『snowdrop』
・思いつきショートショートですがよろしければ。
しんしんと降り積もる雪が、小さな花になるのを見た。
幼い頃の話。心も体も幼くて、小さくて……取るに足らない弱いイノチだった頃。
冷たい雪の中に体を投げ出して、もう起き上がる気力も湧かなくて。
このまま、死んでしまってもいいや……なんて思ってた。
――どうして?
そう言って、僕の顔を覗き込んだのは誰だったのか。もう、思い出すことは出来ない。どんな顔をしていたのか、どんなヒトだったのか。
ただ、優しそうな女のヒトだったことだけは覚えている。
どうしてって、決まってるでしょ、と凍り付く唇で辛うじて答えた。
――僕は、独りきりになってしまったから。たった一人の家族だった母が、いなくなってしまったから。
雪の中を、二人で歩いていたはずだった。けれど、気がついたら母の姿はなくて、僕は独りきりで。こうして体力が尽きるまで探したけれど、結局は見つからなくて。
……置き去りにされた、と言うことが、幼い僕に分かっていたわけじゃない。捨てられた、と言うことを知っていたわけじゃない。まして、自分の子供を「要らない」と思う親の心理なんかが分かるわけもない。
ただ、母がいない。その孤独に僕は耐えられなかった。社会から隔離されたような生活を送っていた僕にとって、母以外に頼るべきヒトなんてなかったから。
ヒトは独りじゃ生きていけない。最初にそう言ったのは誰なんだろう。使い古された言葉だけど、その通りなのだと思う。ヒトの温もりがなければ、体よりも先に心が死んでしまう。凍てつく風には耐えられない。
――そう……可哀想に。
そう言って、そのヒトは寂しそうな顔をした。
けれど、すぐに優しく微笑むと、雪の中に沈む僕を抱き起こして、言った。
――確かに、今は独りで、寂しいかも知れない。でも、ヒトはいつまでも独りではないわ。
言われている意味が分からなかった。だから、僕は独りだよ、そう言った。
――そんなことないわ。だって、今はこうして私が傍にいるじゃない。それでも独りだって言うの?
幼心に、それは屁理屈だと思ったのかも知れない。或いは、どこか挑戦的なその物言いに、引っかかる物を感じたのか。お姉ちゃんなんか知らないもん、半ば拗ねたようにそう言った。
生意気な子供の言葉に、けれど、少しだけ元気を取り戻した僕の言葉が嬉しかったのか、そのヒトは笑った。
――そうね、私も君を知らない。いいえ、さっきまでは知らなかった。でも、もう知らないわけじゃない。君だってそうよね?
なんて。また屁理屈だと思った。だから、分からないよ、そう言って眼を逸らした。知らないよ、とは言えなかった。屁理屈の筈なのに。
頑なな僕の態度に音を上げたのか、そのヒトは少しだけ嘆息すると、
――じゃあ、私が手品を見せてあげる。……だから、元気を出して? 生きていれば、この先何人ものヒトと出会う機会があるのだから。
そう言って――雪を、小さな花に変えた。
――雪の降る日は、そんな昔のことを思い出す。今でも不思議で、全て夢だったのではないかと思ってしまうような淡い記憶。
……だけど、そんなことはどうだっていい。雪の欠片が花に変わるあの瞬間、僕はそこに、確かな希望を感じたのだから。
――どうしたの?
ぼんやりと空を見上げていた僕に、そんな声。振り返れば、一人の女性が立っている。……恥ずかしながら、僕の大切なヒトだったりする。
あれから幾らかの時が過ぎて、僕にも幾らかの絆と呼べる物が出来て、大切だと言える女性も出来た。あの日、あの奇跡に出会わなければ到達出来なかっただろう場所。
あの日、あのヒトに出会っていなければ、僕はどうなっていたんだろう。そんなことを思うと、どうしても表情に陰りを帯びてしまう。
何でもないよ、と、心配を掛けたくなくて僕はかぶりを振った。
けれど彼女は、
――元気ないね?
そう言って、どこか挑戦的な笑みを浮かべた。彼女は時々、こんな風に試すような顔をする。僕はそんな彼女が嫌いではなかったけれど、少しだけ拗ねたように、そんなことないよ、と吐き捨ててみる。
彼女はにこりと満足げに笑うと、しんしんと降り積もる雪の中へと身を躍らせた。戯けるように、くるりと軽いステップなど踏んで見せる。
危ないよ、と声を掛ける僕に、
――ねえ、元気が出るおまじない。手品を見せてあげる。
そう言って――手にした雪を一欠片、小さな花に変えて見せた。
その時の僕は、きっと途方もなく間抜けな顔をしていたろう。何が起こったのかも分からずに、眼を見開いて、口をあんぐりと開けて、ただただ彼女の手の中を見ていた。
僕は慌てて彼女を問いただそうとしたけれど、彼女はそれを待たず、満足げににんまりと笑うと、傘を開いて僕の腕を取った。
――元気が出たら、早く行こうね。立ち止まってたら、風邪引いちゃうよ?
そんな風に言う彼女に促されて、僕は歩き出す。
……結局、問いただすことは出来なかった。
けど、それで良かったのかも知れない。大切なのは、今、僕は確かにここにいて、大切なヒトがここにいる。……それだけだから。
胸中に浮かぶのは、一つの伝説。
冬の寒さに凍え、絶望する原初のヒトを慰めようと、降りしきる雪を小さな花に変えて見せた心優しき天使の話。
そんな、小さな花の伝説――