07 針状の結論(1)
「勢い込んだはいいけど、まずは第一関門を乗り越えなきゃいけないんだよね」
ナコは俺の家の駐車場に停まっている白い軽自動車と相対して眉を上げた。母さんはナコの訪問とすれ違いに帰っていたらしく、エアコンの室外機が低く唸っていた。
「なんか問題でもあるのかよ」
「いや、ケイちゃんのお母さんがさ」
「理解されない、とかそういうことか?」
「それもあるし、前に一回顔を合わせたとき、あんまり印象よくなかっただろうからさ」
前? と訊ねなかったのはなんとなく予想がついたからだ。俺の記憶がねじ曲がったときのことだろう。〈新聞同好会〉は支配者のみならず、その身辺のケアや調整も行っている。きっと俺の記憶に関して説明をする必要もあったはずだ。そういえば大崎も母さんの反応をかなり懸念していた。
そこで、なんとなく、俺が自身の記憶について違和感を覚えなかった理由に気がついた。今まで母さんは話題の選別にどれだけ気を使っていたのだろうか。きっと慎重に慎重を期したに違いなかった。
とはいえ、家の前で立ち止まっていても埒があかず、俺は一緒に押していたナコの青いバイクを駐車場に置き、インターホンを鳴らしてドアを開けた。靴を脱いでいると母さんが小走りにリビングから出てくる。心配してくれていたのか、俺を見て顔を明るくし、そして、ナコの姿を捉えた瞬間、その表情にうっすらと苦みを忍ばせた。
「あの……どうも」
恐る恐る会釈するナコには借りてきた猫のような風情がある。以前、俺がした「線」の話を気にかけているのだろう。線を越えれば母さんは烈火のごとく、だ。とはいえ、躊躇など時間の無駄にしか思えず、俺は努めて明るく言った。
「母さん、えーと、横谷さん」
「……知ってる」
「俺も知ってる」ナコのことではなく、俺がどんな状態にあるか、をだ。「親の心子知らずだよな、いざ自分で言うと他人事みたいになるけど」
「ケイスケ」
記憶は戻ったの? そんな人といて大丈夫なの? 今度は何をしようとしてるの?
母さんはそれらなにもかもの疑問を押し殺すかのように目を伏せた。普段は見過ごしかねないそんな小さな動作も今は明瞭に見える。きっと、ずっと苦労をかけていたのだろう。だが、俺は即座に解消する術を持っていない。だから、「大丈夫だ」と根拠の薄い言葉を投げかけることだけが俺にできる唯一の慰めだった。
「大丈夫だって、母さん。ナコは友達だから手伝ってくれるだけでさ、心配はいらねえよ。まあ、記憶は戻ってねえけど、記憶がどうにかなってるのは知ってる。たぶん、これから全部どうにかなるんだ」
いつまで経っても母さんの顔に納得の色は浮かばなかった。俺は嘆息し、部屋に上がるようにナコを促す。ナコは逡巡を重ねていたが、覚悟を決めたのか、後に続いた。階段を昇り、自室へと向かう。その途中で背後の足音が止まったため、振り返ると母さんが深々と頭を下げている姿があった。その意味に確信を持てないから、俺はまだ子どもなんだろうな、と苦しくなった。
◇
「切り替えよう」
「そうだね、切り替えよう」
折りたたみのローテーブルを挟んで、俺とナコは鼻先を突き合わせた。机の上にはノートパソコンとまっさらなコピー用紙、ボールペンが置かれている。俺のかたわらには殴り書きの束とファイルが二冊だ。俺とアキの〈命令〉報告書。たぶん、この六畳の中に宇宙人を救うすべてが詰まっている。というより、詰まっていると信じなければやっていられない、というのが本音だった。
俺は「まず」と切り出す。
「まず宇宙人を救う方法だけど、大雑把に〈命令〉だって考えてる」
「それはこっちの、あー、〈新聞同好会〉? とも一致してるね。アキくんに訊いてもその他の方法はちっとも見えてこなかったし。でもさ」
