A-1 成り行きと教官殿
「じゃーね、カンナ!」
「またあしたー」
「さよならー、リコ、ミカ」
赤い夕日が地平線の彼方に沈もうと言う頃、学校からの帰り道。
私はここまでの道のりを一緒に帰っていた友達二人に別れを告げ、一人住宅街の入り組んだ道を行く。
我が家は何とも不便なことに山奥にあるので、友達と一緒に帰っても途中でぼっちになってしまうのだ。
「えーと、冷蔵庫何があったっけ。ってか何かあったっけ……?」
うぅむマズイ。確か昨日は体育祭の練習で疲れ果ててたから、買い出しを横着してしまったんだ。
スーパーに寄って買ってくかな。正直メンドくさいんだけど……独り暮しの辛いところだ。
どうでもいいけど『一人暮らし』よりも『独り暮らし』の方が孤独感増すよね。
肩にかけていたバッグを逆の肩に移して、スーパーへの道を歩き出す。
九月の上旬。夏休みも終わり、高校二年生となった私たちは本格的にそれぞれの進路を見つめ直す。
尤もうちの高校は進学校なので、私含めほとんどの生徒は大学進学を目指している。
今年は残暑が厳しく、夏休みが終わって一週間が経って尚、連日の暑さが私たちのやる気と体力を奪う。
首筋に浮かぶ汗の滴を拭きながら無心でスーパーへの道を進む。
……もうこれは、おじいちゃんから教えてもらった『おまじない』の出番かもしれない。
追い詰められて「絶対に人前で使うな」と言われていた奥の手を使おうとしたところで、タイミングよくスーパーが見えてきた。
「あ゛ー……極楽」
スーパーに入って、暫し立ち止まって涼む。何かお店の冷房って凄く涼しく感じるよね。
えーと、まずはあれとあれと……
指折り数え上げながら買い物かごに食材を突っ込んでいき、手早くレジへと向かう。
「あら、カンナちゃん。今日は買い出し?」
「あ、はい! 昨日疲れててできなかったので」
「一人暮らしの学生さんは大変ねぇ……はいこれ。二千五百八十円になります。ポイントカードは?」
「あります」
顔馴染みのパートのおばちゃんと言葉を交わす。もはや恒例行事だ。と言っても割り引きとかをしてくれるわけでもないのだけれど。
財布から代金を取り出してお支払い。最近は自分でするレジがあるらしいけど、ここは昔ながらの店員さんの手打ちだ。
ともあれ、買い出しを済ませた私は店内の冷気に後ろ髪を引かれながらも、今度こそ本当に帰路に着いた。
国家を鼻唄で(何故)カラスの群れと合唱しながら(勘違い)路地を行き、何度目の曲がり角に差し掛かる。
……そこで、私はふと違和感を感じて立ち止まった。
首を傾げながら辺りを見回すも、特に怪しいものは見受けられない。
何かが現れたとか消えたとか、空の色が変わったりとか、そんなことは何もない。相も変わらずここに居るのは私だけーー私だけ?
ハッとして空を振り仰げば、そこには何も居なかった。
さっきまで居たはずのカラスの群れも。
「……なに?」
ゾクリ、と背筋が寒くなる。そこで私は気付いた。さっきまでの蒸し暑さを全く感じ取ることができない。風もない。
垂れ下がった電線も、生い茂った木の葉も。私以外に何一つ動くものがない。それどころか人の気配を、否、生き物の気配を全く感じない。
「何が、どうなって……………………ッ!?」
瞬間、私は全ての思考を放棄して飛び退いていた。
それに反応できたのは、ほとんど偶然だった。
すぐ横の家屋を派手に爆砕しながら吹っ飛んでくる人影、なんて非現実的なものに。
「………………は?」
間抜けな声を上げながらその人影を観察すれば、これまた奇妙な、頭まですっぽり被るフードのついたローブを着ている。まるでファンタジーからそのまま抜け出してきた魔法使いみたいな。
って言うかこの人起き上がってこないんだけど……死んでる? 「ぐっ……」あ、生きてた。声からしてどうやら男性らしい。
こんなところでそんな変な格好(失礼)して何やってるんだろうか?
