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微睡む流砂の遺産  作者: 橘 塔子
第一章 凪の終わり
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贈り物

 後宮の一室で、ある騒ぎが持ち上がっていた。


 居間と食堂と寝室、それに侍女たちの控えの間がひと繋ぎになった広い間取りは、後宮にある他の部屋と同じだ。家具や調度品が多かったが、整頓は行き届いている。淡い色合いの壁掛けや間仕切り布はこの部屋の主の好みだろう。

 華やかだが普段は静かなその部屋が、今は喧騒に包まれていた。


「何て白々しい女なの! あんたがやったのは分かってるのよ!」


 金切り声で叫んで、居間の中央に立つこの部屋の主に掴みかかったのは、若い女だった。国王の妃の一人で、黒い巻き毛を綺麗に結い上げている。美しいその顔立ちが、今は憤怒の形相に強張っていた。

 迫られた方もまた若い女――この部屋に住む、同じく愛妾の一人だ。先月入ったばかりの新人である。巻き毛の女とは対照的な、はかなげに線の細い美貌の持ち主だった。

 彼女は肩口を掴まれ、乱暴な訪問者をおろおろと見返す。


「そんな……誤解ですわカガラ様。私は決してそのような……」

「昨夜あんたが私の部屋の前を通ったのは知ってるのよ! その時に破ったんでしょう!?」


 巻き毛の女、カガラは片手に長い帯を握っていた。複雑な色合いに染め分けられた見事な絹の帯であるが、なぜか端の部分が大きく引き裂かれている。

 周囲に集まった侍女の制止を振り払って、カガラは女の肩を揺さぶった。


「エバリン! 白状しなさいよっ……」

「堪忍して下さい……離して……!」


 エバリンと呼ばれた女が身を捩り、近くにあった机にぶつかって、茶器が床に落ちた。侍女たちから悲鳴が上がる。


「この……!」


 カガラはエバリンを壁に押しつけ、帯を握り締めた左手を振り上げた。


「おやめ!」


 凛とした声が響き渡った。

 振り返った二人は、部屋の入口に立つほっそりした姿を見た。それが誰かはすぐに分かった。


 リリンスはつかつかと二人に歩み寄り、その間にぐいと割り込んだ。


「朝っぱらから喧嘩してんじゃないわよ、見苦しい。ほら手を離しなさい」


 と、カガラをエバリンから引き離す。自分より年上の女たちに対し、怯む様子もない。


「あなたたちも! ぼっと見ててどうするの。止めなきゃ駄目でしょ」


 厳しい口調で言われて、侍女たちも我に返り、それぞれの主人である女を取り囲んで引き離した。

 リリンスを連れてきた二人の女官が顔を見合わせ、ほっと息をついた。一人はカガラの、もう一人はエバリンの侍女であったが、女官同士の関係は良好だ。ここでは妾妃の入れ替わりが激しいため、女官の人事異動も頻繁で、派閥ができるほどの時間はない。


「申し訳ございません。でも姫様、エバリンが……」


 カガラは深く頭を下げて、手にした絹帯を差し出した。無残に破られたそれに、リリンスは目をやる。ここに来る途中で女官から事情は聞いていた。


「あなたがお父様から……陛下から賜った帯が、部屋の外に干している間に破られていたと言うのね?」

「はい、やったのはこの女です。昨夜、帯を干していた部屋の外を通ったのを見た者がいます」


 憎々しげに指差され、エバリンは大きく首を振った。すでに目が潤んでいる。


「私ではありませんわ。確かにカガラ様のお部屋の前は通りましたけれど、帯があるのにも気づきませんでした」

「まだとぼける気!? この帯はね、私が後宮に上がって初めて陛下に頂いた大切な帯なのよ。こんな綺麗な染め色は他にないんだから。気づかないわけないじゃない!」

「そんな大事なものを無防備に干しとくのもどうかと思うけどね」


 リリンスが腕組みをして呟くと、カガラは一瞬怒りの眼差しを彼女に向けて、すぐに背けた。悔しさと悲しさが混じったような色が顔をよぎる。

 黙り込んでしまったカガラに、王女は厳しく、


「確たる証拠もなしにエバリンを疑って、しかも部屋に怒鳴り込むなんて、新人を苛めていると思われても仕方のない振る舞いよ。あなたはここに来てもう一年になるのだから、先輩の品格を持ってもらわなくては困るわ」


