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微睡む流砂の遺産  作者: 橘 塔子
第二章 動き出す世界
16/80

遊戯

「これでどうだ!」


 勢い込んだセファイドが捨てた札を見て、


「それ、当たりです」


 サリエルはそうあっさりと告げ、自らの手札を場に開示した。

 上がりを潰されたセファイドは絶句し、シャルナグとアノルトは同時に溜息をついて手札を放り投げた。


「おい、そんな安い手で上がっていいと思っているのか!?」

「畏れながら、陛下がかなり大きな役を狙っておられるようにお見受けしましたので……お先に」

「何で分かるんだ」


 セファイドは自分の切った札を何度も見返す。今回は最初から手札がよかったので役が揃うのが早く、捨て札から狙いを推測される恐れはなかったはずだ。

 父親とは対照的にアノルトは安堵の笑みを浮かべ、肩を竦めた。


「ゴネないで早く支払って下さいよ。父上が当たってくれて助かりました。俺は今回ほとんどカスだったので」

「私もだ。本当に助かったよ――もう諦めろ。サリエル殿が本気になったら、おまえ、身ぐるみ剥がされるぞ」


 揶揄するシャルナグに渋い顔をして、セファイドは手元に積んだ銀貨から二枚をサリエルの前へ押しやった。安い手だが、勝ちは勝ちだ。


 風紋殿にある客間のひとつである。国王がごく個人的な客を招くためだけに使われる場所であり、あまり仰々しく飾り立てたところがなかった。籐製の家具も複雑な織模様の絨毯も、高価ではあるが落ち着いた意匠のものだ。

 そこに、新しく円卓が運び込まれたのは最近のことであった。

 その円卓を囲んだ四人が興じているのは、王都で流行り始めたマティエと呼ばれる遊戯である。文字や数字や絵の描かれた百三十六枚の紙札を使って、二人から四人で遊ぶ。十一枚ずつ配られた手札を場に伏せられた山札と取り換えつつ、最初に定型の役を作った者の勝ち。役にはそれぞれ得点が決められていて、親を交代しながら三十戦ほど続けて最終的に最も持ち点の高い者が勝者となるのだった。

 自分の手札と場に捨てられた札と、さらには他者の手札の内容まで予想しながら戦略を練らなければ、勝負を有利に進めることができない。いわば確率と心理を読むことが要求される遊戯だ。セファイドはこのマティエがいたく気に入り、時間が空くと廷臣や侍従を引き込んで遊戯に興じている。


「いったん休憩だ、休憩」


 セファイドは不機嫌を隠そうともせずに言って、脇に置いた小机の煙草盆に手を伸ばす。愛用の煙管に煙草を詰め始める彼を眺めながら、サリエルは澄まし顔だ。その手元にはすでに銀貨が小さな山を作っていた。


 サリエルはこの遊戯で負けたことがなかった。いや、いつも大勝ちするわけではない。上がれないこともままあるのだが、最終的に得点を集計すると、なぜか黒字になっている。一晩の勝敗を左右するような大事な局面では、安い手であっても必ず勝つのだ。さきほどのセファイドのように大きな役を狙うと、間違いなく邪魔をされる。


「サリエルは他人の心が読めるみたいだなあ」


 硝子ガラスの杯に葡萄酒を注いで、アノルトは心底感心したように呟く。アートディアス産の葡萄酒である。オドナスのものより酸味が強いが、すっきりしていて飲みやすい。


「楽師にしておくには勿体ないくらいだ。ドローブへ呼んで俺の近習に取り立てたいね」

「駄目だ。今まで負けた分を全部取り戻すまで、王都から出ることは許さん」


 セファイドは紫煙とともに半ば本気の台詞を吐き出した。

 やれやれ、とシャルナグは再度溜息をついた。彼も今夜は負けが込んでいて、正直なところそろそろ引き上げたかったが、セファイドが許可しそうになかった。政治や戦争においてはあれほど冷静な国王が、事が遊びになるとどうしてこうも熱くなるのかと不思議になる。もう徹夜が確定だろう。


 しかし実際に――彼は楽師の眉目秀麗な白い顔に目をやって思う。この男は他人の嘘が見抜けるのかもしれない。もちろん読心術などは信じないが、対峙した人間の仕草や言葉の端々から、その者が偽りを言っているかどうか察することはできるだろう。サリエルがその能力に長けていてもおかしくはない。

