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この世の支配者、鈴木  作者: カスイ漁池
第2部 『この世の支配者、鈴木』
28/29

15 透明の支配者(4)


 まばたきの間に視界がすり替わる、そのような唐突さで俺は宇宙にいた。

 横長の長方形の窓からは地球が見えた。普段、どのような軌道を描いているのだろう、現在、宇宙船は日本の直上にいるようだった。雲量が少なく、国の全貌が露わになっている。どこかで目にした衛星写真のとおり、日本列島が光に象られていた。


『景色を見たかったのですか?』


 振り返る。宙に浮かぶ球体たちは俺の背中を見つめているようでもあった。


「ジョークは言わないんじゃなかったのか?」

『これは単なる質問です』


 いつ聞いても無機質な応答に俺は頬を緩める。かつては苛立ちを覚えたものだが、もはやちょっとした愛嬌さえ感じるのだから不思議なものだ。


「……ここに来るのはこれで最後だ。お前らもそれを望んでるんだろ?」

『ええ』と宇宙人は即座に肯定する。『もちろん、あなたが憎くて言っているわけではありませんが』

「別に、気にしてねえよ」

『ともあれ、その口ぶりからすると答えを見つけたということですね』

「正確には答えめいたものを見つけかけてる、だ。そのために何個か質問とお願いをしたいんだけど、いいか?」

『我々に可能なものであれば』


 俺は宇宙人たちと正対し、拳を握った。ゆっくりと息を吐く。

 実験が本当に成功したのか、それを知るための最後の一ピース。ほとんど確認作業のように、俺は訊ねた。


「支配者に〈命令〉は効くのか? たとえば権限を持ったやつがもう一人いたとして、そいつの〈命令〉は無効化される、とかは」

『ありません』と宇宙人の一人が短く答えた。『〈命令〉はいくつかの条件を満たした生物であれば平等に作用します。もちろん権限が並行して存在するケースは極めて稀ですが』

「だよな」


 もし、囚人説が正しくて、この宇宙人たちが独裁者の打倒を目指しているのだとすれば、やはり武器となるのも〈命令〉だろう。拒否権という防衛策の他になんらかの対抗手段がなければシステム上の欠陥が浮き彫りになる。


「じゃあ、その平等ってのはどのくらいの平等だ?」

『どのくらい、とはどういう意味でしょう』

「効き目だよ。同じ〈命令〉でも人によっては複数回やらなきゃ効かない、とかはあるのか?」

『〈命令〉は平等です。あなた方の場合、抵抗に個人差は生じるでしょうが、結果に違いは起こりません。誰が〈命令〉してもされても、同様の行動が引き起こされます』

「なんだ、今日はいろいろすんなり答えてくれるんだな」


 俺が軽口を叩くと、黒い球体たちは一瞬黙った。彼らにも何か思うところがあるのだろうか。錯覚かもしれないが、その行動には怒りや困惑などはなく、むしろ覚悟めいたものが感じられた。


「まあとにかく、どんな〈命令〉をするかは決まった。あとは対象だ。率直に訊くけど、お前らが救おうとしている同胞ってのはどのくらいいるんだ?」

『お答えできません』

「そう来ると思ったよ」


 宇宙人は身の上話をしない。人口だとか文化だとか、自らの生活環境については一切口を割ろうとはしなかった。アキの愚痴のとおりだ。

 それはたぶん、彼らを縛る制約が原因だった。ここで問題となるのは誰を由来とする制約なのか、ということだ。もし宇宙人たちの恐れる独裁者が発した〈命令〉ならば彼らは絶対に何も明かさない。しかし、口外することで不利益が生じうる、という懸念から設けられた自己制約であるのならば話は変わる。

 ここで引くことはできない。俺は彼らを見つめたまま、続けた。


「それは言わないのか、言えないのか、どっちなんだ?」

『お答えできません』

「じゃあ、俺への意地悪って考えてもいいのか?」

『……幼稚な質問ですが、我々にはあなたを困らせるような意図はありません』

「リスクは背負えるか?」

『……リスク?』


 俺は頷く。頭の中にあったのは母さんの言葉だ。「あんただけが荷物を持つ必要なんてないからね」。俺だけが悩み、苦しむつもりなど毛頭なかった。


「お前らが散々危険な橋を渡ってきてるのはなんとなく予想がついてる。でも、それはあくまで自分たちのためだろ。俺のためにリスクを背負えよ。もちろん、お前らが何かの〈命令〉で言えないんだったら別だけどな」

