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微睡む流砂の遺産  作者: 橘 塔子
第一章 凪の終わり
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総督の手腕

 謁見室に隣接した広間に、金属のぶつかり合う高い音が響いていた。

 本来は外国からの使節団との会合に使用する広間だ。中庭への窓が解放された明るく広い部屋は、今は机や椅子が片付けられて余計に広々と見えた。

 その磨かれた陶タイルの床の上で、二人の男が剣を合わせていた。


 どちらも四十歳前後の壮年である。

 片方は伸びやかに引き締まった体つきの、短い黒髪の男だった。明るく澄んだ黒瞳を嵌め込んだ、彫りの深い秀麗な顔立ち。しかし口の端に笑みを浮かべたその表情は実に精悍で、洗練された野性味とでもいうべき雰囲気を漂わせている。

 もう片方はぐっと筋肉質な体躯をした男。先の男と身長はそう変わらないが、胸板や腕はひと回り逞しい。硬そうな黒い髯に覆われた顔はやはり厳めしく、一睨みされただけで大人でも腰を抜かしそうだ。いかにも武人然とした風貌の男だった。

 オドナス国王セファイドと、その腹心で友人でもあるシャルナグ将軍だった。


 彼らが手にしているのは鋼の真剣――盛んに刃を叩き合わせ、腕を競っている。

 セファイドが踏み込み斬り上げた剣先をシャルナグが止め、甲高い金属音が上がる。シャルナグが刃を薙いでセファイドが身をかわすと、空気を斬る風のような音が渦巻いた。

 とはいえ、二人の様子は楽しげで、真剣を使っているにも関わらず緊張の気配は微塵もなかった。仲の良い友達同士が、酒の一杯でも賭けて遊戯に興じているような。

 広間の壁際に並んだ衛兵と国王侍従たちも、いつものことなのか心配した様子もなく見守っている。この程度で主人が負傷するはずがないと信頼しているのだろう。

 実際、国王と将軍の剣捌きは巧みだった。攻撃は速く防御は的確で、単なる遊び以上の技術を見せつけている。それでいて無駄な気負いはまったく感じられない。


 そんな二人をじっと眺める男がもう一人いた。侍従たちとは反対の壁側に、腕を組んで立っている。

 国王によく似た面差しの美丈夫は、セファイドの長男アノルト王子であった。十九の年を迎えた彼は身体の線が鋭く男らしくなっていて、すでに王族として十分な気品と落ち着きを身にまとっている。しかし今、流麗な剣技を熱心に見詰める表情には子供のような興奮が宿っていた。


「戦場を離れて久しい割に、お互い腕は鈍ってないな」 


 刃を合わせて至近距離で競り合いながら、シャルナグが嬉しそうに呟く。


「おまえなど居心地のいい王宮に籠りきりで、とっくに錆びついていると思っていた」

「いやいや、二人揃って衰えているだけかもしれんぞ」


 セファイドは皮肉っぽく答えて、相手の剣を押し返した。衰えているなどとは到底思えない腕力であった。

 距離を取って二人は同時に剣を下ろした。かなり長い間戦って、ようやく満足したらしい。さすがに少し息が弾んでいる。

 本来なら午前の謁見が行われる時間帯である。今日はたまたま来客が少なくセファイドの時間が空いたため、王宮に出仕していた将軍が呼び出されたのだった。身体が鈍らぬよう、今でも衛兵を相手に剣技を磨いているセファイドではあったが、シャルナグとの手合せは久々である。

 セファイドは侍従の差し出した布で汗を拭いつつ、息子の方へ目をやった。


「おまえもやるか?」

「はい!」


 声がかかるのを待ち侘びていたようにアノルトは答えた。参戦したくてウズウズしていたのだろう。

 彼はすでに脱いでいた上着を侍従に預け、肩と腕を回した。それから屈伸をして足の筋を伸ばす。

 シャルナグは杯で水を飲みながらアノルトに歩み寄って、自分が使っていた剣を差し出した。彼にとっては幼い頃から手塩にかけた直弟子である。


「せっかくだから久しぶりに父子対決してみろ。今なら勝てるぞ」

「では……遠慮なく」


 アノルトは剣を受け取って袖をまくり、広間の中央へ、父の前に出た。

 先ほどまでの無邪気な興奮は影をひそめ、目つきが鋭利になる。対するセファイドは、変わらず笑みを含んで息子を見返した。


「お手合わせ頂けますか、父上?」

「来い。ドローブで鍛錬を怠けていないかどうか、確かめてやる」


 アノルトは一礼して剣を構えた。


 彼が王国の南端ドローブの総督に任命されてから二年が経っていた。ドローブはアノルト自身が戦って陥落させた都市である。もともと繁栄した港町であったのを、アノルトはさらに港湾を整備し道路を拡張し、隊商宿を多数建設して、この地を国際貿易港として生まれ変わらせようとしていた。

 南洋諸島部への侵攻は今のところ見送られており、海を隔てた国々との交易も徐々に始まっている。まだお互いに牽制しながらのぎこちない交流ではあったが、オドナスの敷いた道は海を越えてさらに延伸した。