「でも、なんだよ」
歯切れの悪い末尾に突っかかるとナコは渋い顔で両手を挙げた。
「確証がないんだよね。〈命令〉がどう作用するのか、全然、さっぱり」
支配者の前例はアキを含めて四件だ。〈命令〉の絶対数が少ないワン・シウヂエやアメリア・スミスはともかく、ヴィカス・クマールやアキはそれなりに数をこなしている。にもかかわらず、だ。もしかしたら〈新聞同好会〉は俺よりも多くの情報を持っているかもしれないし、そうでなくてもずっと頭のいい大人たちが集まっていて、多くの会議を重ねただろう。にもかかわらず、明確な答えに辿り着けなかった理由は、おそらく二つあった。
一つは各人に〈命令〉の意図を聞き出せなかったこと。三代目までは全員この世におらず、アキは物事をはぐらかす技術に関しては天才的だ。〈新聞同好会〉も煙に巻かれて大いに苦労したに違いない。
そして、もう一つは実感だ。得られるすべての情報が支配者からの伝聞になる以上、その情報の重要度は支配者の抱いた印象に依拠してしまう。また、多人数での議論は責任の分散に繋がるものだ。百聞は一見にしかずとも言えるし、船頭多くして船山に登るとも言える。〈新聞同好会〉が情報のランク付けを誤っていてもなんら不思議はなかった。
俺はカーペットの上にあるコピー用紙の束をちらりと覗く。あくまで予想、ではあるものの導き出した答えが的を射ている予感はあった。
だから、結論から伝える。
「感情だよ、あいつらは〈命令〉を受けた人の感情を収集してるんだ」
「……どういうこと?」
「宇宙人は〈命令〉に即した信号を送ってるだろ? その反対に、そこで生まれた感情も受信できるみたいなんだ。あいつらは感情のフィードバックって言ってたけど。支配者が直接あいつらにどうこう、って話じゃないなら、宇宙人と地球人の繋がりはそれしかない。あいつらは〈命令〉で生み出される感情を欲しているんだ」
「結論ありきに聞こえる」ナコは落ち着いた声で反論する。「三つ質問させて」
「多いな」
「まず、そもそも論で悪いんだけど、なんでケイちゃんは感情が鍵だと思ったの?」
「『話してみてそう思った』じゃだめなんだよな」自分がなぜその結論に至ったのか、記憶を探るように、俺はコピー用紙の束をぱらぱらと捲った。すると中ほどあたりに記されていた名前が目につく。「ナコはロバート・プルチックって知ってるか?」
「プルチックモデルの?」
「知ってたか」
「ちょっとくらいならね。心理学専攻だったし。でも、ケイちゃんからその名前が出てくるとは思わなかったな」
ナコはカタカタとパソコンに文字を打ち込みながら、本棚へと目を向けた。親父からもらった文庫本と俺が集めた漫画の単行本を見つめているようだった。
「いや、宇宙人から聞いたんだ」
ナコの動きが止まる。「宇宙人から?」
「たぶん、あいつらは自分たちと似たような感情の捉え方をしている生き物を探してたんだよ。だから、そういう研究についても、方法はわからねえけど、調査してたんだと思う。で、あいつらの言葉を信じるとな、自分たちが救われるために全力を尽くしてるんだとさ。なら……ならナコ、わざわざその名前を出したなら意味があると思わねえか?」
俺の問いかけにすぐさま返答は返ってこなかった。時計の秒針が音もなく動く。ナコは「うーん」と唸り、「興味深くはある」と言った。自身に言い含めるような口調だった。
「まあ、あたしらの文化とか生態を知るためにしては特徴的すぎる名前だし、ひとまずそこについては納得しておこうか。じゃあ、次の質問ね。ケイちゃんはどうしてその対象が〈命令〉を受ける人たちだって考えたの? むしろサンプルになってる支配者のほうが対象としてはわかりやすいでしょ」
