ゲームになくともかわしてみせます
不味い事になったわね……。
こちらに対する嫌悪を隠そうともしないマリーゴールド様に、私は内心頭を抱える。
表情だけは変えないように努めているけれど、できることなら今すぐここから逃げ出したい。
できませんけれども。
「マリーゴールド様。本日もご機嫌麗しいようでなによりですわ」
ルシアンお姉さまの目の前で仁王立ちになって見上げてくるマリー様に、お姉さまは丁寧にお辞儀を返す。
ここの辺りはさすが侯爵令嬢。
どれほど苦手でも、一切その感情を見せない。
「あらぁ、ルシアンティーヌ様はお世辞がお上手ねぇ? でもわたくし、とっても不機嫌ですのよ。なぜだかわかるかしらぁ?」
ふんっと鼻を鳴らして、マリー様はお姉さまを見上げる。
お姉さまの表情が、私にしかわからない程度に憂鬱さを帯びた。
ミュリエルとビターは、ただならぬ雰囲気を感じてか、そっと寄り添って固まっている。
余計なことを言わないでくれるのはありがたいし、二人の距離がさらに縮まるのはよいことだけれど、こんなイベント、ゲーム内で起こった記憶がない。
全ルートをくまなく思い出せたわけではないからなのか、ゲーム内ではお菓子を買いに行くなんて本来しなかった行動をしてしまったせいなのか。
何となく、後者な予感がする。
焼き菓子を買いに行来ましょうなんて提案してしまったあの時の自分を、止めれるものなら今すぐ止めたい。
侯爵家の料理人に作ってもらうか、使用人に買いに行ってもらうのがきっと正解だった。
「……お菓子が売り切れてしまっていたのかしら」
マリー様の不機嫌さは、明らかにお姉さまに会ったからなんだけど、お姉さま、ナチュラルにそんなことをいう。
天然のお姉さまにだって、お菓子のせいじゃないことぐらいはわかっているはずだけれど、それ、もう、完全に火に油を注いでますっ。
「はぁ? ルシアンティーヌ様は相変わらずおかしな人ね! いま来たのに売切れているかどうかなんてわかるはずないじゃない。わたくしは、大好きなお店の前で大っ嫌いなあなたを見たから不快なの。わからないのかしらね!」
だんっ、と地面に片足を強く置くマリー様。
その瞬間、私の脳裏にミニミニサイズのマリー様のデフォルメイラストが思い浮かんだ。
これ、このシーン……。
思い出せたわ。
ボーナスステージ!
画面いっぱいのレンガの背景の上部に、三頭身のマリー様と、馬車。
そして、画面の下のほうに、こちらもデフォルメされたお姉さまのイラスト。
ボーナスステージのミニゲームは簡単で、画面上のマリー様が、下にいるお姉さまに、焼き菓子をいっぱい投げつけてくるのを受け止めるだけ。
ただし、焼き菓子と一緒に足を踏み鳴らしながら投げつけられる罵詈雑言――『大っ嫌い!』『馬鹿!』『おにーさまはわたくしのものです!』などなど――を、すべて避けなければいけない。
焼き菓子はたくさん集めると課金アイテムと同じ効果を持つアイテムに変えれるけれど、罵詈雑言は一個当たるごとにHPが減っていく。
HPが0になっても死ぬことはなかったけれど、HPが回復するまで何も行動ができなくなる。
HPはゲームだと♥マークで表示されていて、何か行動をするとハートが半分ずつ減っていく。
時間経過で回復していくけれど、マリー様の罵詈雑言をくらうと、一気にハートが一個ずつ減っていってしまう。
……何のシーンかを思い出すことはできたけれど、選択肢がないじゃない。
スチルのあるシーンなら大抵いくつかの選択肢が出てくるけれど、これはミニゲーム。
選択肢なんてない。
罵詈雑言を回避しなければいけないけれど、ゲームなら左右にキャラを動かすだけで避けれたあれを、現実ではどう避けるのが正解なのか。
身体を左右に揺らす?
いえ、あり得ないわね。
「そういえばぁ、ルシアンティーヌはお兄様とオペラを見に行くつもりでしょう? でもお兄様はわたくしと一緒に見たいと言っていたのよ。あなた、まさかついてくるつもりないわよねぇ?」
絶対に来ないで!
そんな強い怒りを漲らせながら、マリー様はお姉さまに詰め寄る。
ミュリエルが心配そうに口を開きかけるのを、ビターがさっと止めた。
うん、ビター、偉いですよ?
ここでミュリエルにマリー様の矛先が向いたら、どうなってしまうかわからない。
相手は公爵令嬢。
侯爵家の私よりも立場が上の彼女にミュリエルまで睨まれたら、守り切れるとは思えない。
そしてお姉さま。
マリー様の罵詈雑言を一身に受け止めているように見える。
かわせていないから、HPが、というより精神ね。
どんどんすり減っていっているのが手に取るようにわかる。
あぁ、もうっ。
「マリーゴールド様、そろそろフロランタンが焼きあがるころではないでしょうか」
「えっ、焼き立てなの?」
お姉さまを睨みつけていた琥珀色の瞳が、くるっと私に向き直る。
「甘い蜂蜜の香りが漂っていますでしょう?」
「蜂蜜は、マドレーヌでしょっ。わたくしを馬鹿にしているの?!」
「確かにマドレーヌも蜂蜜ですね。マドレーヌかフロランタンか、中に入って確認してみませんか」
「どーして、あなたたちなんかと一緒に入らなければいけないのよ」
「一緒でなくともかまいませんが、ここでお話ししている間に焼き立てが冷めてしまわないとよいのですけれど」
「くっ……」
私たちと、お店と。
マリー様は何度も見比べて、ふんっと鼻を鳴らす。
「一緒に入ろうと思っているわけではなくってよ。勘違いしないでよねっ」
「えぇ、存じております」
ちょっと悔しそうに、でも焼き立ての誘惑にあっさりと負けたマリー様のために、私は店のドアを開けて中に促す。
深緑色のドアを開けた瞬間、より一層甘い焼き菓子の香りが溢れてくる。
あ、いい香り。
お腹が鳴ってしまいそう。
思わず現状を忘れてしまいそうな香りだわ。
マリー様も、甘い香りと目の前に広がる焼き菓子の誘惑に目が釘付けになっている。
私たちのことをさくっとほっぽって、とてとてとフロランタンをショーケースに並べる店員のそばへ行く。
あぁして目を輝かせてお菓子を見ている姿は、愛らしいんだけどなぁ……。
口を開けばお姉さまへの悪口ばかりの彼女も、黙っていれば天使だ。
マリー様に続いて、お姉さまとミュリエルとビターが店の中に入る。
よかった、お姉さまの顔に生気が戻ってきている。
さっきまで、明らかに顔色の悪かったお姉さまも、お菓子の香りで嬉しそうよね。
マリー様の罵詈雑言をかわす選択肢がわからなくて、とっさに口をはさんでしまったけれど。
なんとかお姉さまのHPがなくなる前にどうにかなったかな。
「美味しそうです……っ」
ずっと固まってたミュリエルが、甘い香りにうんうんと頷く。
ビターもそんな彼女の頭をぽふぽふとなでながら、「フロランタンも焼き立てだったね」って笑う。
そう、フロランタンが焼き立て。
本当にあるのは運がよかったとしか言いようがない。