 そして若い総督の精力的な働きぶりは、南洋の珍しい品々とともに、王都にいる父の耳にも届いていた。


 声を上げて斬り込んでくるアノルトの剣を、セファイドは剣を横に構えて止めた。


「……なかなか評判がいいぞ、アノルト」


 金属の擦れる音が響く中で、セファイドは囁いた。


「ドローブ総督は発想が斬新で行動力があって決断も早く、次々に街の改造を進めていると聞く。それでいて皆に公平だから部下にも民にも慕われているとか」

「畏れ入ります」

「だが時に意志が固すぎて、自分にも他人にも厳しくなりすぎるのが欠点だとも」

「そのくらいでないと舐められますからっ……!」


 アノルトは強引に押し込もうとして、セファイドはいったん受け流してから刃を返して斬り下ろした。

 二度、三度、父子は剣を合わせた。


「余裕がないんだよおまえは……上がキリキリ締めすぎると、下は委縮するばかりだぞ」

「父上だって若い頃はそうだったのでは?」

「俺は昔から寛大だったよ」


 ひときわ激しく剣がぶつかり、その重みと振動が伝わってきてアノルトの腕が痺れた。

 なかなか父を切り崩せず、アノルトは焦るとともに感嘆していた。少なくとも腕力ではもう勝てるはずなのだが、セファイドの剣技にはまったく隙がない。力の入れ方と流し方を知りつくしている。

 即位してから国が安定するまでの間、自ら戦場に臨んで生き残ってきた男の貫録か――。

 アノルトとてもちろん実戦経験はあったが、それとは桁が違う。セファイドが戦場を退いて六年近くになるのに、未だその腕は衰えていないようだった。


 俺だって負けていられるか――アノルトはセファイドの斬撃を受け止めず、鼻先でかわした。そのまま相手の懐へ踏み込み、胸元へ突きを入れる。

 セファイドがわずかに目を見開いたのが分かって、取った、とアノルトは確信する。その足元がぐらりと揺れた。


「うわっ」


 あっさりと足を払われて、アノルトは転倒した。それでも剣を手放さなかったのは見事だが、頭上から剣先を突きつけられてしまっては敗北は決定だった。


「父上……卑怯ですよ……」

「何が卑怯なものか。足元を油断したおまえが悪い」


 セファイドは尻餅をついた彼に剣を向けたまま、厳しく告げる。


「いいか、敵は必ずしも視界の中にいるとは限らん。目に見えるものだけが真実ではない。常に五感を研ぎ澄まし、前後左右どこにも隙を作るな」


 それからようやく剣を引き、左手を差し出した。息子は憮然としながらも、諦めたように息をついて、その手を借りて立ち上がる。


「とはいえ、それくらい強ければもう十分だろう」

「いえ、まだまだです。俺はもっと……」

「おまえ一人が強くなってもあまり意味がない。自分よりも腕の立つ者を従えて、使いこなせ。それが上に立つ者の器量だ」

「もっともだな」


 見物していたシャルナグが近づいてきて、やや得意げにセファイドの肩に腕を乗せた。


「実際、おまえの父親は一度も私に勝ったことがない」

「うるさい。不敬罪で首を刎ねてほしいか」


 セファイドは邪魔臭そうに友人の腕を払いのける。口元に浮かんだ苦笑から、彼の言葉は事実であると知れた。

 アノルトもまた額の汗を拭って明るく笑った。


「分かりました。では剣の稽古はこれまでにして、今はとりあえず、来年の予算をたっぷりぶんどって帰ることに集中致します」

「ずいぶんふっ掛けてくれたみたいだからなあ、おまえの所は」


 頭痛でもするように額を押さえる国王の仕草は、本心から出たもののようだった。

 数日後に行われる来年の予算会議のために、アノルトは王都へ戻ってきているのであった。ドローブからは昨年の五割増しの予算が要求されている。

 やり手の総督はやや前のめりになって、


「小遣いをせびっているわけではありません。港湾整備に金がかかるんですよ。港が本格的に稼働すれば、通行税が死ぬほど入ってきますからすぐに儲けが出ます」

「軍備費も跳ね上がっていたが」

「南洋諸島部の国々に対する牽制です。奴らの連合軍はまるで海賊のようで、常に我々を脅かしているのですから」

「何だ、対抗して海軍でも組織するつもりか」

「いずれはそれも検討せねばならぬかと」


 すらすらと出てくるアノルトの答えに、セファイドは顔をしかめた。半分困ったような、半分感心したような、複雑な表情である。

 国王の全権代行者である総督職に就任した息子が、その重圧にも負けずに責を果たしているのは父として喜ばしい。だが早く結果を出そうと焦っているとも思えて、才覚があるだけに強引な真似をするのではと、その部分は心配だった。


「任せた以上口を出すつもりはないが、何もかもいっぺんにやろうとするなよ」


 セファイドはアノルトの背中を叩いて、剣を侍従に渡した。そろそろ執務に戻らなければならない時間だ。

 頭を下げる王子と将軍を残して、いったんは広間を出ようとした彼であったが、出口の前で足を止めて振り返った。

 軽く手招きしつつ、


「二人とも、今日の夜は暇か?」


 と、声を潜めて問う。別に誰が聞いているわけでもないのに、アノルトとシャルナグは彼に近づいて肯いた。


「……よし。今夜はサリエルを呼んでいる。またあれをやるぞ」


 真剣に、だがどことなく嬉しそうに宣言するセファイドに、シャルナグは呆れたような視線を向けた。


「……おまえも好きだなあ。まだ懲りないのか?」

「つべこべ言わずにつき合え。アノルトも」

「は、はい」


 強引に了承させて満足したのか、セファイドは颯爽とした足取りで去っていく。

 その背中を見送りつつ、アノルトはシャルナグに尋ねた。


「あの、あれって、やはりあれですか?」

「あれだな」

「また徹夜になりそうですね……」


 アノルトは天を仰いで溜息をついたが、それ以上文句を言うこともなく、潔く自分の睡眠時間を諦めた。


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