芽生え Ⅳ
マールとの挙式を翌日に控えた日の午後。ラウールは、イロイロとなにやらやらかしていた上官を、やっとのことで捕まえることに成功した。
「今まで、一体何処に!?」
「あちこちに。家族には、連絡したのか?」
「とっくにしました! もう到着しています!!」
ラヴァリスは、副官の言葉に、器用に片方の眉を上げてみせる。
「はやいな。一体、どうやって」
「ティアール様が、つれてきてくれました」
そう、ラヴァリスの疑問に答えたのは、ラウールの末の妹であるリュ―ラ。長兄と同じ栗色の髪をおさげにした幼い少女は、胸を張って、長身の兄の上官を見上げた。
「ティアールが?」
「あちらに」
ラウールは、末の妹を抱き上げると、ラヴァリスと共に家族がティアールと共にいる別室に足を向けた。
「ティアール」
「我が君」
紫苑色のドレスに身を包んだラヴァリスの魔術の弟子は、彼が副官を伴い入室してくると裾をさばき、立ち上がると優雅に一礼した。
「ラヴァリス卿」
「家族に話したのか」
「はい」
紫の瞳が、まっすぐに、ラヴァリスの色違いの蒼い瞳を見上げた。
「それで?」
「祈ってくれるそうです」
「そうか」
ラヴァリスは、それだけ言うと、瞳を伏せた。だがそれも一瞬のこと。
「そちらが、ラウール、お前の家族か?」
海王神の血を引く若き大将軍は、深い瑠璃色と鮮やかな群青色の双眸を、かしこまっているラウールの家族に向けた。
「両親と、弟たちです。サイーリャのすぐ下になる、コノールに、その下のリオンです」
「大将軍を拝命しているラヴァリスだ。今回、急な話で驚かれただろう。だが、マールにはラウールが必要。ゆえに、申し訳ないが急がせてもらった」
「お相手の方の事情は、ティアール様から伺いましたわ。ラヴァリス閣下」
ティアールの侍女であるサイーリャが、家族を代表して力強く言い切った。
「あんな惰弱者に、ご自分の娘を嫁がせようなんて、マール様のご両親は一体何をお考えになられているのかしら」
「全くだ。よくもまあ、どう見ても、娘さんよりも自分たちの方に年齢が近い男を、義理の息子に持てるものだ」
父親の言葉に、ラヴァリスは驚いたように軽く目を見張った。
「父上殿は、ホーキンスをご存知なのか?」
ラヴァリスの問いかけに対し、父親は「オーヴェルとお呼びください」と断りを入れてから、答えた。
「先程、大神殿にやってこられてなにやらわめいておられましたな。小太りで、歩くより転がった方が早いような体格のお方でしたが」
オーヴェルの的確かつ容赦ない表現に、ラヴァリスとティアールは思わず吹き出してしまう。
「ご両親は、あのお方の何処に娘に相応しいと考えられたのかしら」
「身分でしょ。アレでも筆頭公爵の跡継ぎ。今は、伯爵だったかしら。玉の輿ねらいなんじゃないの?」
サイーリャが辛辣に言ってのける。
「しかし、よく十日ももたせましたね」
ラウールの疑問に、ラヴァリスは無造作に肩をすくめた。
「『花嫁衣裳を仕立てている。新郎には式まで逢う事は許されない』とね。『新郎』が『誰』とは言ってないからな。文句があろうとも、そう言われたら引き下がるしかない。しかも、言った相手がこのオレだ」
ホーキンスの母国サルヴァトーレも、かなりの大国だが、ラヴァリスの母国であるこのヒュベリオンは、更に上を行く。その上、ホーキンスは筆頭公爵の跡継ぎではあるが、本人は未だ伯爵でしかない。だが、ラヴァリスは王位継承権を返上したとは言えこの国の第一王子。しかも正妃であるシエラの生んだ、本来ならば、次代の国王となるべき立場の人間である。身分では、全く勝ち目がない。
勝ち目がないのは身分だけではない。彼が王位継承権を放棄して、秩序の女神の
