中の人などいない!
誰もが声を失っていた。
消えたのはあちこちから上がっていた破壊音だけではない。
人質として捕まっていた子どもの泣き声も、親達の絶望に染まった悲鳴も、繰り広げられていた戦いの音も……全ての音が止み、沈黙に包まれている。
暴れていた全身黒タイツの怪人達や、『彼』から不意打ちを食らって倒れ付している大将格らしい巨大なワニ男も一言も発しない。
そして、悪党に敗北し呻き声を上げていた、色違いの服を着た公的機関の五人のヒーロー達も、驚愕の表情を浮かべて事の推移を見守っている。
誰もが急に現れたその存在に声を失っていた。
悠然と真っ直ぐに立ち、助けた出した幼い女の子が母親の元へと駆けていく背中を見送る『彼』の存在自体は物珍しいものではない。
何故なら彼はある意味ではこの場にいることが当然の存在だから。
「悪死神団の幹部候補である俺様を吹き飛ばすとは……貴様……何者だっ!」
2メートル以上の背丈がある無骨なワニ男は咳き込み、屈辱と怒りで身体を震わせながら立ち上がると『彼』に向かって大声で叫ぶ。
だが、問われた『彼』の方は何も答えず、非機能的な三角形の羽をぷらぷらと横に振り、謝罪するように二回頭を下げた。
(有り得ない。あんなものに俺様が!)
油断は確かにしていた。だが、納得は出来ない。
公的ヒーローを倒し、作戦の成功を確信していたワニ男は『彼』を力強く指さして睨みつける。
「貴様はそこの雑魚どもとは格が違う。わかったぞ……改造人間……いや、第一種公的ヒーローか?」
突如疾風のように現れ、止め寸前のヒーローとの間に入ったのは、ずんぐりむっくりな黒い大きな身体に丸々とした白いお腹。黄色い嘴に見事に決まっている金色のたてがみ。
足は短く、ヨチヨチ歩きしか出来ないはずであり、とても陸で住む生き物とは思えない。
というか有り体にいってペンギンだった。しかも無駄にでかい。
懸命に羽を横に振る姿は流行り(?)のゆるキャラそのものである。
「ママー。いわペンかっこいいー」
「しっ……!」
夢の詰まったアミューズメントパークを歌い文句にしている遊園地『ドリームワールド』の広場に突如現れた、遊園地のマスコットキャラ『いわペン』。
それが捕まっていた子ども達を救い、窮地に陥ったヒーロー達を助けた謎の助っ人の正体だった。
「ええい。お前達行け! あの不細工なペンギンの皮をはいで来い!」
「「「シャァァァァァァァァァ!」」」
破壊活動を行なっていた手下の十数人の黒タイツ達が、ワニ男に命令されて一斉に飛びかかった。
彼等も手下とはいえ、人外の存在。人の背丈よりも高く跳躍している。
だが、いわペンは慌てることなく半身になりながら腰を落とすと同じように宙に飛んだ。
彼等よりも高く。
「な、ペンギンが空を飛んだっ!」
いわペンは空を舞った。
そして、ずんぐりむっくりな巨体に見合わない軽やかさで黒タイツ達を的確な早業で叩き落としていく。落ちた黒タイツ達は完全に気を失っていた。
「一撃で十五人が全滅だと! 俺様の特殊戦技部隊が……」
手下を全てやられたワニ男が呻く。
そんな彼の目の前でペンギンはまんまるな背中を向け、両羽をバサバサ動かして勝利をアピールしていた。
まるで「鳥に空中戦を挑むなど愚か」とでも言いたいかのように。
ワニ男は目の前のペンギンが『本物』であることを理解せざるを得なかった。
「ぐ、ククククッ! ハハハハハハッ!」
だから、笑う。高らかに。
元々武術家だったワニ男は強さを得る為に悪の組織に身を置き、改造手術を受けた。
「まさかまさか……まさかなぁ」
強者になれば公的ヒーローと呼ばれている強者とも戦える。
彼は戦いと血に飢えた怪物だった。
それなのに、任されたのはあまりにもツマラナイ任務と敵ばかり。
腐っていく自分を彼は自覚していた。
だが、目の前のペンギンは同種の存在。怪物。
ワニ男の心の中で歓喜が爆発した。
敵を侮る心が消え、人間だった頃の武人としての彼が蘇る。
ワニ男は油断なく距離を取って構えると、いわペンと真っ向から対峙した。
「俺様は悪死神団、アリゲーター。参る」
いわペンは尚も何も言わない。
ただ、不安定な頭をよろよろと動かして一礼する。
言葉は要らない。
心で分かり合えた。ワニ男はそう思った。
「ウオオオオオオオオオオオッ!」
爬虫類の瞬発力は尋常ではなく、足元のアスファルトは轟音と共に砕けていた。