「支配者が対象ならそれこそ〈命令〉はいらないんだよ。あいつらの宇宙船は景色どころか人の動きまで再現して映し出す機能があったんだ。それを使えばわざわざ地球を実験場に使う必要はないだろ? そこで擬似的にやれるじゃねえか。まあ、リアルタイムでの受け答えができるかどうかはわからねえけどさ」
当然、宇宙船を訪れた経験のないナコの反応は鈍い。俺は「最近、VRとか流行ってるだろ、あれのすごいやつって考えりゃいいよ」と付け足した。あの空間では身体感覚がある反面、精神体として存在するために物理的な制約が薄い。必要としているのが支配者の感情なのであれば、機能としては必要十分に思えた。
「じゃあ、これが三つ目ね。彼らは何のために感情を収集してたの?」
「ああ、それは感情のフィルタってやつだ」
「……なにそれ。聞き覚えのない単語だけど」
俺は苦笑し、頭を掻いた。いったい、宇宙人はどれほどの期間、地球人に支配者の権限を与えるつもりだったのだろうか。気の長い計画を練っていたのは間違いがなく、呆れかえりそうになる。
「思い出せよ、ナコ」
「思い出せ、って、何を」
「アキが言ってたろ、宇宙人は情報を小出しにするんだ」
彼らは直接的に自身の境遇や解決策を明言しない。自己防衛だ。そして、その予測が正しければ点は線へと変わる。俺は今まで一人で組み上げてきた荒唐無稽な推論を語った。
「宇宙人が住んでいた星ではきっと〈命令〉を用いた社会システムがあったんだ。それが歓迎されていたのか、どんなものなのか、そういうのはわからないし、たぶん意味がない。重要なのはあの三人が反旗を翻したってことだ」
「そう言えばアキくんが『囚人』って言ってたね。っていうか、三人なんだ」
「三体、かもな」俺は無機質な黒い球体を思い出し、肩を竦める。「でも、俺はその予想は正確じゃないと思ってる。あいつらはたぶん別の刑罰を受けてるんだ」
「つまり?」
「島流しだよ」
俺がそう言った瞬間、ナコは目を見開き、小さく「なるほど」と呟いた。視線がパソコンの画面上を往復する。何か心当たりがあるのか、薄い笑みを浮かべているようにも見えた。
「ナコ、どうした?」
「……ケイちゃんはウラシマ効果って知ってる?」
俺は本棚を一瞥し、それから、アキの部屋のDVDラックを思い浮かべる。そのどこかで目にした覚えがあった。相対性理論に関する話だ。完全に理解できているわけではないが、異なる速度にある二つの物質は異なる時間の進み方をする、というようなものだったはずだ。
「まあ、一応。それがどうかしたか?」
「あたし、『囚人説』には否定的だったんだよね。刑罰の本質って予防と更正にあると思ってて、なら、囚人だけを宇宙に追いやったって意味が薄いでしょ? そもそも宇宙船くらいの質量を捨てるのって資源的にもったいないし。でも、隔離なら話は別。彼らの寿命がどのくらいなのかはわからないけど、仮に帰還する航路が設定されていたとしたら帰ったときにはもう別の社会になってて、目的は達成されるから。……まあ逆もあるかもしれないけど」
「逆?」
「移動しているのが宇宙船じゃなくて彼らの故郷のほうだったら、の話。まあ、でも、これはもうファンタジーだし、大事なのはこういう枝葉の部分じゃないよね。本題は宇宙人たちが相対的な悪事を働いて、ここに来てるってことでしょ」
「あ」俺は咳払いをして、話を戻す。「ああ、でだ、あいつらもなんらかの〈命令〉を受けてたとしたら話は早いってことだよ。仮に……その『支配者』を独裁者って呼ぶけどよ、独裁者が何かを強制してるなら、話す内容が探り探りになってもおかしくはないだろ」
マトリョーシカが思い浮かぶ。
地球人は俺たちに支配され、俺たちは宇宙人に支配され、宇宙人は独裁者によって支配される。そして、その状況に鑑みたら彼らの目的はうっすらと見えてくる。
