橘響夜 7月9日 午後9時39分 渡良瀬市 上空
時間は飛んで、夜です。新しい主人公は不幸です。
ヘリのローター音が俺の耳をしつこく責めている。俺の耳は今にも鼓膜ごと吹き飛びそうだ。
俺は橘響夜。対特殊災害部隊「翡翠隊」隊長だ。
今回の任務は世界中で発生している暴徒事件。いや、大災害を鎮圧するため渡良瀬市とかいう中規模の町に派遣される事になった。
噂によれば暴徒は人を喰うらしい……。詳しいことは現地で現物を見れば分かるだろう。とにかく相当厄介な任務であることには変わりない。
何せ生きて還れるかどうかもはっきりしない任務だ。そりゃあ喜んで行きたくは無いさ。でも俺たちの作戦生還率は百パーセント、今回もそうであって欲しい。
「隊長、そろそろ目標地点上空です。降下準備を」
「分かった」
そう返事をし、装備の確認を開始した。八人の隊員もそれに習う。
俺の隣にいる部隊の通信士、白鳥俊軍曹は一枚の写真を見て、ニヤついている。俺は白鳥を覗き込み、
「何の写真だ?白鳥」と尋ねた。
「いえ、俺のカミさんですよ」
「何?何時結婚したんだ?」
俺は少なくとも初耳だった。他の六人も驚きの表情を見せている。
「実は先週入籍したんですよ。式はまだですけど……この作戦が終ったら隊長たちにも招待状を出そうと思ってたんですけどね」
「そうか。めでたいな」
「白鳥、お前もやるじゃないか。おめでとう」
俺の向かいに座っている副隊長、伊東準一小尉も感じのいい笑みで祝った。
「隊長は結婚しないんですか?」
幸せ絶頂の白鳥が俺に尋ねる。俺はふっと笑い、胸から掛かっているロケットを見つめた。
「俺はいいんだ。結婚なんて・・・」
「もったいないですね。隊長はイケメンなのに・・・」
白鳥の言うように、確かに俺はモテる。学生時代からずっとだ。何度も芸能界からスカウトされているし、高校ではファンクラブまで出来た。
でも、俺は女と付き合う気は無い。俺に女と付き合う資格なんてないのだ。
俺には妹がいた。歳は二才しか離れていないが、かなりの身長差があったし、何より俺とは違っておしとやかでその笑顔は何時でも俺を癒してくれた。俺がシスコンと呼ばれるようになったのはその事もあるのだが・・・。
でももう俺の妹は、アイツはいない。あの日、俺がもう少し早ければ・・・。
俺はその考えを頭から振り払った。今、ここで取り乱す訳にはいかない。俺の様子に気付いたのか、白鳥も俺のロケットを見つめている。
「おい、響夜。気まずいから何か喋ってくれ」
準一が俺の肩を銃口でつつく。準一は俺と同期なので、普段は敬語を使わない。使うのは一応、体裁を保たなくてはいけない時だけだ。
「すまん。では作戦を説明するぞ」
全員が俺を見つめた。
俺は市街地の地図を自分の膝に広げ、ライトで照らした。
「降下地点は商店街。ここの交差点だ。降下完了と同時に先発隊として降下部隊の降下地点を確保する。それが完了し次第、地元警察と共同で防衛線を展開、拡大しつつ、生存している民間人の保護だ。尚、感染者への発砲は許可されている。容赦なく撃て」
「日本も末ですね。感染している民間人を射殺とは……」
隊員の狼森海斗上等兵が呟く。
「そうだな。まあ、撃ちたくない奴は撃つな。但し、早死にするぞ」
しばしの沈黙。その静寂を破るようにヘリのパイロットの声が響いた。
「翡翠隊、降下地点に到着いたしました。降下開始してください」
俺は立ち上がり、ヘリから下の商店街を見下ろした。予想通り、廃棄車両が店のショーウィンドウを突き破っている。死体が無数に転がり、よろよろと暴徒が徘徊している様子が窺えた。
俺はロープを二本下に垂らし、準一を呼んだ。
「準一、俺とお前で先行する。他の奴も後に続け。降下し次第、戦闘を開始しろ。降りたときに尻を噛まれるなよ」
くすくすと笑いが漏れる。俺はロープを握り、降下を開始した。
俺たちは地獄に足を踏み入れた。戻れるかも分からない地獄に……。
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