『鈴木ケイスケ』

「別に正確な人数を知りたいわけじゃない。重要なのは足りるか足りないか、だ。いいか? 今から俺は地球上のすべての人間に〈命令〉をする。でも、〈命令〉の内容どうこうじゃなくて、〈命令〉を受けたことで引き起こされる事故は避けたいんだ」


 支配者がどうあろうと、地球は絶えず回っている。今、俺がこうしている間にも車を運転している人もいるし、危険な作業を行っている者もいる。一瞬、何かに気を取られただけで失われる命はたくさんあるだろう。それを無視することはできなかった。

 宇宙人たちは再び黙り、今度は、互いに顔を見合わせるように回転した。対照的な立体ではあるが、正面の定義があるのだろう。鼻先を突き合わせるそのさまはまさに会議と言ってよかった。声なき声で侃々諤々の議論が交わされ、やがて、正面にいた一人が俺へと向き直った。


『鈴木ケイスケ、ことはそう単純ではありません。すべての事象は複雑に絡み合って存在しています。たった一つの軽視がすべてを瓦解させます』

「ずいぶん長々と『お答えできません』って言ったもんだな」


 肩を竦めて皮肉を飛ばす。だが、宇宙人たちに堪えた様子は見受けられない。

 彼らにも覚悟があったからだ。


『しかし』と宇宙人は続ける。『いいでしょう、質問に答えます』

「お」思わず感嘆が出た。「どういう風の吹き回しだ?」

『我々にはあなたに思うところがあります。あなたは他の支配者とは異なる存在でした』

「異なる存在? 別に特別なことをしたつもりはねえけど」

『我々は本来、協力者、つまり支配者にはその〈命令〉をもって返礼とするつもりでした。そして、意図したとおり、あなた以外の協力者は全員が各々の願いを叶えるために〈命令〉を用いています』


 言われて、無意識のうちに俺は振り返っていた。

 最初の支配者、ヴィカス・クマールは特に顕著だ。彼は〈命令〉を用いてインドに改革をもたらした。ワン・シウヂエは家庭内の小さなことではあるが、孫たちの教育に使っていたという。アメリア・スミスは日常生活の些細な場面で〈命令〉を活用して自己顕示欲を満たしていた。

 アキはどうだろうか。俺には記憶が欠落している期間があるため、アキが何を願っていたのか、わからない。しかし、宇宙人たちの観察ではどうやらアキも何か望みを叶えていたようではあった。


『鈴木ケイスケ、これは我々の落ち度です。事態の解決を図り、選出方法に変化を加えたためか、あなたは自身の願いのために〈命令〉を用いませんでした。これではあまりにアンフェアです』

「……ありがたいけど、ずいぶん感情的な理由だな」

『当然です、我々にも感情は残されていますから』


 今まで抑揚のなかった音声が揺れる。その意味するところは想像もつかず、俺は無言で質問の回答を促した。

 宇宙人たちは静かに答える。


『あなたが言う条件で、〈命令〉による意識の乱れで命を落とす場合など、不慮の事故が起きるケースを除外したとしても我々の求めるものに不足はありません』

「そうか」

『しかし、地球上のすべての人にどうやって〈命令〉するつもりですか? ネットワークを媒介し、鈴木明英のように相互に視聴を促したとしてもそれが叶わない人も大勢います』


 それじゃ、足りないのか?

