求婚者たちのカラ騒ぎ Ⅳ
後顧の憂い(と、書いて「異母妹の縁談」と読む)を断ったラヴァリスは、実に上機嫌で、今宵の天上界の宴に参加していた。
普段は、紺青のシンプルな軍装に長身を包んでいるラヴァリスだが、今宵の装いは、アルティシア神軍の大将軍としてではなく、深い蒼と白を基調とした衣装であり、彼が海王の一族としてこの宴に参加していることを声高くあらわしていた。
「アルティシア神軍にラヴァリスあり」とまで、神々に言わしめさせた彼である。この天上界においても、帯剣を許された数少ない存在のひとりではあるが、今宵のような宴に、剣など無粋と、普段腰に佩いている愛用の長剣は地上の彼の私室に置いてきている。そのためか、今宵の彼は、普段の武人としての様子はなりを潜め、まるで、一介の貴公子のような優美なものであった。
「ラヴァリス従兄上」
宴に参加している女神や、王女たちの熱い視線を一身に集めている彼に声をかけたのは、白銀の髪に緋色の芥子の華を模った宝冠をつけた秩序の女神。
「アルティシア」
淡い水色の衣に痩身を包んだ秩序の女神は、人間の血を引く従兄に、天上の酒が入った黄金の杯を差し出す。
「よくお似合いだ」
「母上の力作だ。大将軍としての出席、まかりならぬとおおされてな」
光にすけ、黄金に輝く琥珀色の髪は、普段なら無造作に皮ひもで束ねられているのだが、今宵は衣装にあわせたのか、黄金に青い金剛石をはめ込んだ髪留めで纏められている。
「そのような格好だと、従兄上は、とても武人には見えまい。神の一柱と言われた方がしっくりくる」
「一体、何を司る?」
秩序の女神は、従兄の問いかけに、少し考えるそぶりになった。
「音楽の神、というのはいかが?」
「サイネリア姫とともに、神にでもなるか」
冗談めかして言うが、言っている内容は、神ならぬ存在が口にして良いようなモノではない。だが、ラヴァリスは以前から、神になることを熱望されている立場である。彼のそんな軽口を「言質は取った」とばかりに嬉々として迎え入れられることになるのは、目に見えるようである。
「しかし、今宵の宴だが、人間界からの出席者がやけに多いな」
「確かに。一体、父上は何をお考えに?」
「好みの女性でもいるのか」
「ざっと見回したが、客層は若い娘が多い。…ラヴァリス、あなたへの見合い相手じゃないのか?」
従妹の言葉に、ラヴァリスはその秀麗な顔をしかめて見せた。
「余計なお世話だ」
「神々の一柱にと、あなたをお望みになられているにもかかわらず、見合い相手に人間の娘を用意するあたり、父上は何を考えておられる?」
完全に面白がっている様子の従妹の様子に、ラヴァリスは思わず眉間を押さえる。
「何も見合いだと決まったわけはなかろう」
「でないと、若い娘が多いことの理由にならない」
父上の好みは、ろうたけた貴婦人だからなと、酒で唇をしめしながら、アルティシアは笑う。
大神イクラシオンの好みは、人間界においては「年増」と呼ばれるような、20代後半から30後半にかけての成熟しきった女性である。彼の愛人である人間女性たちは皆、それくらいの年齢であった。
だが。今回の宴に出席しているのは皆、どちらかと言えば、彼らよりも年下と思われる女性ばかりだ。十代後半と思しき女性陣たちは、遠巻きに彼とアルティシアを見つめている。
「踊ってこられたらいかが?」
熱い視線にさらされている従兄に、アルティシアは、からかような声をかける。ラヴァリスは、溜息をつくと、緋色の柘榴石を連ねた装飾品をつけたアルティシアの白い繊手をとり、軽く、口付けた。
「一曲、お相手を」
「よろこんで」
淡い水色のドレスに身を包んだ白銀の戦女神の手をとり、黄金の髪を持つ海王の孫息子が会場の中央に姿を現すと、参列していた姫君たちの間から呪詛にも似た視線が、アルティシアに突き刺さる。
「婚活に、精が出ること」
そうつぶやいたのは、濃い紫のドレスに身を包んだ妖艶な美女。その手には、白銀の酒杯が握られている。
「あなたは行かないの?」
「わたしが?」
そう問いかけてきたやや幼い姫君に対し、ドレスの上からでもくっきりと分かる豊満な肢体の美女は、血のように赤い酒を、口に運びつつ無造作に肩をすくめる。