 部屋の入口で成り行きを見守るキーエが、その言葉に噴き出したいのを堪えた。これまで王女自身が散々言われ続けてきた台詞ではないか。


「は……はい……」

「分かったら早くここを立ち去りなさい。これ以上騒ぎが大きくなるとお母様の耳にも届いてしまう」


 国王正妃の名を出されて、カガラどころかエバリンまで蒼褪めた。後宮の厳格な女主人に睨まれては、ここではとても生きていけない。

 さっきまでの剣幕が嘘のように大人しくなったカガラは、自分の侍女たちとともにすごすごとその場を引き下がった。

 頼りなげなその肩を、リリンスはそっと叩いた。


「その帯、たぶんお父様の目には留まったと思うわ」

「姫様……」


 カガラは驚いた顔でリリンスを見る。

 昨夜は国王が後宮の別の女の元を訪れており、彼女が帯を干した理由もその辺りにあるのだろうとリリンスは察していた。私はここにいてあなたをお持ちしていますと、言葉にできない切ない想いを伝えようとしていたのではないか。


 まったく、我が父ながらずいぶん罪作りな真似をする――。


「大丈夫よ、あなたが来て下さらないから悔しくて引き裂いてしまいました、とでも言えば、絶対にまた買ってくれるから」


 リリンスが明るくそう言うと、カガラは泣き笑いのような表情になり、破れた帯を抱き締めて部屋を出て行った。


「姫様、ありがとうございました」


 場を騒がせた訪問者が去ると、エバリンは胸を撫で下ろして王女の前で身を屈めた。歳よりも幼く見える柔和な顔が、感謝を込めて見上げている。


「まだここの生活に慣れなくて……あんな言いがかりをつけられて恐ろしかったです」

「そうでしょうね」


 リリンスはにっこり笑って、エバリンの耳元に顔を近づけた。


「でもあなただってお父様の心を捕えた女だもの、本当はそんなヤワじゃないでしょ?」

「どういう意味でしょうか?」

「直情型のカガラが怒鳴り込んでくるのを承知の上で彼女の帯を破って、証拠もないのに一方的にやられれば皆の同情が引けるわ。上手くいけば邪魔な同僚を一人追い出せるかもしれない。これって深読みしすぎかしら?」


 どことなく楽しげな王女の囁きに、エバリンもまた微笑んだ。動揺のない、慎ましげな微笑みである。


「深読みしすぎですわ」

「あなたのそういうところ、私結構好きよ」


 そう歳の変わらない若い女二人、国王の娘と愛人は、しばしにこやかに見詰め合った。





 何度も頭を下げる女官たちに見送られて、リリンスは後宮を後にした。


「まったく……何で姫様が後宮のいさかいごとに呼ばれるのです?」


 キーエは憤慨しきりだ。後宮の管理は正妃と側室の仕事であり、王女の立ち入る場所ではない。リリンスも幼少時代は後宮の正妃の元で暮らしたが、初潮を迎えた十二歳の時に風紋殿へと移った。

 にもかかわらず、最近になってまた彼女は後宮のあちこちに顔を出すようになっていた。


 後宮で起こる日々の雑事のうち、正妃に報告するほどでもないが誰かの助言が必要な事柄について、第三王女が相談相手に招かれているのである。王宮の細かいしきたりの質問や、美容の相談や、折り合いの悪い先輩への愚痴まで――妾妃たちはリリンスの助言を求めているわけではなく、単に話し相手が欲しいのかもしれなかった。リリンスであれば自分たちの競争相手にはならず、立場も中立だ。

 おかげで、リリンスは後宮の人間関係と内部情報に精通するようになった。だからさっきのような強引な仕切り方もできる。


「まあいいじゃないの。私も暇だし。お姐さま方の話を聞くのは楽しいわよ」


 軽い調子で答えるリリンスに、キーエは溜息をついた。


「そんなことをおっしゃって、この前、あのようなものを隠していらっしゃるから肝を潰しましたわ」

「はは……」


 リリンスは鼻の頭を掻いて笑う。妾妃の一人から面白半分で借りた書物のことである。いわゆる後宮の『教科書』と呼ばれる絵付きの本で、侍女たちを集めてきゃあきゃあ言いながら読んでいるところをキーエに見つかり、大目玉を食らった。


「どうせ私も、嫁に行く時に似たようなものを持たされるんでしょ? 予習よ予習」


 年頃の王女は明るく言って、真面目な侍女がさらに小言を返そうとした時、自室の前に到着した。

 随行の侍女たちが素早く入口の布を開け、リリンスは中に入った。


 妾妃の部屋よりもひと回り広い、王女の自室である。間取りは後宮と似たようなものだったが、各地から運ばれた珍しい調度類がそこかしこに並べられているところが大きな相違点だった。

 象牙の人形や、色硝子いろガラスの文鎮や、貝殻で作られた壁飾りや、細かな染付のある磁器の壺や――王女の好奇心に応えるような雑多なものが無秩序に配置されているようで、雑然とした感じはしないのが不思議だ。家具がすべて紫檀に統一されているからかもしれない。


