悪役令嬢の妹でした
その日は、何もない平穏な日のはずでした。
貴族の令嬢として日々礼儀作法を学び、教養を身につけ、お茶会に出席する。
王宮でのお茶会はもちろんの事、各貴族の家で開催されるお茶会への出席は、人脈作りに欠かせないものですから。
だから、今日この日。
優しい春の日差しと、手入れの行き届いた中庭。
真っ白なガーデニングテーブル。
咲き誇る花と新芽の息吹を感じながら、バーレンダ伯爵家のお茶会にわたくし達ローエンガルド侯爵家姉妹が出席していたのは。
不幸な偶然だったのか、それとも、必然の幸運だったのか――。
「どうして、このお茶会に平民が紛れ込んでいるのかしら」
わたくしの双子のお姉様、ルシアンティーヌ=ローエンガルドは手にした扇子を閉じ、その澄んだ紅の瞳を細める。
その声に、みな、少し離れた場所にいた少女を振り返った。
お姉様の視線の先にいるのは、一人の少女。
ミュリエル=フォンダン男爵令嬢。
小柄で、ふんわりとしたミルクティー色の髪。
くりくりと愛らしい、空色の瞳。
豪奢な銀の巻き髪と、凛とした表情で、そこにいるだけで高貴な気配を纏わせるお姉様とは正反対の、素朴な少女だ。
侯爵令嬢たる姉に問われて、きょとんと彼女は首を傾げる。
とても愛らしい仕草だけれど、きっと彼女は解っていない。
平民と言われたのが自分の事だと。
男爵家は、貴族です。
平民などではありません。
けれど今日の彼女の服装ときたら――何の変哲もないワンピース。
ピンクを基調としたのは、何もおかしな事は無いでしょう。
彼女の柔らかな雰囲気に、よく似合ってもいます。
細かなパッチワークも、丁寧な職人技かもしれません。
でも、ここはバーレンダ伯爵家主催のお茶会の場。
王宮にいく時ほどの正装は求められはしませんが、それ相応の服装というものがあるのです。
少なくとも、伯爵家よりも格下の男爵家の令嬢が、ワンピースという軽装で訪れて良い場所ではありません。
ミュリエルが、ハッとして俯きました。
お姉様と周囲のご令嬢の目線が自分に向いていると、やっと気づいたのでしょう。
ワンピースの裾を握り締め、そして――。
⇒『泣きながら、走り去る』
『そのまま、泣き崩れる』
……ん?
なんでしょう。
いま、頭の中に、何か変なものが浮かびました。
こう、小さな、手の平サイズの箱の中にガラス板、その板に選択肢が表示されるのです。
見た事もないものです。
ピコピコと点滅する矢印で、ガラスの板に表示された文章を選ぶのですが――なぜ、わたくしはそれを知っているのですか?
見た事がないものですのに。
しかも。
ガラスの板の中には、お姉様とわたくし、それに主催のバーレンダ伯爵令嬢など、今日のお茶会に招かれたご令嬢が映っています。
まるで、ミュリエルから見ているかのような構図です。
ズキンッと。
頭の奥が痛み、次の瞬間、記憶の奥底を叩き割ったかのように見ず知らずの記憶が次々と溢れでてきて――。
「っ、あぁっ!」
「クリスティーナ?」
突然声を上げてよろめいたわたくしを、お姉様が支えて下さいました。
でも、わたくし、……ううん、『私』は、それ所じゃない。
止めなきゃ!
この場から、泣きながら走り去ろうとしていたミュリエルが、私の声に驚いて立ち止まってくれていた。
だから私はそのまま彼女に歩み寄り、その手をとった。
突然の事でまだ頭は痛むけれど、かまっていられない。
そう、ここで彼女を走らせちゃ、駄目。
「ミュリエル=フォンダン男爵令嬢ですわね? そのドレス、とても素敵ですわ。
ごめんなさいね、あまりにも驚いてしまって、淑女としてはしたない所をお見せしてしまったわ。
貴方のドレスは細部まで丁寧に刺繍が施されていますのね。
王都でもこれほど丁寧な刺繍は見かけませんわ」
いきなり声を上げてよろめいたのに、次の瞬間強引に彼女に近付いて手を握る私。
はっきりいってシュール。
周りの令嬢も唖然としている。
けれどミュリエルは、ぱっと顔を輝かせた。
彼女が着ているワンピースは、彼女にとってはたった一つのドレスなのだ。
お針子をしていた彼女のお母様が、彼女の為だけに作った世界で唯一つの特別な一張羅。
ピンクはピンクでも、淡い色から濃い色まで、様々なひし形のピンクの布地をパッチワークし、その一つ一つに小花の刺繍が刺されている。
ミュリエルが大人になってから着れる様に、サイズ調整もできるようにデザインされている。
今日初対面の私が、何でそんな事を知っているかって?
たった今、思い出したからよ。
「このドレスは、お母様の形見なんです。褒めていただけて、すっごく、嬉しい……っ」
さっきまでとは違う、嬉し涙を滲ませながら、ミュリエルは笑う。
その笑顔を見て思う。
……あぁ、私。
ぎりっぎり、間に合ったわ!!