 自らが街頭で見つけ、王宮へ連れてきた楽師――その選択に間違いはなかったと確信しているものの、シャルナグはたまに理由の分からない不安に駆られる。従順で穏やかで忠実なこの男の底が、未だに知れない。あまりに捉えどころがなさすぎて、自分たちと同じ人間なのかどうかすら怪しくなる。国王に害をなす存在ではないと、それだけは信じているのだが――。


 シャルナグは知らず知らず隣に座ったサリエルの横顔を凝視してしまった。サリエルは視線を感じたのか、その銀の目を彼へと流す。


「将軍も負けを取り戻すまで私を拘束なさいますか?」


 からかうような口調だったが、薄い笑みに邪気はなかった。自分の疑念がやましく思えて、シャルナグは低く呻いた。


「う……いや……」

「今見惚れてましたね、将軍。まだまだお若くて安心しました」


 葡萄酒の杯を傾けて軽口を叩くアノルトを睨みつけ、シャルナグは話題を変えた。


「サリエル殿は、今夜のごたごたをもうご存じか?」


 サリエルは隠すこともなく肯いた。


「姫様がご無事で何よりでした」

「さすが耳がお早いな」

「留学生の一人がリリンスたちを助けに入ったと聞いた。偶然居合わせたのだと言い張っているらしいが……誰かの意を受けていたのかもしれんなあ。ま、追及はせんが」


 負けた腹いせなのか、セファイドが含みのある言い方をする。

 多分に思い当たるところのあるシャルナグは、眉間に皺を刻みながらも黙っていた。フツがナタレを探し回っていたのは知っている。

 長い睫毛を伏せるサリエルに、アノルトは唖然として、


「まさか、リリンスの逃亡に前もって気付いてたのか? だったら然るべき所へ伝えてほしかったよ。あなたは官吏でも衛兵でもないが、王女が無断で街へ出るのがまずいことはよくお分かりのはずだ」


 と、非難する。彼の妹への溺愛ぶりを考えれば当然だろう。


「申し訳ございません、殿下。はっきりと確信があったわけではないので、ご報告すべきか躊躇しました」

「騒ぎ立ててリリンスに恥を掻かせまいと気遣ってくれたのだろうが……今後はどんな些細なことでも教えてくれ。俺が王都にいる間は、俺に」

「まるで父親が二人いるようだ」


 シャルナグが髯に覆われた頬を掻きながら、ぼそりと呟いた。そのくらい、アノルトの物言いは保護者じみていた。アノルトはむしろ誇らしげに返答する。


「俺には妹を守る責任があります。あの子が初めてここにやって来た時、父上からそのように任されました」

「嫁に出すまではな」


 淡々と父に告げられ、アノルトはいささか荒い仕草で杯を置いた。


「リリンスのアートディアスへの輿入れには、正直、俺は反対です」

「どうしてだ? 大国の皇太子妃だぞ。これ以上ない嫁ぎ先だろう」

「ですがあんな遠い……言葉も習慣も違う国へなど、あの子がどれほど寂しい思いをするか、父上は不憫に思われないのですか?」


 彼にしては珍しく、国益や外交政策を無視した訴えだった。こと妹に係わると、この長兄は相手が誰でも感情的になる。

 セファイドは苦笑して、だるそうに首を回した。


「おまえは過保護すぎる。あの子はな、おまえが考えているほどか弱くはないよ」

「しかし父上……」

「その話はもう終わりだ。再開するぞ」


 彼は煙管から最後の煙を吸い上げ、灰を煙草盆に落とした。

 アノルトは仕方なく口を閉ざしながらも不満顔だ。そして話を断ち切ったセファイドは、わざとそうしているような無表情で自分の杯をあおっている。

 セファイドめ、腹に一物ありそうだな――シャルナグはそう感じて、何となくサリエルの様子を窺った。その一物の正体を見抜いているのではと期待したのだが、彼は特に感慨を見せず、


「では今度は私が親ですね」


 と、マティエの紙札を引き寄せた。

  




 オドナス国内のアルハ信仰を統括する中央神殿は、アルサイ湖の中島にある。

 深い緑がこんもりと茂った小さな島の丘の上に、湖全体を見下ろすように佇んでいる。建国の時期にまで遡ると言われる古い建物は、幾度かの改修を経ながらも、王都の建築様式とは異なるその姿を保っていた。