 平素であれば物が多くても片付いた部屋なのだが、今日は少し違っていた。

 広い居間の隅には籐製の籠が何個も積み上げられ、テーブルと長椅子の上にその中身が所狭しと拡げられている。煌びやかな色彩が目に鮮やかだった。


「ようやく荷解きが終わりましたわ」


 部屋に残っていた侍女二名が、朝食から戻ってきたリリンスにお辞儀をしながら報告する。朝から面倒な仕事を言いつけられた彼女らではあったが、どこか楽しげな様子だ。


「ご苦労さま……凄い量ね。全部絹なの?」


 リリンスは足元を埋める色とりどりの布地を眺めながら、やや呆れたように訊く。


「はい。でも織り方がオドナスのものとは違っていまして、ほらこの地模様をごらん下さいませ。素晴らしいですわ」

「装身具類もたくさん入っておりました。この首飾りの虹色の宝石は……何でしょうね」


 興奮気味の侍女たちから荷物の目録を受け取り、目を通しながらリリンスはその場にしゃがみ込んだ。座る場所がないのだから仕方がない。

 山と積まれた絹織物と宝飾品は、すべてアートディアス帝国から届けられたものであった。

 正確には、彼の国の皇太子から、オドナス王国の王女へ宛てた贈り物である。


 西の大国アートディアスは、その国土に温暖な海浜部から雪に埋もれた針葉樹林帯までを抱えた広大な国である。オドナスとは国境を接しておらず、そのためこれまで争いの起こることはなかったが、国家としての付き合いもなかった。

 だがお互いの国が成長するにつれて、民間での交易量は年々増加してきた。両国を往来する人と物を保護し、商工業の振興を図るため、昨年の今頃、オドナスとアートディアスの間に正式な国交が結ばれたのだった。

 そしてこれはあくまでも非公式な申し入れではあるが、アートディアス皇帝はオドナス王女のリリンスを皇太子妃にと打診してきているらしい。


 オドナス国王セファイドの息女の中で最後に残ったリリンスは、美しく聡明で心優しい王女だと国内外で評判になっている。

 曰く――その美貌は可憐でありながら凛として、まるで砂の中に咲いた白薔薇のよう。王宮に出入りする各地の知識人たちと対等に会話できるほどの教養を持ち、しかもその物腰は、相手の身分に係わらず誰に対しても慈愛に満ちていて、まさにオアシスの女神――。

 容貌の美しさは真実だとしても、リリンスの場合は教養というより興味本位で客人たちを質問責めにしているだけであったし、誰に対しても優しい態度は威厳が足りないのと同義だ。リリンス自身よく分かってる。それでも実際、噂の王女を一目見たいと彼女に面会を申し込む外国の使者が後を絶たず、彼女は少々閉口していた。

 父がわざと大袈裟に流した噂だろうと心得ている。もちろん誉められるのは満更でもないが、いくら何でも盛り上げすぎだ。


 そうやってお父様は私の商品価値を吊り上げるつもりなんだ――。


 おかげでリリンスは、国王の外交の最後の切り札として、その結婚が周辺諸国からも注視されている。リリンス本人にしてみれば、望むところなのであるが。


「それで姫様、陛下は何とおっしゃいました?」


 キーエがリリンスに敷物を準備しながら尋ねた。彼女は朝食の間は控えの間で待機しており、父娘の会話は耳にしていない。

 リリンスは目録を折り畳んで、


「男からの贈り物は気にせずにもらっとけ、だって。礼状だけ書いとくように言われた」


 と、多少困ったように答える。

 アートディアス皇太子から大量の贈り物を贈られ、まだ婚約したわけでもないのに受け取ってよいものかどうか、彼女は父に相談したのだった。父の軽い返事に娘は困惑している。


「そうですか。では遠慮はいりませんね。さっそく仕立屋を呼んで新しいお衣装を作りましょう」

「うん……そうね、作っちゃおう。後で返せって言われても知らないもんね」


 リリンスはあっさりと気持ちを切り替えて、艶やかな絹織物を撫でた。年頃の少女らしく服飾品は大好きなのだった。


「この糸で編んだ飾り……凄く綺麗ね」

「レースと言うそうですよ。オドナスでは見かけませんね」

「襟元に縫い付けたら素敵よ。流行るんじゃないかなあ」


 このレースを大量に買い付けて、市中の仕立屋に卸したら儲かるかも、などと王女にしては俗っぽいことを考えてしまう。いやいっそ職人をオドナスに呼んで、その技を王都の職人にも学ばせれば……。

 オドナスの女たちの間での流行を想像してニヤニヤするリリンスを、キーエは少し気味悪そうに眺めていた。


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