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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

王女様の暗殺レッスン

作者: 丘野 境界

 ナイフが銀の軌跡を描いて走り、男の額に突き刺さった。

 ステーキを切り分けていた男は、もちろんそのままの姿勢で即死した。

 食堂の壁に沿って立っていた執事やメイド達が隠していた短剣を即座に構えるが、アリシア・グレイツロープは既に席を立っていた。


 黒髪を翻しながら滑るように床を駆け、手近にいたメイドの頸動脈を手刀で切り裂いた。

 その背後に素早く回り込み、投げつけられた二本の短剣を受け止める。

 アリシアはテーブルクロスを引っこ抜く。だがあまりの速さのため、食器が倒れる事はなかった。もっとも直後に執事がテーブルに乗り上げたので、結局は食器は壊れてしまっていたが。


 執事の短剣が、盛り上がったテーブルクロスを貫く――一瞬前に、アリシアはテーブル下に潜り込んでいた。

 そのまま壁に向かい、呆気にとられていたメイドの鼻と口の間、すなわち人体の急所の一つである人中を中指の第二関節で殴り、即死させる。

 壁を蹴り、まだテーブルの上にいる執事の顔面にワイングラスを押しつけた。短い破裂音がし、執事の顔面に丸い裂傷を作る。


 突き刺さったグラスの破片は脳に達し、執事もまた死に到った。

 残った者達も一分も経たない内に同じ末路を迎える事となった。



「なるほど、今日の状況(シチュエーション)レッスンはこれだったって訳ね」


 頬に付いた血を、アリシアは黒い手袋で拭った。


「お見事でした」


 アリシアの影に潜んでいた、若き執事が頭を下げる。


「……返り血には、地味に役に立つわね染色魔法」


 血の色は、黒の手袋だと目立たない。

 もちろんドレスも靴も同じ、漆黒で染められている。

 ただし本来の色は純白だ。

 少なくともこの食堂で殺戮が始まるまでは、真っ白だった。


「ある意味、正しい利用法です。明日は消臭魔法も学びましょう」


「だから、どうしてこう、そういう地味な魔法ばかり学ばせるかなー……」


「いずれ、分かる事になると思います。お披露目の時は近付いていますから」


「ああもう、残り一ヶ月かぁ」


 アリシアは御年十五歳。

 この国、すなわちグレイツロープの国民達に自分の姿を披露する式典は、十六歳で行われる事になっている。


 死体は、食堂に入ってきた本物の執事やメイド達が片付け始めていた。

 殺されたのはこの国で犯罪を犯し、処刑されるはずだった死刑囚達である。

 もしもアリシアを殺せれば、釈放されるはずだった……が、今まで彼女に葬られた死刑囚達と同様、彼らもまた死体となったのだった。


 それにしても、と思う。

 何故式典までに、こう、暗殺の技術を習得しなければならないのか、アリシアにはサッパリ理解出来ないでいた。



「さて、次の予定はその魔法の授業です」


 広い廊下を歩きながら、やや下がった位置でついてくる若き執事が説明する。


「少しは休ませてよ」


 グッタリとした表情で、アリシアはぼやく。

 既にドレスは本来の純白のモノに着替え終えていた。

 髪の色も漆黒から、元の眩い金髪へ。

 聖女といってもいい雰囲気の王女そのモノだった。……ただし、疲れた表情がそれを台無しにしているが。


「食事は取られましたよね。並列思考を常に心がけていれば、精神的な休息も取れるはずです」


「あれ、しんどいのよねぇ……」


「複数の思考を、並列しての制御を意識する。これは魔法使いの基本技術です」


 つまり今執事と会話している『自分』と意識を切り分けて、もう一人の『自分』には休息させるという技術である。

 もちろんそれは二つよりは三つ、三つよりは四つの方がいいが、中途半端な習得では逆に性能が落ちてしまうと言う欠点がある。


「……わたし、魔法使いじゃないんだけど」


「王女ですね」


「そうよ。普通、王女って言ったらあれよね。ドレスの色とか花の種類とかそういうのを憶えるのであって、短剣術や乗馬術を学んだりはしないと思うんだけど」


「一般的ではありませんが、学ぶ王女もいます」


「少数派だわ」


「いい言葉ですね、稀少(レア)。複数の思考を操る術の利点は、起きながら睡眠を取る事が出来ると言う事です」


「つまり、寝込みを襲われる危険性が格段に減る」


 教育の成果からか、どうしてもアリシアの思考も暗殺者寄りになってしまっていた。

 ……それを自覚しても、今更落ち込む気にもなれない。


「そういう事ですね。それに、精神攻撃を受けても他の思考に切り替える事で無効化が可能になります」


「なるほど」


 図書室に到着した。



 図書室の照明は、魔法の光で柔らかく目に優しい。

 勉強机には魔導書の類が積まれ、筆記用の羊皮紙、インク、羽根ペンも用意されていた。

 そして、小さな金属性のグラス。中には青い液体が注がれていた。


「こちらを飲んで下さい。いつものです」


 執事の言葉に、席に着いたアリシアは躊躇なくそれを口にした。

 一息で飲み込み、執事に突きつけた。


「……飲んだわよ」


「ご苦労様です」


 執事はグラスを受け取り、懐に入れた。……だが、どういう魔術か懐には厚みも何もなかった。


「うう、まずい」


 アリシアは羽根ペンを取りながら、苦みに喉元を押さえた。


「ワインの色は如何いたしましょう」


「白で」


「かしこまりました」


 執事が掌を翻すと、その手に白いワインの注がれたグラスワインが出現した。

