プロローグ
R15はあくまでも保険です。主人公は、最強ではありません。チートやハーレムがお好きな方にはお勧めできません。
その世界は、太陽の黄金の陽光と、ふたつの月の青銀の月光に、育まれた神々の箱庭だった。
『箱庭』の名は、アクリジェント。
この物語は、アクリジェントの大地に生きた、ひとりの戦士の物語である。
ヒュベリオン王サイモスには、母の違う4人の子供がいた。下のふたりはまだ幼いが、王妃の産んだ第一王子と、寵愛する側室の産んだ第二王子は、半日違いの兄弟で、名を、ラヴァリスとジュモリスと言った。
ヒュベリオン王国はアクリジェントでも屈指の強国であり、歴史の古い国でもあった。
この国の王位は、代々、男子にのみ継承権があり、建国以来の不文律として「『王妃に息子がなければ最年長の息子に』王位を継がせること」というものがある。単純ではあるが、王位をめぐっての無駄な争いを防ぐには有効な手段である。
だが、その不文律に真っ向から背く者がいた。誰でもない。当代の国王であるサイモスである。
サイモスは、長男のラヴァリスにではなく、己の偏愛する次男のジュモリスに、王位を継がせると公言。ジュモリスが成人したのを期に、正式な王太子としてしまったのである。
当然、家臣たちの反発は激しかったが、王の決意は硬く。また、大神官が支持を表明したことにより、反乱は未遂に終わった。
次の国王を頭に戴く者たちが、発言力を増すのは世の習い。だが、何処にでも例外というものが存在するのも、また、世の習い。
ヒュベリオン王国の宮廷の最大派閥は、王太子の外戚にあたる公爵率いる派閥ではなかった。
第一王子を王太子としなかった表向きの理由として、国王が挙げたのは「人間の国は人間の国王が治めるもの」と言うものであった。
ラヴァリスの母である王妃は、人間ではなく。海王神ヴォロシアスの愛娘である海の女神。
ある日、気まぐれに地上にやってきたシエラは、当時まだ王太子であったサイモスと出逢う。野心家でもあったサイモスの何処に興味を引かれたのか。シエラは気まぐれに王妃となることを了承。男女としての愛情は一切ないが、なぜか、飲み仲間としてはお互いを至上の存在とした世にも奇妙な結婚生活が始まったのであった。
ジュモリスの立太子にたいし、不満はまったくなく。むしろ、これで我が子をどうどうと神の座につけることが可能となったと、嫌味を言いにやってきたジュモリスの母であるソフィアレに対し、ねぎらいの言葉をかけてやったくらいである。
それゆえか。ヒュベリオン王宮の廷臣たちにとって、次の国王よりも新たなる神の一柱となることが確実である第一王子の派閥に入ることは、本能に近いものであった。
ここは、ヒュベリオン王国の王宮。御影石と大理石からなる黒と白の美しい宮殿の片隅、国王の側室たちが居住する後宮から、対角線上にある廊下。
磨き上げられ、まるで鏡のごとくその上を歩く者の姿を映し出す通称「黒鏡の回廊」を、幼い少女と、その少女に輪をかけて幼い少年がふたり、ばたばたと走っていた。正確に言えば、少年の方は、疲労のあまりその場にへたり込みそうなのを、少女が無理やり引っ張りまわしてている状態である。
「姉さま、ぼく、もう歩けない」
「だらしないわね! それでもオトコノコなの!?」
「そう言ってる姉さまだって、しんどそうだよ?」
弟の妙に冷静な指摘に、幼い姉は、黙り込んでしまう。
「第一、なんで、僕たち、後宮の外にいるの? 黙って、でてきたから、帰ったら母さまたちにお尻、たたかれるんじゃないかなあ」
「馬鹿ね。『邪魔だから、お外にいってらっしゃい』って言ったのは、お母さまたちの方よ。第一、お引越しの準備の手伝いが私たちにできると思う?」
「ぼく、おもちゃなら片付けられるよ?」
「ナリューズのおもちゃが少しだけだったなんて、姉さま、初めて知ったなー」
姉の嫌味に、弟はふくれっつらになった。
「だいたい、なんで、ぼくたちお引越しするの?」