 そう訊ねようとして、やめた。宇宙人は既に譲歩したのだ、そこにつけ込んでさらなる情報を得ようとするのはそれこそアンフェアだ。それに、意味のない質問でもある。

 地球にいるすべての人間に〈命令〉する策など以前から思いついていた。


「試してんのか? お前らならすぐにわかるだろ」

『そうですね。しかし、試したつもりはありません。確認のようなものです』

「じゃあ、お前らのシステムを使うことはできるってことだな」


 本来的に〈命令〉を〈命令〉たらしめているのはこの宇宙船だ。声は単なる識別信号のようなもので、わざわざテレビやインターネットを使う必要などなかった。この船ならば地球の文明よりも確実に〈命令〉を届けることができる。俺の声を聞かせる理由もなければ、対象の状態も無視することが可能だ。寝ていようが起きていようか、一切の時間差なく、〈命令〉は拡散される。

 これでほぼすべての準備が整った。あとは実行するだけだ。


 不思議な気分だった。息が詰まるような感触も、ともすれば震えそうになる手足も、ここにはない。肉体は病院のベッドで寝ている。だというのに、胸の奥に激しい脈動を感じた。

 視線を移動させる。窓の外にある地球をもう一度視界に収め、俺は目を瞑った。

 確証はない。

 俺が手にしたものはひと揺れで崩れ去る砂上の楼閣だ。

 だが、今できることはこの真実めいたものを盲目に信じ切ることだけだった。


「よし」

『〈命令〉をしますか?』

「ああ、でもその前に」

『まだ何か?』

「そう言うなよ」俺は苦笑し、眉を上げる。「最後の質問とお願いがある」

『可能なことならば』

「このシステムを直接使えるのは一度きり、とかないよな?」

『いえ、あなたが望むなら何度でも使えます』

「そうか……じゃあ、次はお願いなんだけど、ここから地球の様子を確認することはできるか? ちゃんと成功したのか、見ておきたい」

『わかりました』


 宇宙人がそう言った途端、暗闇に映像が浮かび上がった。どこかの定点カメラの映像を引っ張ってきたのか、交差点を多くの人が行き交っていた。外国であることは察せられたが、国名までは浮かばなかった。

 その映像を皮切りに、三百六十度、俺の周囲を映像が埋め尽くした。世界各国、人種も言語も違う人が支配者の存在を頭の隅に押し込めて生きている。中には日本のものもあった。ニュース番組でよく映る渋谷のスクランブル交差点だとか光が流れる高速道路だとか、馴染みのある風景は途端に現実感を補強した。


『あなた方の通信回線を使っているのでどうしてもタイムラグが生じますが……これでどうでしょう』

「ああ、十分だ」

『それで、あなたはなんと〈命令〉するつもりですか』

「もう聞かなくてもわかるだろ? ……あ、言わなきゃダメなんだよな」

『ええ、思考そのものは読み取れませんから』


 宇宙人の準備は完了しているらしい。その無機質な球体にはどのような感情が渦巻いているのだろうか。不安だろうか、それとも、期待だろうか。

 たぶん、俺と同じなんだろうな、と思った。

 そして、俺は宇宙人を救う〈命令〉を下す。


 ――俺の言うことを、聞けよ。


 世界に囲まれた闇の中で声が弾ける。宇宙人の手によって〈命令〉へと変えられた俺の声は人間のホルモンバランスを崩す信号となって全世界の人々の脳天を貫いた。


 まず最初に変化が現れたのは日本の映像だった。人々は突如として飛来した〈命令〉に忘我し、あるいは、あたりをキョロキョロと見回している。それから、アジア圏へと続く。水を波紋が伝わるように、徐々に映像の変化が伝播していった。ヨーロッパ、北米、南米、人々の反応を見れば、映し出されているのがどの地域に当たるのか、なんとなく理解できた。

 俺は再び、〈命令〉する。


「俺の命令に従え」


 ――七回だ。

 不完全な〈命令〉が完全な〈命令〉へと変わるためにはある〈命令〉の反復が条件だった。俺もそうだったし、大崎もそうだった。七回繰り返して、彼はようやく自分の意志とは無関係に満面の笑みを浮かべた。

 必要になるのは服従そのものを要求すること。


 ――アキは俺に「助けて」と言った。アキは俺に「友達だ」と言った。


 表面上の言葉に大きな意味はない。抽象的な〈命令〉であってもシステムは思考の色を読み取り、補正する。

 今ならわかる。

 きっと俺はアキを見捨てていた。

 それでもアキは俺を頼ろうとしたのだろう。だから、何度も繰り返し〈命令〉を行ったのだ。プルチックモデルを思い出す。プルチックモデルにおいて服従は信頼と恐怖によって構成されたものだという。感情が複雑に混じり合った結果、俺に服従を求めていたとしてもなんら不思議はなかった。支配的な服従ではなく、対等な関係での服従だ。矛盾はない。信頼と服従は近しい意味合いを持っている。


