりでこう答える。「ぼくは誤解されやすいのさ。結果が悪いほうに動くだけで、初めから悪戯しようとしているわけじゃないんだよ」

「ほんとうに?」

「もちろんさ」ハーシュメルトは興味を示すルディアーノのために、以前王都の市壁を割ってしまった話をはじめた。

「アストレーヴって町のまわりに壁があるだろ? その壁の近くでみんなと遊んでいたとき、レイミーのヒールが壁の隙間に嵌まったんだ。なぜその状況になったのかは知らないよ? とにかく彼女は活発なんだ。でもさ、ヒールがなかなか抜けなくてね、レイミーのお気に入りの靴だったから大変だったよ。泣きわめく彼女を落ち着かせて靴を抜こうとしても、絶対に傷をつけないで! なんて無茶言うんだから。一先ず嵌まったほうの靴を脱がせて隙間を広げようとしたのさ。だれかが持ってた釘を、そこらに落ちてる石で打ち付けてね。夕方まで粘ったんだけど、どうしようもなくてその日は一度解散したんだ。でもこの後のことはぼくは何も知らないんだよ。次の日からコルナへ行ってたからね。それで数日後帰ってきて様子を見に行ったら、そこらじゅうに石の破片が飛び散ってるという無残な光景を目にしたのさ。茫然と立ち尽くしていたら、自分たちの父親を連れたアデルたちが現れた。アデルが事の成り行きを大人たちに説明するとすぐ、その場でぼくも叱られたのさ。ウェルダーもアデルもぼくを逃がそうとしてくれたけど、ぼくも当日は一緒にいたわけだし、一緒に罰を受けたよ」

「ハーシュさまは何もしていないのに?」

「ひとりだけ帰るのもばつが悪いからね。あとから聞いた話だと、あの後みんなでいろんな道具を持ち寄って試行錯誤していたみたいなんだけど、最終的にレイミーのハンマーによる一撃で壁が割れちゃったんだって。それで彼女、顔面蒼白で泣き出しちゃって、靴のほうは大体無事だったんだけど、今度はレイミーを慰めるのに苦労したみたい。レイミーがそんなに泣くのはめずらしいし、あんまりかわいそうだからって、アデルが罪をかぶると言い出したんだ。結局は男たち全員で罰を受けたけど」

 楽しそうに語るハーシュメルトにつられてルディアーノも微笑んだ。かれは続ける。「そこまではいいんだよ。でもそのあとがひどい話なんだ。当然、その壁は国のものだから国王さまに報告するだろ? そしたらいつのまにか国王さまの側近のあいだでぼくが主犯という話になってたんだよ。グランディオに弁明してくれって頼んだら、日ごろの行いが誤解の元となるのだから嫌ならいつも行儀よくしてろって言うんだ、ひどいよな、修繕費はぼくのところに請求されたよ。これはテオジールが誤解を解いてくれて免れたけどね」

 ルディアーノはかれの話に聞き入っていた。ハーシュメルトにとっては日常の些細な出来事が、ルディアーノにはとても壮大な劇のように、自分の控えめな人生では到底味わえない、明るく光に満ちた世界の主人公のように思えた。ハーシュメルトを取り巻く世界にあこがれたルディアーノは、かれの心を繋ぎ止める方法を探しはじめていた。

 ルディアーノはさらに話を聞きたがったが、目的地に到着したようだった。

「ぼくの話ならいつでも聞かせてあげるよ」と言ってハーシュメルトはルディアーノを馬車からおろした。

 おりた場所は馬車がすれ違うには難しい、市街区の端の狭い路地のようで、宿場と宿場のあいだに一軒、まるでそこだけくぼみがあるような、背の低い2階建ての家が目についた。その家の扉の脇に木の看板がぶらさがっていたが、かなり傷んでいて文字は読めない。この場がなにかを知る者でなければ、わざわざ訪ねようとはしないと思わせるほど、アストレーヴの精彩を欠いた外観であった。

 なかへはいると湿った独特の匂いがした。にぎやかなアストレーヴにあるとは思えない音のない空間に、ルディアーノは驚きを隠せなかった。それもそのはず、外観になかった精彩はこの内部につめられていたのだ。壁の上部や天井には森のような青葉が飾り付けられており、そこには彩りゆたかな小鳥たちが森に色を添えていた。よく見ると小鳥は生きておらず、厚手の布地で作られた縫い包みだった。

「アストレーヴに画材屋があるって知ってた?」ハーシュメルトは、感動のあまり両手で口元を覆うルディアーノに話しかけた。言葉がでないのか、ひたすら首を横にふるルディアーノの肩に触れ、「好きなのを選んでいいよ」と言って、近くの商品棚に誘導した。

「あら、王子さま」店の奥のカウンターのなかでしゃがみ、内側の棚を漁っていた女店主が来客に気付く。

「こんにちは、ユリエラさん。とても素敵なお店ですね。芸術の誕生はこの店なくしてありえない。だれもが剣闘に明け暮れるこの時代に美的感覚を死守しようとするあなたはまさに女神です。それと、ぼくは王子ではありませんよ」

「わたしたちのあいだではそう呼んでるの。ハーシュさま。だってまだ若いから」ユリエラは手を差し出し、ふたりにあいさつをした。

「みんなぼくのこと好き勝手呼ぶんだ」ハーシュメルトはルディアーノにいじけてみせる。

「それと、子どもたちが剣闘に夢中になっているのはあなたのせいよ。お客も減るし、わたしの弟も筆を置いてキングになるんだ、なんて言ってるわ。あなたにあこがれてね」ユリエラはルディアーノと目が合うと興味深く眺めた。