「お兄様が、国を出て行かれるから。シエラさまは、後宮にはいらっしゃらないし。シエラさまのこの国でのお住まいである湖の離宮でわたしとわたしのお母さま。ナリューズとナリューズのお母さまは一緒に暮らすのよ」
「ぼくたち、ジュモリスにい様と暮らさないでいいの!?」
姉の言葉に、末っ子は大喜び。
何かと王太子であることを鼻にかけ、自分たちを見下す異母兄と顔を合わせずにすむのだとしり、とたんに元気になる。
「ハーモニア、ナリューズ」
「お兄様!」
「ラヴァリスにい様!」
午後の太陽に、琥珀色の髪を黄金色に煌かせた長兄の声に、ふたりは走りよった。
「お兄様、この国を出て行かれるって本当ですの?」
「早耳だな。誰から聞いた?」
「お母さまからですわ。シエラさまとご一緒するのだから…と」
「母上も気の早い。オレが出て行くのは、半月も後のことだぞ」
「たった半月後!?」
ハーモニアの悲鳴にも似た声に、別の声が重なった。
「あと、半月もあるのか。お前がこの国からいなくなるのに」
「ジュモリス」
次兄の姿が現れたとたん、ふたりはあわてて長兄の背後にかくれる。
「さっさと出て行けよ」
「お前に指図される謂れはないな。ジュモリス」
「ふん。さては、王位が惜しいんだろう? 残念だったな。次の国王は、このジュモリスだ」
ジュモリスの言葉に、半日違いの兄は、鼻で笑って見せた。
「神になれと言われている者が、王位にこだわる理由がないな。所詮は、人間の王位にすぎない」
ラヴァリスはそう言って、肩をすくめて見せた。
「オレがこの国を出るのは、この国にオレの未来がないからだ。この国を出て、従妹に仕えることになったんだよ」
「従妹? 誰だ?」
「『どなた』だ」
ジュモリスの言葉を、ラヴァリスは辛らつに訂正する。
「お前は一柱の女神を『誰だ』と言えるような存在か? たかが一介の人間のくせに、大口をたたくな」
ラヴァリスの言葉に、ジュモリスは黙り込んだ。
言いたいことは、それこそ、山のようにあったが、半日違いの異母兄の言葉は、正論すぎて反論できない。
「どちらの女神さまにお仕えなさるの?」
ハーモニアの問いに、ラヴァリスは答えた。
「秩序と戦いの女神たるアルティシアだ」
「アルティシアさま! 白銀の戦女神!!」
「ああ。叔母上から、母上を通じて打診があった。オレは、アルティシアの元に行くつもりだ」
ラヴァリスはそう言って、ふたりの頭をなでた。
「ふたりとも、後宮にお戻り。母上方が捜しているんじゃないか」
その言葉に、ナリューズは、自分がくたびれ果てていたことを思い出す。
「にい様、ぼく、足がいたいの」
「ナリューズは、ダラシナイのよ。オトコノコのくせに!!」
だらしない、とか、だらしなくない、とか言う問題ではないと。年長組は、お互いの瞳の中に同じ考え《おもい》を見て取った。
「後宮からここまで来たんだ。良く、来れたな」
「まったくだ。侍女たちはなにをしている? 子供たちだけでうろつかせて」
普段、子供たちが生活する後宮は、宮殿の最奥に存在する。そして、現在彼らがいるのは王宮でも外に近い場所。しかもほぼ対角線上に位置する。この距離を、10歳に満たないふたりが歩いてきたと言うだけでも驚きだが、それ以上に幼いとは言え、一国の王子と王女だけが供も連れずにうろついていることに、長男と次男は侍女たちの怠慢を疑ったのだ。
「何事もなかったからいいものを…」
ジュモリスの薄緑色の瞳が、ハーモニアを見ているのに気付いたラヴァリスは、半日違いの異母弟にささやきかけた。
「ひょっとして、お前の例の従兄、王宮に来てるのか?」
「ああ。それで、あわてて捜していたんだが」
ジュモリスの母方の従兄のひとりに、幼い少女にたいして色々と性質の悪いいたずらをする従兄がいる。その従兄の現在の目当てなのが、ハーモニアなのだ。
「ヤツの目当てがハーモニアだと、ソフィリア殿はしっているのか?」
「母上が、興味を持つものか。息子のオレに対しても、王太子ってとこが最大の関心事。ご自分の美貌を磨くのが最優先だからな」
「過剰にかまわれるよりましと言うところか」