 アリシアは魔導書を開きながらそれを受け取り、喉を潤す。

 口の中の苦みが洗われていく感覚に、ようやく人心地ついた。


「今日の毒はタカカブトね。ショーヒカリなら味も悪くないんだけど」


「ショーヒカリは明日の予定です」


「やた♪」


 毒物も、幼い頃から習慣で飲まされ続けてきたので、もはや致死量であろうともアリシアには通用しない。

 そうなってくると自然、毒の味に好き嫌いが出てしまうのも、しょうがない事だった。


「喜ぶのは結構ですが、勉強の手も休めないで下さい」


「言われた通り、そこは並列思考でやってるわよぉ」


 既に羊皮紙には、魔導書の重要な呪文部分の写生を始めていた。

 ちゃんとしているのだから、小言はやめてもらいたいと思う。


「なら結構です。今日は染色魔法の発展版を習得してもらいます」


「ようやく女の子らしい魔法だわ。黒ばっかりじゃね」


 自然、筆の進みも早くなるというモノだった。


「目標は、あらゆる場所に溶け込める保護色です」


「カメレオン!?」


「最終的にはイメージした色を全て習得してもらう事になりますが、やはり黒が重要ですので優先させて頂きました」


「王女的には、清冽な水系魔法とか優雅たる風系魔法とかが望ましいんですけど……」


 ボヤいている間も、染色魔法の知識は、頭に入っていく。

 ただ、やっぱり地味なのは残念だった。


「ああ、油で相手の足下を滑らせたり、無音にするのはなかなかに有効な手段ですね」


「だからどうして、そういう暗殺的思考になるの!?」


「必要だからです」


「大体、相手を殺すだけなら、火炎系とかの方がいいんじゃないかしら」


 それなら、食堂の死刑囚達ももっと手っ取り早く殺せただろうに。


「アレは派手だから、ダメです」


「一蹴された!?」


「期日は迫っています。必要な技術を習得するので手一杯ですから、そのような無駄に力を注ぎ込んではいられません」


「……お披露目って、絶対こういう技術必要とは思えないんだけど」


 幼い頃からの疑問に、応えてくれた者はこれまで誰もいなかった。

 その謎が氷解するのはそれから一ヶ月後、お披露目の式典の時であった。



 式典から数日後、魔王領ラヴィットで魔王が死んだ。

 殺害したのは、グレイツロープで行われていたお披露目式典の最中、魔王の部下に馬車ごと掠われた王女アリシアである。



 魔王城の壁の高みにある明り取りから、陽光が注ぎ込んでいる。


「……そういう事だったのね」


 謁見の間の生者は、今の所黒いドレスのアリシアただ一人だった。

 玉座に座ったまま、アリシアの背丈の五倍はあろうかという魔王は絶命している。

 首の後ろに突き立った勇者の剣が凶器である。これは囚われの塔から脱出したアリシアが宝物庫に侵入し、盗んできたモノである。

 脱出術、潜入術も暗殺術と並んで習得したモノだ。


 謁見の間にいた他の魔族達も、全て死亡している。揃って、自分が死んだ事に驚愕しているような表情をしていた。

 アリシアは、解いていた装飾用の腰帯を締め直した。

 この腰帯は縁が刃物になっており、魔力を注ぐことで刃の鞭にも長剣にもなる優れものだった。もちろん、暗殺用である。


 彼女は手鏡を取り出し、陽光を決まった規則で反射させた。

 しばらくすると、明り取りにカラスが止まり、それは若い執事に変化した。


「本当に、お見事でした」


 明り取りから飛び下り、音も無く着地する。


「魔王って、想像以上に殺すの簡単だったわ」


「上手くいったからこその台詞です。失敗していれば、口すら聞けませんでした」


 若い執事の評価は、シビアだった。


「でも、魔王って本当に馬鹿ね。敵を自分の本拠地に軟禁するなんて、正気の沙汰とは思えないわ」


「そこが盲点なのです。まさか囚われの王女が優れた暗殺技術を持っているなど、悪魔でも思いません」


 ラヴィットの星詠みが予言した、魔王の復活と美しき王女の拐かし。

 それが分かっていたからこそ、この奇策を打つことが出来たのだ。


「勇者様は待たなくていいのかしら。今頃、軍を率いてこちらに向かっているんでしょう?」


「必要ありません。魔族はトップを失った時点で既に詰んでいます。今頃、魔王軍は総崩れになっているでしょう」


 若い執事は冷静だ。

 ただ、王女には別の懸念があった。


「でも、勇者様を待たなきゃ、私、誰に嫁ぐことになるの? 魔王を暗殺しちゃう王女なんて、誰がもらってくれるのかしら」


 一瞬、若い執事は硬直した。

 どうやらそこは、考えていなかったらしい。

 それもほんのわずか、いつものように彼は頭を下げた。


「……誰もいなければ、私が立候補しましょう」


「あら嬉しい……でも、他に選択肢はないかもしれないわね。その時はよろしくお願いするわよ」


「かしこまりました」

長編『ガストノーセン五日間の旅』の現代からザッと1000年ほど前の出来事。

この頃はまだ、魔法がありました。

消えるのはもうちょっと後になってからですね。

主人公らがラヴィット(四日目)に到着してから、このエピソードもほんの少しだけ言及するかもです。

ちなみに主人公らは、アリシアの母国であるグレイツロープにも足を運んでおります。

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まさかの展開。 思わず二度見しました。 昔からある展開とはいえ、読んでみればなるほどと思わされました。 執事と王女の恋愛模様もぜひ
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