小細工なし。岩をも砕く全力の拳を振るう。
目で負うことは不可能な動きだ。
音速を超える一撃。
それを。
いわペンは横に弾いた。
いとも簡単に。
ワニ男の凶悪な顔に笑みが浮かぶ。
(偶然ではない。これ以外にないタイミングだ。こいつは)
流れるようにいわペンの羽がワニ男の分厚い胸板に触れる。
ワニ男は敗北を確信し、目を閉じ……衝撃で気を失った。
その日の夜。古ぼけた道場付きの一軒家では細く締まった身体付きの青年と、妙に割烹着が似合っている可愛らしい少女が彼らにしては珍しく、豪勢な食事を囲んでいた。
ちゃぶ台にはご飯と味噌汁だけではなく、彩りのあるサラダと秋刀魚が付いている。
いつもは節約のために消している古い型のテレビも、今日は明るい番組を流していた。
「で、お兄ちゃん。仕事はきちんと出来たの?」
「無論」
「本当に? ほ、本当に?」
「完璧だ。何故か特別ボーナスも出してくれようとした。それは断ったが」
「どうして断ったの?」
「うむ。社会人としては当然」
心配そうにしている少女とは裏腹に、青年は融通の利かなさそうな硬い表情で頷き、熱々の身をほぐしている。
その表情に納得したのか少女は一つ溜息を吐き、しみじみと天井を見上げた。
「オーナーさんには感謝だねー」
「うむ。出来た方だ」
「お兄ちゃん、武術以外何も出来ないし……」
「失敬な」
断言口調の妹に青年は一言だけ抗議をする。
しかし、それが事実であることは青年自身が一番良く理解していた。
幼い頃から武に人生を捧げ、一族に伝わる秘伝の流派で歴代最強を謳われた青年は、真面目で善良ではあったが世間知らずであった。
当然道場の経営など出来るはずもなく、父の残した財産を食い潰す日々。
しかし、義妹が高校を通うことになり、二十代も後半に差し掛かっていた青年は道場の経営を諦め、働きに出ることにしたのである。
だが、彼は義務教育すら怪しい程度の教育しか受けていない。
そして、顔が怖く威圧的な雰囲気であり、身体付きも細身だが明らかに常人では無い。
そんな彼を雇う職場は残念なことになかった。
しかし、失意の淵にあった彼にも転機が訪れた。
慣れない背広を着て街を歩いていた時に、今の職場である『ドリームワールド』のオーナーの孫娘を誘拐の危機から救ったのである。
彼は泣いて喜ぶオーナーが提示した巨額の礼を断わり、代わりに悩んでいた面接の必勝法を聞いた。武術脳の青年は正しい面接の修行が不足しているのだと考えていたのだ。
その点、巨大な豪邸に住んでいるオーナーはプロのはずだと。
そんな彼の話を聞いた好々爺なオーナーは朗らかに笑って言った。
「それならうちで働いて欲しい。君の人間性は認めているからね」
「その仕事とは?」
「子どもに夢のような世界を楽しんでもらう仕事だよ」
こうして、武術の達人である青年は遊園地で働くこととなった。
同僚達との距離はまだまだ遠いが、手応えは感じている青年だった。
『次のニュースです。ドリームワールドで怪人の襲撃がありました。これがその映像です』
「へぇ~……って、これお兄ちゃんの職場……」
「ふむ。良く撮れているな。ワニ男の動きも中々」
テレビには昼間のいわペンVSワニ男の映像が流されていた。
華麗に闘ういわペンの動きをナレーターは興奮した様子で伝えている。
「お兄ちゃん、どうしていわペンはワニを無視しているの?」
「服務規程二十四条一項。いわペンは喋ってはいけない」
妹がジト目で青年を見詰めていた。
言いたいことは鈍い彼にも判る。
「あれ、お兄ちゃんでしょ?」
「あれはいわペンだ。中の人などいない」
しかし、青年は普段通りの物堅い表情で真面目にそう答えると、箸を置き、両手を合わせた。
「ご馳走様。美味かった」
ほんの僅かに青年が微笑む。
妹は仕方なさそうに首を横に振ると、釣られて笑った。
「お粗末さまです。お兄ちゃん、子どもの夢を守るって大変だね」
「やりがいはある」
「ふふっ。楽しそうで何よりだよ。さ、先にお風呂どうぞ」
「先で良いのか?」
「良いの良いの! 私は先に片付けちゃうから」
立ち上がった兄の背中を懸命に押し、妹は機嫌良く片付けに入る。
不器用でどうしようもない兄だが、そんな兄が彼女には自慢だった。極たまにしか笑わないが、だからこそ、彼が笑った時は本当に嬉しい時なのだ。
兄はいい仕事に就いたんだと、彼女は思った。