愚者のコウカイ
これはある男の物語である。
男はどこにでもいるような容姿をして、優しさに満ちていた。
だが、世界はそう甘くはない。男には生まれつきの呪いを宿していた。それは言葉を発することができなかった。本人には自覚はなかったが、周囲の人間は男を気味悪がった。子供は男を仲間外れにし、いじめるようになった。男は自分がなぜいじめられているのか、理解ができなかった。
「自分はなぜいじめられるのか、なにか悪いことをやったわけでもないのに」
男はいじめに耐えるには、あまりにも弱すぎた。男はその時から狂い始めたのだろう。
人と関わることに一切の興味を示さなくなっってしまったのだ。男には友達と呼ぶことができる人なぞ存在しないことを男は苦痛とも感じることもなく、成長した。もしかしたら、男は人が関わることに恐怖を覚えたのかもしれない。誰かと関われば、いじめられる、仲間外れにされる、男は無意識に恐怖していたのかもしれない。
一度狂い始めた時計が自力では戻らないように、男の人格はその時から少しずつ狂い始めた。いや、まだこの時は狂い始めることを抑えられたのかもしれない。もし、男が人と関わることを恐れなければ、いじめを苦痛だと感じることができたら、男は助かったのだろう。だが、誰も男の心の歪さを理解できなかった。親も男の歪さを気付くことはなかった。
少しずつ狂い始めた男の生き方は、いじめと共に深刻になった。誰も信用することはなく、男は世界を憎むようになった。その姿が一層いじめを加速させた。狂った男の人格は、不幸にもたった一つだけ男に良い効果を与えた。いじめの加害者を全て許すことができた、できてしまった。男の中にあった感情さえも壊してしまった。喜怒哀楽はぐちゃぐちゃになり、怒りながら涙を浮かべ、泣きながら笑みをうかべるようになり、男は人と呼ぶには壊れすぎていた。ストレスの許容量を大きく超えることがあっても、男は「普通」であり続けた。狂っていることを自覚しながらも、男は「普通」であり続けた。友達だと思っていた奴から金を騙し取られた、毎日のように唾を吐きかけられても、男は笑っていた。男にはもう泣くという機能は消えていた。悲しいから笑い、嬉しいから笑う。無理やりにでもポジティブでいないと、死んでしまいそうな精神で男は生きることを強いられた。だが、そんな男を好きになる人もいた。自分を親友と言ってくれる人がいた。男はそれ嬉しくもあり、辛くもあった。彼らに見せている姿は偽りであり、本性は汚く薄汚れていることを男は隠していることに罪悪感を感じていた。嘘をついていることに耐えられなくなった男は、嘘が本当になるように振る舞った。多くの人に嫌われ、男は人格すらも嘘で塗り固めた。男は自分が何者かを忘れて初めて嘘は本当になった。だが、所詮は嘘でしかない。男の心を蝕み、一層狂わせた。男は嘘を嫌いながらも、嫌いな嘘に縋らないと生きてはいけない弱い自分をより嫌った。男にとって自分という存在は邪魔でしかない。男はもう自分を愛すことはできない不器用な生き方しかできないようになった。嘘を嫌い、曖昧なものを許容できない狭い視野と、死ぬことが幸せである歪んだ幸福観が男を形作っていくようになった。
男は自分が狂っていることを自覚してながら、病院に行こうとはしない。行ったら、男がこれまで付き続けた嘘がバレてしまうから。誰かが言った。
「あなたは弱い人間」だと。
男は弱いことを隠すために嘘をつく。
狂い切った男の人格は、誰かを好きになることを歪めた。好きな人の全てを手に入れないと気が済まなくなった。血の一滴から髪の毛の一本まで手に入れないと発狂する。異性に見せる姿どころか同性に見せる姿までも欲した。自分が知らないことが許せなかった。男はその時初めて自分が狂い切っていることを自覚した、自覚してしまった。自覚したものは抑えが効くわけもなく、人格を崩壊させた。
嘘つきピエロである男は、涙を浮かべて呟く。
「お願いだから、俺を愛して。汚い面もすべてを愛して。そして、そのまま殺して」
男は叶わない夢を見る。真綿で首を絞める夢を見る。
産まれてから後悔しかない人生だったと、男は遺書に残し、首を吊った。
部屋じゅうに思い出の写真と卒業アルバムを広げた部屋で男は眠る。二度と覚めることのない悪夢を見ながら。
おひさしぶりです。
勿忘草です。
今回はある人物をモチーフにした物語を書きました。
あなたの周りにも、こういう不器用で真面目すぎる人はいませんか?
もし、いるのならどうか注意深く見てください。
どこか無理をしているのかもしれませんで。
そしてどうかその人が自殺しないようにサポートをしてください。