「我が君に対し、そのような感情、このティアール、生憎、持ち合わせておりませんわ。リシャーナ姫」
「わたしのことを知っているの?」
十代に差し掛かったばかりだと思しき姫の問いかけに、ティアールは苦笑する。
「はい。このティアール。姫の父君が支配なされるローザン国の生まれですわ」
「まあ。わたしとティアール様は、同じ国の出身ですのね!!」
両手を頬に押し当て、リシャーナはきらきらした目で、父王の治める王国最大の英雄を見上げた。
「ティアール様」
幼い姫君の相手をしている彼女の背に、声がかかった。ふりむけば、淡い桃色のドレスを身に纏ったファリエだった。栗色の豊かな髪を結い上げ、その髪に桃色の大粒の真珠を飾った姿は、実に愛らしい。
「ファリエ様、何度も申し上げたでしょう、このティアールに敬称などおつけにならない様にと」
ティアールはそういうと、裳裾を優雅に引きつつ、ファリエに歩み寄った。
「あなたさまは、アルティシア御自らお手元に置くことを望まれた神官、言わば、このティアールよりも立場は上。我が師ラヴァリスと対等のお立場なのですよ? そのことを、努々、お忘れになられたはいけません」
ティアールはそう、ファリエに言い諭すのであった。
「ティアール様?」
「リシャーナ姫、こちらは、アルティシアの女神官であらせられる、ファリエ様ですわ。ファリエ様、こちらはローザン国のリシャーナ殿下です」
リシャーナは黄色いドレスの裾をつまみ、ファリエに対し深く一礼する。幼くとも一国の姫君。ティアールの言った「アルティシアの女神官」との表現に秘められた意味を悟ったのだ。
「アルティシア様の寵愛深い神官であられるファリエ様に、初めてお目にかかります。ローザン国、国王レオードが長子、リシャーナと申します」
「アルティシア女神の女神官たるファリエと申します。リシャーナ様」
こちらも桃色のドレスの裾をつまみ、優雅に一礼する。
「リシャーナ様は、一体、何だって今宵の宴に?」
この姫君を見た時から気にかかっていた疑問を、ティアールは口にする。この姫君は、自分の師であるラヴァリスの花嫁候補にしては幼すぎるし、イクラシオンの血を引く者の花嫁候補としても同様。
「他の神々の血縁に、姫君に似合いの年頃のお方はいたかしら」
ファリエも同様に、首をかしげている。
「ほう。これはこれは。実に可愛らしい客人じゃ」
ファリエとティアールは、その声に振り向き、深々と一礼した。
「シエラ様」
深い蒼の優雅な衣装に身を包んだ海の女神の麗姿に、リシャーナは思わず見とれた。
「伯父上の孫のひとりに似合いの年頃の者がいたのう」
「どちらのことですか?」
シエラの父である海王神は、三兄弟の一番下である。そのため、シエラが伯父と呼ぶ神は二柱いる。
「シュリオン伯父上の孫じゃ。確か、ここ数年とある人間の娘に恋してふさぎがちだと聞いておる」
シエラの言葉に、ふたりの視線が幼い姫君に向けられる。
「母上」
「伯母上」
ダンスを終えた、ラヴァリスとアルティシアが歩み寄ってくる。
「来られていたのですか、母上。ハーモニアはどうされたんです」
「我が神殿にいる」
「つれてこられたら良かったのに」
「たちの悪い虫に目をつけられてもよいと? 我が息子ながら、なんと非情な。母は悲しいぞよ」
「何を言っているんです。流れても居ない涙をぬぐうふりなど、止めてください、あざとすぎて呆れます」
とうてい、母と息子の会話とは思えないが、この母子に関してはこれが平常運転だ。なので、慣れっこになっているファリエたちは聞き流しているが、この女神と初対面であるリシャーナはかわいそうに目を白黒させている。
「シエラ」
「おや、伯父上。それに、ユニオン」
闇夜を司る神であるシュリオンは、彼に良く似た黒髪と濃い藍色の瞳の少年を連れていた。
「シュリオン様」
ラヴァリスは、胸に手を当てて一礼する。そんな、大甥の様子に、シュリオンは瞳を細めた。
何故だ
姪が、人間の王との間にもうけたはずの大甥からは、何故かまったく人間の血の気配を感じることはできず、成長するにつれ兄である天空神の気配が濃くなってくるのだ。
