一緒にご飯? 遠慮なく辞退いたしますわ
入学式のイベントを何とかクリアした私、クリスティーナ=ローエンガルド。
私はいま、絶望の真っ只中にいる。
「クリスさま、そんなに落ち込まないで下さいませ。わたしのケーキを差し上げますからっ」
「ミュリエル、貴方はなんて優しいの。でもこれはわたくしの問題なのよ」
学食のケーキを私に差し出そうとしたミュリエルの手を、そっと押さえる。
彼女のトレーの上にはそれはそれはおいしそうな、生クリームたっぷりのシフォンケーキが乗っているのだけれど。
それはミュリエルが大・大・大好きな抹茶のシフォンケーキだから絶対に貰えない。
なんで中世風な世界設定で、和風な抹茶ケーキが存在するのか謎だけれど。
あ、正確にいえば抹茶じゃないな。
学食の入り口にあった本日のお勧めケーキの説明欄に、チャッマティーの粉末を入れてどうたらって確か説明が載っていたわね。
味はまんま抹茶なのだけれど。
「クリスさまの分のケーキがないなんて……」
しょんぼり。
幻覚の尻尾と耳がミュリエルに見えそうなぐらい落ち込んでいる。
でも私が凹んでいるのはシフォンケーキがないからじゃない。
それももちろん食べたかったけれど、問題は、今日も攻略対象が居ないからだ。
正解攻略対象の最後の一人、ビター=ブラウニー準男爵子息。
彼は大商人ブラウニー準男爵の三男で、乙女ゲーム『煌きは貴方と共に』では人懐っこいワンコ系キャラだった。
そのくせ、いざと言う時はちゃんとヒロインを守ってくれて、頼りがいもある。
お父様の大商人としての資質もきっちり受け継いでいる彼は、男爵位を国から購入してミュリエルと幸せに暮らすのだ。
正解攻略対象の中で、ミュリエルに一番お勧めしたいキャラと言ってもいい。
でも……。
私は、平民で賑わう学食をもう一度見渡す。
白いゴールデンレトリーバーを髣髴とさせるプラチナブロンドは、茶色い頭がひしめくこの学食ではかなり目立つはずなのだけれど。
「シフォンケーキがないのは残念だけれど、木苺のタルトもキノコのグラタンもとても好きなの。だからわたくしは大丈夫よ」
落ち込んでいる本当の理由を、まさかミュリエルにいえないからね。
でもキノコのグラタンは本当に好きだし、ここの学食は美味しいのよね。
貴族も口にするからか、侯爵家の食事とさほど変わらない感じ。
もっとも、メニューは庶民的だけれど。
あ、ちなみに。
ルシアンティーヌお姉様は、貴族しか入れないサロンで食事をとっています。
本当なら私もそちらで食事をするのだけれど、ミュリエルが攻略対象と初めてエンカウントするのがこの学食ですからね。
ちゃんと正しい選択肢に誘導するべく、側で見ているのだけど……。
入学してすぐにエンカウントするはずだったのに、もう今は四月も下旬。
昼休みが始まったらすぐにミュリエルと共に学食に来て、すれ違わないように時間ぎりぎりまでおしゃべりをして過ごしているのに。
一体なんでイベントが起きないのか。
ミュリエルが美味しそうに食事をしているのを見て、
『すっごく美味しそうに食べるんだね! 僕はビター=ブラウニー。友達になってよ』
って、明るく話しかけてくるはずなのにな。
乙女ゲームのイベントって、詳しい日時はなくて、大体の時期で発生していたのよね。
入学式始まってすぐなら、四月中に発生するはずのイベントなのだけど。
五月も新学期始まってすぐの扱いになるのかしら。
でも五月に入ると、お姉様のイベントフラグも発生するから、困る。
ミュリエルとお姉様のフラグだと、お姉様を優先しないとまずい。
お姉様は悪気なく悪意なく天然ですからね。
ふとした発言がレーゼンベルク様を、失意のどん底嫉妬男に追い詰めかねない。
そうするとやっぱり一気にバッドエンドに突き進んでしまうから、絶対に避けたいところだ。
「おっ、今日も本当にいるんだな」
背後から聞こえた声に、私は一瞬頬が引きつるのを感じた。
聞こえなかった振りをして、窓際の席に行ってしまおうかしら。
学食に通い始めた初日から、そこの席はいつでも二人分空いているのよね。
窓から手入れの行き届いた庭と青い空を眺めて取る昼食は、とても美味しいのに。
振り返る事無く席へ向かおうとした私の肩を、ぽんっと誰かの手が叩く。
誰か、なんて振り返らなくてもわかっているのだけれど。
「……公爵子息がこちらの学食へ来るなんて、珍しいですわね」
溜息をつきたいのを堪えながら、私は振り返る。
瞬間、白いプラチナブロンドが目に止まる。
「えっ」
「どうした? 急に固まって」
ロイスが紫色の瞳を不思議そうに見開く。
でも私はそれ所じゃない。
「ビター=ブラウニー準男爵子息!!!」
びしっ!
