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KING  作者: 安三里禄史
三章
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14/77

3-1

 セザンの希望と称されてからいくらかの時が過ぎるころにはハーシュメルトにも日常が戻り、かつての奮闘の余韻も薄れつつあった。ただひとり、ヴァンクール・ドルレアンの保護するロスカ人ジーク・エリオスの動向は気掛かりではあったが、いますぐに対戦となる相手でもないので、次第に興味を失いつつあった。それは余裕からくる楽観的な考えが原因ではなく、単に別の魅力ある関心に囚われていたからだ。アストレーヴで新たなロスカ人に会う機会はまったくなかったので、ハーシュメルトのロスカ人への怒りは過去のものになりつつあったのだ。

 夜が明け日の出るころ、ハーシュメルトはルディアーノの声で目覚め、彼女の用意したお茶を共に飲むという、この習慣だけは義務付けた。いつもこの朝の時間にかれは窓際の円卓で茶を飲みながら、その日の予定を伝える。必要な雑務があればルディアーノにまかせ、ときには闘技場へ連れて行った。

 アストレーヴでの生活は楽しく、ハーシュメルトの心をねじ曲げるものはなにもなかった。かれはルディアーノに出会ってからの劇的な人生の変化に感極まっていた。はじめて経験する恋の嵐はかれの世界を一変させ、目にうつるすべてが輝かしく、愛々しかった。屋敷に招いてから数度、ルディアーノの髪の色が変わるのに気づき、ふたりきりの場合は彼女が気づくまで観察してみたり、近くにひとがいるときは外套などで頭を隠してやったりしたものだ。そうやって危機的状況を脱したあとで、ふたりはよく笑いあった。それはまるで秘密を共有する同志といった絆を感じられるひとときであった。

 当然、ハーシュメルトはルディアーノの秘密を知りたかったが、約束は守り抜いた。いつかルディアーノの心が開き、招いてもらえるときがくるまで扉を叩くまいと決意していたほどである。

 ハーシュメルトは彼女と打ち解けるための努力は惜しまなかった。せまりくるルディアーノの誕生日をどう過ごすか、現在全力で取り組まねばならない課題はこの一点のみだった。知り合いにはよく花を、とくに仲のいいレイミーたちには香水や石鹸、化粧品など希望されたものを贈ったが、どれもルディアーノの好みとはかけ離れている。失敗を恐れたハーシュメルトは、自室にふたりでいるときに好みをたずねた。ルディアーノは遠慮したが「友人にはみな贈っているから、きみにだけあげないわけにはいかないよ」と説明し、納得してもらった。

 しかし、すぐには思いつかないようで、それでも悩みぬいたあと、「あなたに任せたい」とルディアーノは願い出た。

「品物じゃなくてもいいんだ。やってみたいこととか、行ってみたい場所。ぼくはできればきみの願いを叶えたい」

 するとルディアーノは心の奥底にしまっていた慰みを思い出したのだ。「子どもの頃、ひとりで遊んでいたことがあって」それは母親の死後、父親のいない日中、孤独を助けていたものだった。「いま、やりたいことならひとつだけ」それ以上は言い出しにくいのか、ソファに座るルディアーノは黙ってしまった。

「いいよ、なんでも言ってごらん。ぼくに叶えられるかな?」ハーシュメルトはそばに寄る。

「ハーシュさまがなんと思うか」

「笑ったりしないから聞かせてほしいな」ハーシュメルトはルディアーノの服の袖を軽く引っ張る。

 ルディアーノは落ち着かないのか何度も自分の手を握っていた。そして、やっと意を決したが、ハーシュメルトと目が合うと恥ずかしくなってしまい下をむく。それでも言ってしまえば気持もおさまるだろうという思いで胸の内を明かした。「絵を、描いてみたいのです」言い終えてから、かれの反応を知ろうと顔をあげる。

 ハーシュメルトは、「絵か……」と呟き手を口元にあて、思いもよらない事態の解決策を探るべく考え込んでいた。

 ルディアーノが声をかけようかまよっていると、かれは考えがまとまったのか、「わかった、ぼくにまかせて」と、活気あふれる声で応じた。

 そういうわけで地方巡回も疎かになり、極力アストレーヴから出ない生活となったハーシュメルトに対し側近たちは諫言したが、改善されなかった。そのような心持ちではやがて志ある者にキングの座を奪われかねない、と懸念するテオジールにもかれは「それでもかまわない。今すぐにやめたってかまわない」と言い出す始末なので、手の施しようがなかった。この有様ではアストレーヴの外で起こる不穏な動きに気付くはずもなく、ハーシュメルトは己の好奇心の赴くまま自由に過ごしていた。

 一頃前の王都会場でのハーシュメルトの活躍の内容が徐々に地方に流れ始め、場所によってはそれに触発された王宮騎士が同様の行為を仲間内で楽しむようになっていた。ロスカ人を見かければ言いがかりをつけるか問答無用で捕らえ、闘技場に放り込んだ。闘技場のなかでロスカ人をどう扱おうが規定違反にはならず罪に問われないため、ほとんどの王宮騎士はこの状況を黙って見過ごしていた。


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