「あいつらの目的は――〈命令〉の回避だ。で、そこで必要になるのが、たぶん、その感情のフィルタなんだ」
その結論を伝えると、ナコは動きを止めた。吟味しているようでも困惑しているようでもあった。しばらく待ったが無言は続き、部屋の中に沈黙が浸透しきってから、俺は説明の続行を決めた。
「話を聞くに、〈命令〉はいくつかの行程を通るらしいんだ。宇宙人と俺たちとでは少し違うらしいけど」
ペンを取り、もう書き慣れた〈命令〉の作用機序の図を描く。上部に「命令」と記し、その下部を左右に、半分にわける。左が宇宙人、右が地球人だ。そのうち右だけに「意味理解のフィルタ」と書き、次に両方に「感情のフィルタ」と加える。
「ね、この『意味理解のフィルタ』ってのは?」
「これがもとで俺たちの従属衝動、つうか強迫観念が起こってるらしいけど、もともとあいつらにはないものらしいから気にしなくていいだろ」
「それもそうか」
「で、あいつらによると〈命令〉は絶対的なものじゃないみたいなんだ。程度はわからないけど、〈命令〉には拒否権があるらしい」
「……〈命令〉なのに?」
「だから、俺はこう考えた」宇宙人の欄にある「感情のフィルタ」に大きくバツをつける。「もし、あいつらの感情のフィルタがぶっ壊れてたとしたら?」
だから、宇宙人はフィルタを修復しようとしている。だから、宇宙人は感情が消失したかのような抑揚のない話し方をしている。だから、宇宙人は――。
〈新聞同好会〉の業務の範疇には情報の収集もあるのだろう、ナコは俺が口にしたすべての言葉を一字一句残そうとするかのように、キーボードを叩いていた。視線が左右に往復している。その速度は打ち間違いを探すと言うより、反芻という表現がぴったりだった。
俺は現状で持っている確信をすべて伝えた。窓の外を覗く。空には宇宙があり、街には灯りが点在していた。既に夜だ。空腹感が胃に触れている感触があった。
「素直に言うけど」パソコンに文字を打ち込み終えたナコは小さく息を吐いた。「あたしはケイちゃんのこと、すごいと思う。ここまで理由付けをしてると思わなかったから」
「顔の割に、か」
「顔の割に。ただね、やっぱり、仮定に仮定を重ねた推論であることは変わらないよ。都合の悪いことから目を逸らした、結論ありきの砂上の楼閣」
厳しい批判ではあったものの苛立ちはなかった。これまで議論すら許されなかったのだ、独りよがりの結論になっていたとしても落胆すべき事柄ではない。むしろ、多角的な視点という意味では否定すらもありがたかった。
「ま、そりゃそうだよな」
嘆息し、腹を撫でる。まずは食事を摂りたかった。母さんはきっと俺の分の夕食も拵えているだろう。お願いすればナコの分も出してくれるかもしれない。小休止を取るべきだと考え、俺は膝を立てる。
その瞬間、ナコは頬を緩めた。
「でもさ、砂上の楼閣に住むのも楽しそうじゃない?」
「……あ?」
「ほら、あたし、享楽的な人間だし」
初めて会った日、俺が伝えたナコの印象をそのまま口にされる。なんだか気恥ずかしく、思わず顔を逸らしたが、ナコは続けた。
「情報の不足があるとはいえ、少なくとも論理的な矛盾はないし、やってみようよ。別に失敗しても不都合はないしさ。それに、スタートラインに立たないと何も始まらない」
「……そうだな」
俺は頭を掻き、頷く。とはいえ、上げかけた腰を再び下ろすのが難しいくらいには腹が減っている。続きは食事のあとにしよう、と提案するとナコも快諾した。「そういえばいい匂いがしてたね、楽しみ」と、母さんの了承が決定しているかのように言ったため、俺は眉を上げる。
俺の電話が鳴ったのはそのときだった。
画面には「アキ」と表示されていた。