軍勢に加わったことは、有名な話だ。それを聞いた時、ホーキンスは「馬鹿なことをする」とせせら笑ったものだが、周囲の人間たちの反応は様々だった。
彼のようにせせら笑うものはごく少数で、大多数の人間はラヴァリスがこれで神の一員になることが決定したと騒いだものである。
何と言っても、彼は海王の孫息子にして大神の大甥。今や、「アルティシア神軍にラヴァリスあり」とまで謳われている存在だ。仮に、彼の人間の血筋が、身分の低い者であっても「神の寵愛を受けた人間」に対する尊敬の念の前では身分など、何の意味もなさない。
それ故に、ホーキンスにとってラヴァリスに対する勝ち目は皆無と断言できる、できるのだが、何故か彼は一方的にラヴァリスを敵視しており、そのことが後にサルヴァトーレ国に大きな災いを呼び寄せることになるのだが、ここでは割愛する。
ホーキンスの元に、「花嫁衣裳が仕立てあがった」との連絡が入ったのはその日の夕方で。翌日の正午に大神殿に来られたしとのメッセージがしたためてあった。
「これで、あの女を我が物にできる」
しがない子爵の娘でありながら、この筆頭公爵の跡継ぎである自分を拒み、大神殿に逃げ込んだ女。だが、娘の尻拭いは両親によって、婚姻の書類に代理で署名することでなくなった。
イルサーレの神官も、自分の意見に従っている。
当然だ。自分は、アクリジェントでも指折りの大国の筆頭公爵の跡継ぎであるのだから。自分に従わないことは、国王に従わないようなものだ。
ホーキンスが、束の間の喜びに浸っている頃。大神殿では、海の女神とその息子による悪巧みが進行していた。
「他人聞きの悪い」
大神殿を巻き込んだ盛大な茶番劇に参加しようと(何故か)その場にいる父王の表現に対し、ラヴァリスは唇をとがらせた。
「って言うか、いいんですか? 国王が大神殿に居て」
「ラヴァリス殿下」
ラヴァリスのあんまりにもアレナ表現に、大神官長は、こほんとわざとらしく咳払いをしてみせる。
「仮にも神に仕えるお方が、神殿を『こんなとこ』呼ばわりはいかがなものかと」
「そういう意味じゃなかったんだけどな」
ラヴァリスは、きまり悪げに琥珀色の髪をかきまわす。
「そもそも、何だって父上が大神殿に居るんです?」
「妃に呼ばれた」
「母上?」
「サイモスがすきそうな騒ぎだから」
変なところで仲の良さを発揮する両親に、ラヴァリスは今更ながら、自分の両親がどうして結婚することになったのか、その理由が思いあたって頭を抱える。
「ホーキンス? ああ、あの転がせたら楽しそうな」
「そう、そのホーキンスじゃ。その男を、コケにするために結婚式に招待しておいた。今頃、『花婿』が己だと疑うことなく喜んでおるじゃろう」
「想像しただけで酒がまずくなる」
サイモスの手には、妃であるシエラのお土産である南の国の葡萄酒が入った杯がにぎられている。
「それはすまなんだ。せっかくの美酒をあのような男のせいで不味くなど、酒に対し失礼じゃな」
そう言って溜息をつくシエラの手にも、やはり、優美な意匠の杯が握られていた。
「明日の結婚式が、実に楽しみだ。ヤツの顔が苦痛にゆがむのを見るのは楽しいだろう、が、醜いだろうなあ」
「人間の王家の血を引いていながら、なんだって、あのように醜いのじゃ? アレの腹違いの兄の方が、よっぽど優秀。見た目もな」
夫婦が杯片手に、用意された軽食をつまみながら語らうのを、大神官長は複雑な思いで見つめた。
大神官長は、イクラシオンの寵愛が厚い神官である。それ故に、ラヴァリスの出生の秘密を知る数少ない人間のひとりでもあった。
自分の両親が仲良く語らっているのよそに、ラヴァリスが両親の結婚する理由に思い至らず、ひょっとして「母上の気紛れなのでは」との疑念を芽生えさせつつあるのが手に取るように分かり、大神官長は溜息をつかずには居られなかった。