母と仲の良いラヴァリスにとって、異母弟とその母親の関係は、理解できないものだ。
「おお! こんなところに!!」
「「げ」」
突如、割って入ってきた男の声に、長男と次男の声が綺麗に唱和する。
姿を現したのは、小豆色の胴衣に窮屈そうに体を包んだ若い男。先ほどからの、ふたりの王子の話題に上がっていた人物である。
「ラヴァリス!」
「任せろ」
目上の存在である王子たちに挨拶をすることもしないその男《従兄》が、妹へと近づこうとしたのを見た
ジュモリスは、とっさに、半日先に生まれた異母兄の名を口にする。
ラヴァリスも、ジュモリスが言いたいことを察して、ふたりを手招く。
「にい様?」
「ラヴァリスお兄様?」
「おまえたち、後宮の自分たちの遊び部屋に戻っていろ」
そういうと、ラヴァリスはふたりを光の珠で包み、転移させる。
目的地は、後宮内でのふたりの遊び部屋。後宮内にて、唯一、ラヴァリスが場所を把握してる部屋である。王子でありながら、後宮内で育っていないラヴァリスとって、幼い妹たちに逢うために訪れると決まって、つれていかれる場所だからであるからだ。
「残念だったな」
ラヴァリスは、異母弟の従兄の顔に浮かんだ表情に満足しながら、心にもない慰めの言葉を口にする。
「何処に行く気だ」
「離宮に戻る」
歩き出した第一王子の後を、王太子も追いかける。
「なぜ、ついて来る」
「妃殿下に挨拶しておく」
「母上が、おまえたちの挨拶をお受けしてくださるとは思えんが」
「王太子殿下になんてコトを!」
「まだいたのか、アクスハム。母上の周囲にお前好みの幼女はいないぞ」
「妃殿下にご挨拶するだけだ!」
ラヴァリスは、呆れたように溜息をつくと、異母弟とその従兄を無視して歩を進める。
木立をぬけると、ラヴァリスが母と暮らす湖の離宮が姿を現した。青々とした水が、鏡のように周囲の景色を映し出している。
「船着場は、向こうだぞ」
「オレには必要ない」
離宮へと向かうには、船で渡るしかない。船着場は、白樺の木立を抜けたところに造られ、常に近衛兵の1部隊が船着場を護っていた。
だが、ラヴァリスは船着場へと向かおうとはしなかった。
彼は、そのまま、湖の湖面へと足を踏み出したのである。そして、驚愕のあまり言葉を失っている異母弟たちをその場に置き去りにして、悠々と離宮へとその姿を消したのであった。
「くそ!!」
しばし、呆然と異母兄の後ろ姿を見送っていたジュモリスだが、我に帰るなり、近くの木に腰に佩いている剣をたたきつけた。
「なにを荒れている。ジュモリス」
「父上」
王妃を尋ねてきたのであろう。廷臣たちとともに姿を現せた父王に、ジュモリスは不満を口にした。
「父上。わたしは悔しいのです。何故、同じ父上の息子だと言うのに、ラヴァリスは……」
この不満に、家臣たちの間から、思わずといった殺し損ねた失笑がもれ、その失笑に、ジュモリスの頬にカッと血が上った。
臣下の身でありながら、王太子の発言にたいし失笑する。無礼者として、厳罰に処せられたとしても文句は言えないが、発言の中身が中身である。王太子が、いかに国王に次ぐ地位の人物であったとしても、相手は、半分とは言え神の血を引くもの。それも、海の女神と言う、最上位に位置する女神の血だ。そんな相手を、幾ら同じ父王の息子だと言っても、「同じ父上の息子」と言う、人間の感覚で表現するのはあまりにも、あんまりな発言だ。
『神の血を引く存在』――――それは、神々が身近に息づくこの世界にあって、それだけで絶対の存在を意味している。
いかに愛する我が子の言葉であろうとも、そのことが分からないほど愚かな父親ではない。
「ラヴァリスにも後で言っておこう。むやみに、人間の地で神の能力を見せびらかすなと」
そういうのが、やっとである。だが、それで納得するようなら最初から、不満を口になどしない。いかにも「納得できません」と、顔にありありと書いてある次男にたいし、サイモスは考え込んだ。
「その必要は、ありませんよ。父上」
「ラヴァリス」