「っ、君は……!?」
あ、顔がこっち向いた。
「バカな、学生だと? 何故一般人がこの隔離空間に踏み込める……いや、まさか、君も魔術師なのか!?」
「え? 魔術師って何ですかってきゃぁっ!?」
何かいきなりこの人が半壊させた家が吹っ飛んだんだけど! チラッと雷みたいなのが見えたよ!? ちょっと話の途中なんですけど!?
「クソッ、やはりあの程度では倒せはしないか……!」
「当然だ。この俺にとっては、貴様程度の魔術児戯に等しい」
崩れ落ちる瓦礫と舞い散る粉塵の向こうから現れたのは、これまた黒ローブの怪しげな男性。右手に禍々しい形状の長杖を持ち、中空に浮きながら悔しそうにするもう一人の男性を見下ろしている……ってあれっ!? 浮いてるっ!?
思わず目を擦るけれど、結果は変わらない。しっかりきっかり空中浮遊していた。
はえーすっごい、最近は人が空を飛ぶんだね……いや、おじいちゃんも割と空を飛んでたような。昔、遊んでるときに自慢してきた。走って追いかける私を見下ろしながら高笑いしてたっけ……うわ、うちのおじいちゃん趣味悪っ。
「何だその小娘は? まさかそれが貴様の言う増援か?」
「……いいや、お前など、私一人で十分だ。今度こそお前を捕らえさせてもらう!」
「ふぅ、これだから低能な魔術師は困る。実力が伴っていないぞ。貴様の相手をしている暇など俺にはない。さっさとこの不愉快な結界を解け。そうすれば殺さないでおいてやろう」
「ふざけるな! 名門バーンシュタイン家の名に懸けて、お前はここで倒す! 決してお前を本部には近づかせない……!」
「……意地もそこまで貫き通せば、大したものだな。愚かながら天晴れだ」
……えーと……あのー?
二人だけで盛り上がらないでくれませんかねぇ……私まだここに居るんですけどー、ヤバな雰囲気がプンプンするんですけどー。
「あの、ちょっと」
「敵に誉められても嬉しくはない」
「そう言うな。俺は結構本気で感心しているんだ。思わず殺してしまいそうなほどにな」
「……おーい」
「できるものなら、やってみるがいい!」
「ふん、どうした震えているぞ? 覚悟を決めていても死ぬのは怖いか?」
「誰が……!」
「…………すいませーん」
「よかろう。貴様のその覚悟を汲み、この【豪雷のヒュース】が誇る最大の魔術で持って貴様を滅ぼしてくれよう。光栄に思え?」「くっ……」
「……………………」
あっ、無視ですかそうですか。
この人たち、私のこと完全に忘れてるな。勝手にヒートアップしてるんだけど。
って言うか言ってることどっちも痛すぎィ、クラスで浮くよ? いや片方はもう物理的に浮いてるけども。
いやぁなに? これでも私、自分は温厚なほうだと思ってるわけですよ。本気で怒ることなんてほとんどないし、友達と喧嘩したことも一回かそこらだし、大抵のことは「仕方ないなぁ」で済ませられる質ですし。
けどね? 流石にね? ここまで綺麗にガン無視されるとね? 温厚なカンナちゃんもね? イラッと来ちゃうわけですよ。
私がイライラを募らせている間にも、浮いてる方の人は何やら杖を空に掲げて、ブツブツと何かを呟いている。
「天雷よ、汝は鉄槌。神々の下す審判の鉄槌なり。なれば、魔術師ヒュースの名の下に、我が呼び声に答え、今一度その威を万人に示せ……」
「バカな……あれは、雷系統魔術の最高位……《雷神の裁き》……!?」
愕然とした様子でなんか横文字の言葉を呟く浮いてない方の人。デウス……何だって?
浮いてる方の人の独り言が止まらない。ってか、言葉を発する度にあの人の体を覆ってた靄みたいなのがどんどん濃くなってるんだけど。もしかしてヤバい感じ。
あ、ゴロゴロゴロ……、って雷が鳴り出した。別に私はいちいち雷鳴でキャーキャー言う系の女子ではないけれど、これがヤバいことは分かる。
今日は朝からずっと晴れ。降水確率ゼロパーセント。ゲリラ豪雨でもない。ってか目の前にあからさまに怪しい人がいる。
うん……あの人の仕業だよなぁ……そういえば、おじいちゃんもたまに雲吹き飛ばしたりしてたし……もしかして天気を変えることぐらい造作もないことなのでは?(混乱)
「クソッ……悔しいが、今の私では、あの魔術をどうにかすることは……」
すっかり諦めた様子の浮いてない人を見るに、あれはやっぱりヤバいらしい……仕方ないなぁ。
憂さ晴らしも兼ねて、ちょっくらぶん殴ってきますか。
これまでずっと持ってたレジ袋を置いて、生徒鞄の中身を確認。うん、国語辞典と漢和辞典が入ってるし、重さは十分。
さってと……おじいちゃん。教えてもらったおまじないの出番だぜ。
あそこまで届くか分かんないから、とりあえず全力でやってみようか!
