芽生え Ⅰ
ティアールは、重い足取りで実家へと向かっていた。
「やはり、日を改めた方が」
付き添いとして、同行しているレオンニーナの言葉に、頭を振る。
「駄目よ、そんなことをしたら、余計に行き辛くなる。それに、家族には、バーリンの死の真相を知るべき義務と権利があるわ。…いつまでもラヴァリス卿に甘えているわけにはいかないのよ」
普段は瞳にあわせた紫の衣装を纏うことが多いティアールだが、実家に向かうのに、聖域で身に纏っているような露出の高い(趣味と実益を兼ねた)ドレス姿ではなく、市井の若い娘が着ているような上着と裳裾に身を包んでいる。
「…ナニよ」
「いや…」
傍らを歩く歳下の騎士の様子に、ティアールは半目になった。
「何というかその…新鮮ですね」
「はあ?」
レオンニーナの言葉に、紫の瞳を持った魔導師は、なんともいえない表情で彼を見上げた。
「その辺の娘さんと同じような格好のティアール殿を見るのは、初めてなものですから。すごく新鮮です」
「…それ、ほめているの?」
「ええ。めいいっっぱいほめているつもりですが」
レオンニーナの何処か胡散臭い笑顔に、ティアールは鼻を鳴らす。
「まあいいけど」
「普段のティアール殿の姿もいいですが、これはこれでなかなか。紫以外も衣装、持っていたんですね」
そう。本日のティアールの服装は、濃紺の上着に淡い灰色の裳裾、と言う色の組み合わせで、その妖艶な美貌さえなければそこいらの若い娘と言っても差し支えない格好だった。
「持っているわよ。ただ、紫が好きなだけ。それに、魔導師という職業柄、その辺の娘さんと同じような服装だと、舐められるからね」
魔導(術)師という職業は、ある意味目だって何ぼなところがある。間違っても、その辺の人間と同じような格好では、いけないのだ。
「イメージって、大事じゃない? 騎士だってそうでしょう?」
「そうですね」
騎士もイメージ優先なところがある職業だ。特に、レオンニーナのように神に仕える騎士ともなればなおさらである。
「『らしい格好』って、大事なのよ。初めて逢う人間に対する判断って、服装によるものが多いじゃない。あたしみたいな職業の人間が、普通の娘さんと同じような格好で『魔導師です』って言った所で、そう簡単に信じてもらえるとは到底思えないし」
「ですよねえ」
やけに、力強くあいずちをうってくる連れに、ティアールはなんとも言いがたい表情を向けた。
「なんかあったの」
「いや、その。僕の出身の村の領主がぼんくらで…僕に娘婿になれってきかなかったんですよ。丁度、里帰りして剣を実家に置いていたばかりに、頭ごなしに言われまして」
「アルティシア神軍の万騎隊長に、頭ごなしに娘婿になれって、命令したんだ」
「断ったら、『領主に刃向かうとは何事だ』とか抜かしましてね」
「それでどうしたのよ」
レオンニーナはさわやかに黒いと言う、矛盾した微笑を浮かべて見せた。
「連中の目の前でオーレンシアを召還して見せた、それだけですよ。それだけで、僕が何者なのか、思い出してくれましてね」
「そう」
オーレンシアとは、柄に大粒の緑柱石をはめ込んだレオンニーナの愛剣である。これもまた、ティアールのもつ黄金杖アグレイルーンや、コーマディアスの愛用の弓であるエルファバインなどと共に、神から下賜された武器であった。
「それで、その領主の娘さんとの縁談はどうなったの」
「あちらはひどくご執心でしたけどね」
レオンニーナは肩をすくめながら、続けた。
「きっぱりとお断りしましたよ。ですが、いまだに、僕と結婚するつもりらしくって、父親をせっついています」
「馬鹿なの? わたしたちは、人間の身分に縛られないってことが理解できないなんて」
そう。アルティシアに仕える者たちの中で、生まれつき高い身分を有している者などごく少数にしかならない。ラヴァリスやファリエは、王族の出身だが、同じ王族でもヴァファルとサイネリアの兄妹は人間ではなく、妖精族の出身である。参謀長を任じられているカヴァールは、かろうじて貴族の端っこにひっかっていた階級の出身だし、レオンニーナやコーマディアス、ティアールらはごく普通の庶民の出である。