 円形の巨大な礼拝堂を中心に、三階建ての棟が両翼のように繋がっている。建物はすべて重厚な石造り――壁は分厚く柱は太く、開放的な砂漠の建築とは明らかな差異があった。そしてその石壁も鉄扉も、細かな浮彫に覆われているのだった。具象的な意匠ではない。すべて抽象的な幾何学模様だ。アルハ信仰においては神の姿を写すことを禁じている。

 月の明るい夜に見れば建物全体に深い陰影がつき、その重厚さがますます際立つ荘厳な神殿だった。


 だが真昼の今、凹凸に富んだ壁は強い日差しに晒され、ただ明るく平坦に見えた。


 両翼の右側、神官たちの居住棟の一階に、神官長の執務室はあった。

 広々とした部屋の奥には大きな窓があり、王宮とは異なって厚い硝子ガラスが嵌め込まれている。それが今は開け放たれて、湖から森を抜けて渡ってくる微風が室内に爽やかな湿度をもたらしていた。

 執務机の向こうに座ったユージュは、その窓を背にして手元の書類に目を落としていた。


 黄味の強い肌に、筆で描いたような優美な顔立ち――砂漠に住まう民とは明らかに違う異国の人間である。顎のところで切り揃えられた黒髪が、柔らかな曲線の輪郭を縁取っていた。短髪の女はオドナスでは非常に珍しい。繊細な目鼻立ちも華奢な体つきも少女のようで、二十四歳という実年齢よりもずいぶん若く見えた。


 低く温かな弦の響きに、ユージュは顔を上げた。

 執務机の前に置かれた椅子にはサリエルが腰掛けている。彼は手持ち無沙汰を紛らわすように、膝に乗せたヴィオルの弦を指で弾いていた。


「……申し訳ない。お気を散らせてしまいましたか」

「別に構いませんよ。その音は結構好きです」


 サリエルが詫びると、ユージュは素っ気なく答えて再び目を伏せた。笑顔になれば誰もが目を奪われるに違いないのに、彼女の表情は常に硬質だ。王都の祭事を一手に司る神官長の立場ゆえというよりも、本人の性格がそうさせているのだろう。

 室内には来客用の長椅子の類はない。窓以外の壁面全体に作り付けられた書棚と、机と椅子がもう一組。ユージュの机に対して直角に設えられたそれには、今は人の姿はなかった。

 サリエルは空いた机に目をやりながら、


「お忙しいのに面倒なことをお願いしてしまって」

「どうせ大した仕事はしてないんです。お気になさらず」


 ユージュは冷淡に告げて、書類の束を整えた。彼らが話しているのはオドナス語ではなく、神殿の一族のみで使用される異国の言語だった。


「リリンス様は謹慎処分とか」

「ええ、今日で三日目です。真面目に反省していらっしゃるようですよ」

「あの年頃の少女が部屋でじっとしていることは、私たちが考える以上に酷でしょうに」

「姫様はあなたを気に入っています、ユージュ。あなたの方も満更ではなさそうですね。よく面会なさっていると聞きました」

「面白い子だとは思います、良くも悪くも。賢くて現実的で冷めていて――それでいて前向きで。父親に似ているんでしょう。アートディアスへ遣ってしまうのは、少し勿体ない気がしますね」


 無感情だがハキハキとした物言いに、サリエルの口元に苦笑に似たものが浮かんだ。この女神官は存外饒舌なのだ。普段は余計なことは一切喋らず、その身と同胞を守っているのだったが。


「王女の結婚と……王太子の指名も近いと聞きましたが」


 今度はサリエルが尋ねた。その白く長い指はヴィオルの弦をゆっくりと爪弾いている。ユージュの細い眉が少し上がった。


「そんなに情報に通じていると、いつか口封じに暗殺されますよ。ええ……立太式の式次について、今調べているところです。国王から依頼があって――何しろ二十数年ぶりのことですから」