生徒鞄を手に持ったまま、クラウチングスタートの体制を取る。スカートだけど、放心状態みたいだしいっか。
助走は要らない。口の中だけで呟く。オンユアマーク……セット……
ダァンッ! 頭の中で鳴り響いた銃声と同時、勢いよく足を踏み出して、
「風さんお願い! 全力ジャンプ!!」
大声で叫んだ……直後、私の蹴り足を下から上へ押し上げるようにして緑色の暴風が発生。私の体を、豪快に上空へと持ち上げた。
「え」
目の前まで迫った私を見て、浮いてる人がすっとんきょうな声を上げる。
それを無視して、私は右手に持っていた生徒鞄を両手で振りかぶると、
「どっせぇぇぇぇぇぇい!!!!」
「ぐへぇっ!?」
思いっきり、その顔面に叩きつけた(※危険なのでよい子はマネしてはいけません)
潰れたカエルみたいな呻き声と共に、白目を剥いて落下する浮いてた人。べちゃっ、と湿った音がする。死んでないっぽいのでセーフ。ピクピクしてるけど。
私も私で、さすがにずっとここに居るわけにもいかないし無理。なので、自由落下に身を任せながら猫のようにくるりと体を一回転。危なげなく着地に成功する。
んー……すっきりしたっ!!
レジ袋を拾い、私はとっても清々しい気分で三度目の帰路に着こうとするが……
「まっ、待ってくれ君っ!!」
「はい?」
§
あの後、一応家に帰れたものの、ご飯を食べ終わった直後に浮いてなかった人のお仲間らしき黒ローブの人が我が家を訪ねてきた。今日だけで黒ローブに見慣れちゃったよ。
こんな山奥までそんな暑苦しい格好でお疲れさまです……なんて思いながら、無かいれた彼らが私に語ったのは、大体さっきの人のいってたことと同じ。
『アカシックレコード』というほんと、それを守るための魔術師たちの秘密組織、【議会】の存在。そしてどうやら魔術師らしい私への勧誘……
って言うか、私はおまじないって聞いておじいちゃんから教わってたのが魔術だったなんてビックリだよ。おじいちゃんもすごい軽い感じで教えてくれたし、昔は一緒に魔術で遊んだりしてたし。
そんなことを言ってみると、勧誘に来た人たちが頭を抱えてしまった。どうしたんだろう。
最初は私も急すぎたので渋っていたが……最後に出されたお給料についての書類を見て即オーケーを出した。
いや、仕方ないじゃん。これまでもバイトはしてたけど、そろそろ厳しくなってきてたんだよね。おじいちゃんがどこで稼いだのか結構な額を遺してくれたけど、あまりそれに頼りすぎるのもあれだし。
安全に関する保証も手厚かったし。敵と戦う仕事だけでなく、普通の事務仕事なんかもあるらしいので、必須の戦闘訓練を受けた後はそっちに行くつもりだ。
「……これからも励んでほしい。私の話は以上だ」
回想している内にお話が終わったようだ。半分寝かけてた。
えーと確か、このあとすぐに戦闘訓練が始まるんだっけ? どこに行けばいいのかな?
「はーい、皆さんこっち注目。俺は【議会】所属第三位階魔術師の雨宮啓だ。君たち新人の教官をすることになった。二ヶ月と言う短い間だが、よろしく頼むよ」
壇上に上がってそう告げたのは、これまたローブを着込んだオールバックの渋い感じのする若い男性だった。低く張りのある声で、よく通っている。
この人が私たちの先生になるのか。
「それじゃあ早速訓練を始めるから、準備ができたら着いてきてくれ。演習場に移動するよ」
それだけ言い残してスタスタと行ってしまう雨宮さん。私含む新人魔術師たちは慌ててその後を追いかけた。