「――俺に従ってくれ」


 また、完全な〈命令〉は記憶にも影響する。しかし、それは〈命令〉そのものが記憶を捏造する、という意味ではない。

 俺の記憶をねじ曲げたのは、俺自身だ。

 本質的に記憶など曖昧なものである。人は自分の都合のいいように記憶を書き換える。おそらく、俺は後ろめたかったのだ。中学までは仲が良かった友人が支配者になり、あしらったことに罪悪感を覚えていた。だから、俺の無意識はアキの〈命令〉によるホルモン分泌の異常を利用し、記憶を改竄した。


「俺の命令に従え」


 俺の目には世界が映っている。

 ただただ服従を要求する〈命令〉に人々は戸惑っている。

 だが、これは無視できない手順だった。

 アキとの実験が証明している。完全な〈命令〉でなければ、「死ね」と言ったところで拒否権は発動しない。宇宙人と異なり、地球人には「意味理解」のフィルタが存在するため、不完全な従属衝動が発現してしまうのだ。その従属は無意識下のものではない。あくまで自発的な逃避だ。「感情」のフィルタに直接作用する〈命令〉でなければ拒否権の発動が阻害されてしまう。


 つまり――従属衝動の第二段階と呼ばれる状態は、完全な〈命令〉を擬似的に成立させるための前提条件に過ぎない。

 その状態に陥っているか否かが、俺とアキとの違いだった。


 思えば、宇宙人の従属衝動の説明には第二段階などという言葉はなかった。おそらくその名称は俺の様子を観察した〈新聞同好会〉が名付けたのだろう。だから、一般に広まっていなかった。例は俺しかないのだから当然だ。

 思い込みというものは恐ろしい。

 従属衝動の第二段階と完全な〈命令〉は別種のものだという前提が理解を煩雑なものにしていた。本来、〈命令〉とはもっとシンプルなものに違いない。


「……命令に従え」


 きっと、その言葉で人々の身体は、脳は作り替えられていく。

 仕組みなどわかるわけもない。おそらく〈命令〉を受けたときに流れる電流にも似た衝撃が脳に別の回路を生成でもしているのだろう。肯定も拒否もない服従要求は強迫観念を引き起こさず、静かに肉体に作用する。

 呼吸をする。心臓の鼓動は重く冷たい。冷や汗にも似た、気味の悪い感覚が背中に張っていた。

 すべての推測は未だ真実めいたものに過ぎず、推測の域を出ない。

 それでも俺は続ける。


「俺の命令に従え!」


 これで、六回目だ。

 もし、俺が手にしたものが不完全な真実だったらどうなるのだろう。

 夥しい不安に胸が押し潰されそうになる。仮定の数だけ、恐怖の色が濃くなる。

 しかし、俺の立つ砂上の楼閣はもはやその程度では崩壊しないだけの頑強さを持ち合わせていた。


「なあ、みんな、俺の言うことを聞いてくれよ」


 周囲を見回す。人々に変化は見られない。

 当然だ。

 成功していたところでその兆候を即座に判別できるわけがない。完全な〈命令〉は無意識に作用する。見極めるためには別の〈命令〉が必要だった。

 俺は少し考え、言った。


「俺を見てくれ」


 宇宙船から発せられた信号が無数の流星群となり、地球を覆う。そのさまを幻視し、俺は周囲に浮かぶ映像を見つめた。

 息を呑む。

 定点カメラに映った人々すべてが俺を凝視していた。戸惑いの色も、批難の色もない。ただただ無意識に〈命令〉を実行するさまが映し出されていた。大崎と同じだ。そこに〈命令〉を噛み砕き、理解する行程など微塵も感じられなかった。


 俺は小さく笑う。

 達成感や優越感はない。自分のものだというのに、その感情がどんな色か、推し量ることさえできなかった。ただ、何かが終わる、という実感だけが胸の奥深くに鎮座している。地球が終わるのか、俺の日常が終わるのか、支配者制度という茶番が終わるのか。

 線を飛び越える。


「――」


 俺はその言葉を口にした。


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