そんな彼らだが、身分こそないが大国の王族とも対等に振舞える立場にある。なにしろ、女神に直接仕える戦士たちである。言ってみれば、女神だけではない、神々の覚えのめでたい人間たちに、逆らえる者などこの『神々の箱庭』と言われるアクリジェントには存在しない。居たとしたら、それはただ単なる馬鹿でしかない。
人間が定めた身分の外に居る者たち。それが、アルティシア神軍の戦士たちなのである。そんな立場の人間たちに、たかが田舎の領主如きが、強制するなど「身の程をわきまえない」話でしかない。
だが。何処にだって、『理解できない』人間は居るもので。悲しいかな。レオンニーナの故郷の領主の娘は、その圧倒的少数派に属していた。それこそ、5歳児ですら理解しているようなことが理解できないなど、ティアールではないが「馬鹿」の一言に尽きようというものである。
「ついたわ」
そうこう話しているうちに、目的地であるティアールの実家がある村に到着していた。
「姉さん」
「ティアール!?」
ティアールとバーリンの姉であるシェンナは、驚いて持っていた水のはいった桶を落としてしまう。
「どうして…」
「姉さん、水! せっかく汲んだのに」
「いいのよ、また汲みにいくから」
「良くないわよ」
そういうと、ティアールは桶を拾い上げ、口の中で「水」と呟く。すると、桶の中は、次の瞬間、水で満たされた。
「これでいいわ。レオンニーナ、これ、持ってて」
そう言って、レオンニーナに水の入った桶を押し付ける。若葉色の瞳の秀麗な若者は、苦笑を浮かべつつも、水がたたえられた桶を受け取り、姉妹の後から着いていく。
「ティアール。こちらの方は?」
「レオンニーナ。万騎隊長のひとりよ」
滅多に村に顔を出さないティアールが、若い男と一緒に歩いているので、村の若い者たちがこぞって彼女を取り囲む。
金の髪に若葉色の瞳の甘い顔立ちの若い騎士に、村の娘たちは見惚れ、逆に若い男たちは美貌の魔導師を取り囲む。だが、ティアールの言葉に、若者たちはいっせいに囲みをといた。
「レ、レオンニーナ様!?」
聖域に程近いこの村だが、さすがに万騎隊長の姿を知っているものは若い世代にはいない。居ても、ティアールの姉や兄くらいで、他には彼らの親世代に数人、居るくらいだ。
「何だって、そんな偉い人が」
「わたしの供を、命じられたからよ」
あっさりとティアールは、答える。
「お前の供を命じる!? 万騎隊長を何だって、一体誰が」
「ラヴァリス卿のご命令よ」
ティアールの言葉に、若者たちは彼女がアルティシア神軍の魔導師なのだと思い出す。しかも、大将軍であるラヴァリスの魔術の弟子であったこともついでに思い出したらしく、顔色が変わっている者もいた。
「姉さん、兄さんは?」
「アーサーなら、家よ。父さんに弓の練習をつけてもらっているわ」
「今更、なにを考えているのよ。周囲に人間が居ないことを確認してからじゃないと、矢を放つなってあれほど言っているのに」
「弓が下手なのか?」
「と言うより、変な方向に飛ぶのよねえ」
シェンナは、妹の供をしてきた青年の素朴な疑問に対し、首を傾げて見せた。
「方向音痴、なのよね。アーサーの弓って」
「言っていることが、よく分からないんですが」
「言葉通りよ。兄さんの放った矢って、前に飛ばないのよ」
「? すぐに、失速するのですか?」
「ううん」
レオンニーナの想像を絶する答えが、姉妹だけでなく、周囲を囲んでいた若者たちの口からももれた。
「後ろに飛ぶんだよな」
「落ちてこないのよね」
「低空飛行、するんだ」
「下向きに飛んでたわ」
「狙ったところには、確実に当たらないのよねえ。どうしてかしら」
「あそこまでくると、一種の才能よね。この前なんか、自分の頭の上にふってきてたわよ。かわしてたけど」
レオンニーナは、思わずしゃがみこみそうになったが、かろうじて踏みとどまった。精神的にどうこうと言うよりも、水の入った桶を持たされていたため物理的にできなかっただけであるが。
「…それは、すでに弓矢と言わないのでは?」
「本人的には、弓矢だと言い張っている。現に、弓と矢だし」
「間違っていはいない、間違っては。でも何か、納得できない!」
武人として、納得できないものを感じるレオンニーナであった。