ロイスの隣に立つ攻略対象ビター=ブラウニーに扇子を突きつける。
「はいっ?!」
「貴方、今までどこにいらしたの」
「え、えっと、どこにって、さっきまでは校舎にいたんだけど?」
「そういう事を言っているわけではございませんわ。毎日学食に来ないで昼食をどこで取っていらしたというの」
「そりゃもちろん、サロンのほうだろ」
「ロイス様には聞いていませんのよ。わたくしはビターに聞いていますの。貴方はここの学食で昼食を美味しく食べるのではなくて?」
「いや、俺がサロンのほうへ誘ったんだ。ここの学食に入り辛そうにしていたから」
「入り辛い? 何故ですの。ここはこんなにも開放的で食事もとても美味しいでしょう」
貴族のみが入れるサロンに比べればランクは少し落ちるかもしれない。
でも由緒正しきティアレット王立学園なのだから、柱の細かな彫刻や周囲に飾られた絵画、重厚なマホガニーのテーブル。
どれをとっても、準男爵の子息が入るのを躊躇うような造りではないはず。
侯爵令嬢の私だって十分満足できるのだから。
首を傾げる私に、ビターは「あー」とか「うー……」とか、いかにも困っていますといった態で視線を宙に彷徨わす。
一体、なんなのか。
「そう、責めてやるなよ。侯爵令嬢が居座っている学食に気軽に入れる貴族は早々いないだろう?」
ロイスが本当に、しみじみと言う。
え。
それって。
あの。
その。
……。
…………。
……………………。
フラグが立たなかったのは、またしても私が原因かーーーーーーーーーーーーー?!
ばっと周囲を振り向くと、平民出身の学生達がさっと視線を逸らした。
あぁ、これ、窓際の席が空いていたのも、私が侯爵令嬢だからだぁ……っ。
「おい、大丈夫か?」
軽い眩暈に襲われてふらついた私の手を、ロイスが掴んだ。
「だ、大丈夫ですわっ。ちょっと、立ち眩みがしただけですから」
支えてもらったけれど、私はさっと手を振りほどく。
……ミュリエル、そんな頬を染めて私達を見ないで。
そんなんじゃありませんからね?
「あっ、シフォンケーキ! こっちの学食でもデザートがあるんだねっ」
ビターが、ミュリエルのトレーにちょこんと乗っているシフォンケーキに目を輝かせる。
「はい、とっても美味しいんですよ。あ、でも……」
「でも?」
「シフォンケーキはこれが最後の一つなんです!」
「うわっ、ほんと? ショックだぁ……」
「大丈夫です、わたしの分を差し上げますから」
「わっ、それほんと? 名前なんていうの?」
「ミュリエルです」
「ミュリエルちゃんかぁ。僕はビター。ビター=ブラウニー。甘いものが大好きなんだ。よろしくね!」
「よろしくですっ」
トレーをテーブルに置いて、ミュリエルとビターが握手を交わす。
あぁ、イベントとちょっと違う展開だけれど、フラグはこれで回収できたかしら。
正解の選択肢を選んだ時と同じ状況になった事にほっと息をつきつつ。
ロイス。
貴方は何で私の木苺のタルトを奪ってるんですかね?
「まぁ、俺とクリスの仲でしょ」
どんな仲なのか。
「えいっ!」
「うぉっ?!」
ロイスが持っていた木苺のタルトをパキッと半分折って奪い取った。
侯爵令嬢にあるまじき?
大丈夫、この学園では身分は皆平等です。