「リシャーナ!」
「ニーノ?」
そんな、祖父の様子など気にも留めず、ユニオンは喜色満面といった表情で、金茶色の巻き毛の少女に駆け寄った。
「ニーノ!」
リシャーナも同様に、喜びの色を前面に押し出し、駆け寄ってきた闇色の髪の少年に駆け寄る。
「シュリオン、ユニオンは、どうやらリシャーナ姫と顔見知りのようですが、一体、いつ何処において知り合ったのです?」
ラヴァリスの問いかけに、シュリオンはとりあえずこの大甥に対する疑問を横においておく事にし、新たな別の疑問に向かい合うことにした。
「それもそうだな。ユニオン、この祖父にそちらの姫君を紹介してはくれぬのか?」
祖父神の言葉に、ユニオンはあわててまた従兄や祖父たちのいる場へと、リシャーナの手をとって戻ってきた。
「シュリオン様、こちらはローザン国の第一王女リシャーナです」
「リシャーナと申します、闇夜の神たるシュリオン様」
跪いたリシャーナに手を振って、立つように勧めると、シュリオンは紅玉を思わせる瞳の人間の少女を見つめる。
「どうやって知り合ったのだ」
「以前、ラヴァリスとともにローザン国を訪ねた折に知り合いました」
「そういえば。母上の名代として一度、ローザン王に逢いに行ったことが。月が変わるまで滞在していたのだが、その時、色々と忙しくてユニオンをひとりにしていたんだが…その時に?」
ユニオンは、また従兄の問いかけにうなずいた。
「確か。念願の王子が生まれたが、正妃の子ではなかったために色々と正妃の実家が問題を起こしていたな。その尻拭いのために、走り回っていた記憶が」
なぜ、人間界のお家騒動に、ラヴァリスが走りまわっていたかといえば、念願の王子の生母の前身が、シエラに仕えていた女神官だったからである。神官としての能力こそ高かったものの、身分はひくく、そのために王の側室になってからも他の側室や正妃たちの嫌がらせは激しく、そのことをローザン国の王都の大神殿の大神官長から聞かされたシエラは息子をその側室の下に遣わすことにより、彼女の背後に自分が居ることを王宮の内外に広くしらしめたのであった。
ちなみに、何故ユニオンがラヴァリスに同行していたかと言えば、たまたま海底神殿を訪れていた時に、ラヴァリスが「一人旅は味気ない」との理由から、暇をもてあましていた彼を「土産話にでもなるだろう」と言って、連れ出したからである。
なお。地上でも、やはり暇していた彼を見つけたのが、やはり暇をもてあましていたリシャーナであった。
「リシャーナ、後十年たったら、僕の妻になってくれるかい?」
「5年じゃなく、十年?」
「18だと、リシャーナはもう大人かも知れないけれど、僕は男だから、まだまだひよっこだと思う。リシャーナに相応しい男になるには、十年でも短すぎると思うけど、それ以上は、耐えられないと思うから。だから、十年」
リシャーナは、ユニオンからの求婚に深くうなずいた。
「待つわ、ニーノ、いいえ、ユニオン様。十年なんて、あなたに相応しい淑女になるためには短すぎる時間だけど、わたしもそれ以上は耐えられないと思うもの。だから、待っています。ユニオン様」
ラヴァリスは、視線を自分の傍らに立つ白銀の髪の秩序の女神にすべらせた。
「いかがされる?」
「このアルティシア、しかと見届けた」
アルティシアは、高らかにふたりの婚約の成立を告げる。
「父君には、わたしから言っておこう。何、可愛い娘を手元に5年も長く置いておけるうえ、結婚相手は未だ幼いとは言えれっきとした一柱の神。文句は言うまい、神の花嫁となるのだからな」
ラヴァリスはにやりと、いささかヒトの悪い笑みを浮かべるのであった。
これより十年の、未来。黄昏の神となったユニオンと、ローザン国第一王女であるリシャーナの結婚式が盛大に行われ、あまたの神々や英雄たちの祝福のもと、ふたりは結ばれた。
だが、その中に、秩序の女神たるアルティシアと、その第一の騎士とも言うべきラヴァリス、彼の女神の寵愛深い女神官であったファリエの姿はなかったっことをここに記しておく。