いつからいたのか。白樺の幹に背を預けた第一王子の姿に、王と王太子、王太子の従兄を除く全員が、拝跪の礼をとった。
「アクスハム卿! ラヴァリス殿下の御前ですぞ!!!」
馬鹿みたいに突っ立ている、アクスハムに対し、そう叱り付けたのは第一王子派の中心人物であるデンタータ侯爵。国王であるサイモスの懐刀とも評される人物であり、王太子派のカルトリード公爵とは政敵にあたっている。ちなみに、アクスハムの父親はデンタータと同じ侯爵であるが、彼自身の身分は、次男なので家督はつげず、ただの一介の騎士にすぎない。侯爵にしかられ、仕方なく膝をついたアクスハムに、面白がっていること間違いなしの、第一王子の色違いの青い瞳が向けられた。
「お前でも、膝をつけることができるとはな。驚いたよ、なあ、ジュモリス?」
「ナニが言いたい」
「別に。何も」
ジュモリスの視線を気にも留めず、ラヴァリスは父王に向き直った。
「母上からの伝言です。『離宮への挨拶は不要。側室方に用があれば、船をよこせ』との仰せ」
「余は国王なるぞ!」
「婦人の私室への立ち入りは、例え夫が国王と言えど、許可が必要。しかも、湖の水を統べるのは王にあらず」
そう言っているラヴァリスの背後で、鏡のように凪いでいた湖面が、激しく波打ち始める。
垣間見せた水の神としての能力に、国王は、相手がわが子だというのにもかかわらず、恐怖を抱いてしまう。
「用がないのなら、お引取りを。父上、国王陛下」
ラヴァリスの言葉に、サイモスは仕方なく引き上げるのだった。
半月後。ラヴァリスが、旅立つ時がきた。
紺青の旅装束に長身を包んだラヴァリスは、離宮内の中庭にしつらえられた噴水の傍らに腰を降ろし、優雅に14弦からなる竪琴を奏でていた、母の元に、出立の挨拶に訪れた。
「母上」
「ラヴァリス」
海色の髪を揺らし、シエラはその繊手を我が子へと差し伸べた。
ラヴァリスは、その手をとると、口付ける。
「息災でな」
「母上も。ハーモニアとナリューズをお願い致します」
「わかっておる。そのために、この母はここにおるのじゃ」
我が子のこの国における唯一の心残り。まだ稚いふたりを残しての旅立ちだが、母がふたりとその母親たちをもうひとりの弟とその母から護ってくれることが分かっているため、心置きなく、旅立てるのだ。
「では、母上。行って参ります」
「アルティシアによろしゅうにな。たまには、この母にも顔を見せよ」
「御意」
ラヴァリスは、母の手にもういちど口付けると、中庭から姿を消した。
シエラは、我が子の気配が完全に遠ざかったのを確認し、振り返った。
「何の御用でしょうか? 伯父上」
突然、その姿を現したのは、ラヴァリスに良く似た容姿の持ち主であった。黄金の髪に青い瞳の男盛りの年齢の姿をもった相手に対し、シエラは「伯父上」と呼びかける。
「我が子の旅立ちを見送りに来たのだ。シエラ」
「イクラシオン様。あの子は、表向きにはこの国の王の子」
そう。ラヴァリスは、シエラが伯父に当たる天空の神イクラシオンとの間にもうけた子。だが、『運命』を司る女神メルジナによって、「人間の子の王の子として育てよ」と言う託宣により、サイモスの子として育てられたのである。
この真実を知る者は、父であるイクラシオンと運命の女神メルジナを除けば、海王神の一族のみ。ラヴァリスの容姿が、イクラシオンに似ていても、祖父である海王神ヴォロシアスは、イクラシオンとは同じ父と母をもつ兄弟。似ていても不思議ではない。なにより、彼は海王神の一族特有の同系色内での色違いの瞳を持っているのだ。誰も、その出生を疑う者はいない。ラヴァリス自身さえも。
「わたしは、いつになったら、ラヴァリスを我が息子と呼ぶことが許される?」
「メルジナにお聞きになったらいかがです? 私にはわかりませんから」
イクラシオンの言葉をばっさり切り捨て、シエラは、傍らに置いていた竪琴を取り上げ、奏で出した。
何処までも澄み渡った湖のような音色が、風に乗り旅立つ我が子を祝福するかのように、響き渡るのであった。