「王太子はやはりアノルト殿下に?」

「そこまでは知りません。そういったことは、国王はむしろあなたの前で口を滑らせるのでは?」


 ユージュは机に両肘をついて、組んだ指の上に顎を乗せた。左手の中指で、黒地に金模様をあしらった指輪が輝く。


「私たちの望みはただ一つ。この場所が今と同じ形で後継者へと引き継がれることだけです。主が変わってもスタンスさえ変わらなければ、私たちの平穏は守られます」

「アノルト殿下が国王陛下と同じようにあなた方を扱うかどうかは、まだ不確定だと思いますよ。お若いだけに欲が出る可能性もある」


 サリエルは気遣わしげな眼差しでユージュを見る。玲瓏たる美貌にも物騒な台詞にも、彼女は動揺しなかった。冷たく澄んだ黒瞳がキラリと光っていた。


「私たちのことを心配するより、あなた自身はどうするつもりなんですか、サリエル? 楽師の真似事も結構ですけれど、本来の責務を考えれば、今のあなたはただの役立たずですよ?」


 毒を含んだ問いかけではあったが、過分な悪意は感じられなかった。

 サリエルがそれに答える前に、部屋の扉がコツコツと鳴った。


「お待たせしました」


 そう言って入って来たのは、カイだった。ユージュの副官の、ひょろりと背の高い青年である。

 サリエルは立ち上がって、彼に会釈をした。


「お手間を取らせました」

「いえいえ、いいんですよ。僕なんかどうせ暇ですから」


 嫌味でも皮肉でもなく、カイはそう言って愛想よく笑う。先ほどユージュに「大した仕事はしていない」と評された青年は、自分の机の上に持ってきた数冊の本を並べた。


「地質学と化学と……あとは天文学の解説書です。で、こちらがオドナス語に翻訳したノート。あの、本当にこんな本でいいんですか? 若い女の子なら、もっとこう恋愛小説とか、そういったものを好まれるのでは?」

「そういうのは読み飽きたと姫様が。いつも神官長から受けている講義みたいな本がいいそうです」

「へえ……ほんとに変わった王女様ですねえ。ユージュ、これ貸し出しても大丈夫?」

「書庫の五番棚までの本なら構わないわ。姫様は知識欲が旺盛だからね……このまま謹慎が続くと神殿の書物を全部読み尽くしてしまうかもしれない」


 部屋で退屈を持て余しているリリンスを訪ねたところ、神殿にしかない珍しい本が読みたい、とせがまれて、サリエルはここにやって来たのだった。彼が神官たちと親しいと知っているからこその依頼だったが、多忙な人気楽師を遣いによこすとは大したものだ。


 カイは机の引き出しから大きな木綿布を出してきて、重ねた書物をそれで器用に包んだ。上部できゅっと結ばれた布の先端が手提げ部分になる。

 サリエルが丁寧に頭を下げ、結構な重量のあるその荷物を受け取ろうとした時、再び扉が鳴った。

 一瞬置いて、ユージュがどうぞと声を掛ける。


 扉が半分ほど開き、顔を覗かせたのは若い女性神官だった。美人というほどではないが愛らしい顔立ちで、緩く波打つ黒髪を束ねて左肩に流している。

 カイが意外そうに首を傾げる。


「イオナ、何か用かい?」

「ユージュに呼ばれて……ここに来るようにって」


 イオナは室内を見回し、サリエルに気付いて目を見開いた。それから当然の反応として頬を赤くする。

 この楽師のことは神官たちはみな承知しており、神殿への出入りも頻繁なのでその姿を見かける機会も多かった。にも係わらず、やはり、見慣れることはない。

 ユージュは彼女を手招いて、淡々と告げる。


「入って。悪いけどカイは外してちょうだい」

「えっ、何で……って、はい、分かりました」

「では私もこれで失礼します」

「あなたはいて下さい、サリエル」


 身を翻そうとするサリエルをユージュが引き止めて、カイは思い切り眉間に皺を寄せた。

 カイもまたサリエルの素性について知っている。自分たちと古く深い縁で結ばれた存在で、だからこそユージュが信頼しているのだと分かってはいても――彼女がこれほど近い距離に他者を入れるのを見ると、穏やかではいられないのだった。


 無言の抗議にユージュが取り合うわけもなく、カイは諦めて大人しく部屋を出て行った。細いその背中はどこか寂しげである。

マティエは麻雀に似たカードゲームですが、麻雀とは微妙にルールが違います……たぶん。

徹夜と言えば麻雀か『大富豪』ですよね。

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