「ぼくにとってはよろこばしいことですけれど、ユリエラさんにとっては由々しき事態というわけですね、ごめんなさい。でも安心して、今日は買い物にきたんだ。たくさん買います。彼女、ちゃんと絵を描くのははじめてなんです。ひととおり画材道具を揃えたいのだけれど」

「いいわよ、まかせて。ルディアーノ、こっちへいらっしゃい」ユリエラはルディアーノを連れ、店内を説明しながら移動した。

 壁際の棚に並ぶ筆や、店の中央にある背の高い円柱型の棚に整列する絵具、その脇には大きさの異なる画布がいくつか無造作に置かれていた。その上部にある備え付けの棚には細々(こまごま)とした道具――小さな器のようなものや透明の液体、木の板――などが置かれていたが、ハーシュメルトには何に使うものなのか見当もつかなかった。

「ユリエラさん、ここは変わった匂いがしますね、この絵具かな」ハーシュメルトは円柱型の棚から取った絵具の匂いを嗅いだ。「やっぱりこれだ。ねえ、これってなんの匂い?」

 ハーシュメルトが蓋を開けて中を覗いていると、ユリエラは筆をえらぶ手をとめた。「亡き芸術家たちの魂の匂いよ」

「へえ!」少年は思わず子どもらしい驚愕の声をあげた。「呪われたりしない?」

 恐る恐るたずねる少年にユリエラは笑いをこらえながら、「敬意をもって丁重に扱えば問題ないわ」と言う。

 するとハーシュメルトは蓋を閉め、瓶を両手でそっと棚に戻していた。

 ルディアーノが画布の大きさを選んでいる頃、ハーシュメルトは反対側にある、様々な種類が揃う筆の列を見ていた。幅の広いものや極端に細いもの、触れてみると固さも均一ではなく、画家はこれらを全部使いこなすのであろうか、などと考えていた。かれはやわらかい筆先と自身の毛先を交互に触りながら、自分の髪の毛でも筆が作れるのか、とユリエラに聞こうとしたが、ルディアーノが彼女の話に聞き入っているので黙っていた。そのうちにハーシュメルトはカウンターの奥に行き、三脚の画架に乗せられた絵を見ていた。見慣れた風景が描かれており、それはクーラントの庭園だった。

 しばらく見つめていると、後ろからユリエラの声がする。

「王子さま、ご予算はおいくら?」

 ハーシュメルトは絵を見たまま、「いくらでも」と答えた。

「さすが! 良かったわね、ルディアーノ。ふたつとも買っちゃえ」

 ユリエラが言うも、ルディアーノはどことなくためらっているようだったので、ハーシュメルトはふたりの方へ移動した。ルディアーノは片手に一本ずつ幅の異なる筆を手にしていて、どちらを選ぶか悩んでいるようだった。

 ハーシュメルトはルディアーノの手から筆をふたつ取り、「どちらも買えばいいじゃない。どっちを買うか悩むより、どっちを使うか悩んだほうが有意義だろ?」と言ってユリエラに筆を渡した。

 一通り選び終えると、ハーシュメルトは選び忘れはないかと聞く。ルディアーノは自分もいくらか費用を負担したいと申し出たが、かれは拒んだ。

「なにかあればまたいらっしゃいよ。休日以外はたいてい開けてあるから」ユリエラは品物を包みながら言う。

「そうだね、絵具なんかは買い足す必要もあるだろうし、また一緒にこよう」

 ハーシュメルトの好意に、ルディアーノは深い感謝を伝えた。

 かれらが店内にいるあいだ外で待機していたグレンとキースが品物を馬車へ運んでいるとき、ルディアーノはユリエラに、「今日は休日なのに、お休みじゃなかったのですね」偶然を喜んでいた。

「来るって知ってたから」

 ユリエラが意味深長な笑みを浮かべると、ハーシュメルトは「それ以上なにも言わないで」というような視線を送り真顔で訴え、ルディアーノの気をそらそうと、こう切り出した。

「そうだ、ユリエラさん! 2階の画廊を見てみたいんだけど」

「いいよ。鍵持ってくるから、上がって待ってて」ユリエラは気の利いた笑顔をみせると、店の裏口から出て行った。

 店を出たふたりは外付けの階段をのぼり、2階の扉の前の踊り場でユリエラを待つ。

「彼女自身、絵描きなんだ。自分で描いた絵や、知り合いの芸術家なんかの絵をここに飾ってるんだよ」ハーシュメルトは時折階下を覗きながら話した。

「ハーシュさまはなんでも知っているのですね」

 甘美な声でルディアーノが敬すると、「そうかな?」と少年はさりげなくかえした。

「ハーシュさまは芸術には無関心だと思っていましたから。お屋敷で絵画を飾られることもないですし、楽器を目にすることもありませんでしたから」少女は寂しそうに俯く。

「無関心ってわけじゃない。まあ、自分でやりはしないけど。才能がないんだよ。でもまったく知らないというわけじゃない。興味はあるよ。これからはきみの話が聞きたい、きみをよく知りたい。ね、ルディ、ぼくに色々教えてくれないかな」

 ハーシュメルトがそう言うと、ルディアーノは微笑んだ。


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