橘響夜 7月10日 午前2時05分 渡良瀬市 市街地
「響夜、前を見てみろ。ここからが大変だぞ」
準一の声で俺は前方を見つめた。
ここは駐屯地に向かう国道で、避難民が放棄した車両が大量にある。その量は国道を余裕に埋め尽くしていた。炎が燻っている車両もあり、下手をするとガソリンに引火する可能性もあった。
「よし、俺と準一で先行する。車両の下、中、間にも気を配れ。火器の使用は極力控えろよ」
俺は車のボンネットに乗り、辺りを警戒した。後ろからは一定の間隔で仲間がついてくる。
俺の部隊のほかに、警官三人の中で一番画体が良かった矢島健と、中々決断力のある逢海寛人という中学生も同行することになった。
「静かです。不気味になってきました」
「そうだな。油断するな。特に白鳥、お前は早く家に帰って、嫁に顔を見せてやれ」
「そうですね。でも嫁は無事ですかね?」
「信じろ。それしか今は出来ない」
皆は真剣な顔で頷いた。
俺は白鳥に今の言葉を言ったつもりだが、皆も共感する部分があったのか、唇を噛み締めている。皆も大事な家族や友人、恋人がいるのだろう。それを守りたいのかも知れない。
失うものが無いのは俺だけか……。
俺は心の中で呟いた。
他の皆は守りたいものがあるから、生き残りたいから戦っているのかも知れない。
でも俺は違う。只、目の前にあるものを殺していくだけだ。必要性があれば助けるが、必要が無ければ助けない。人間として失格なのかも知れない。
「隊長、聞こえますか?」
俺は松山の声で耳を澄ませた。そう遠くないところから、人の声が聞こえている。生存者が駐屯地に殺到している証拠だ。
同時に感染者も集まる可能性がある、という事だ。
「急ごう。この数だと相当数がいるぞ」
俺たちは駐屯地へと足を速めた。
「参りましたね……」
村上が曇った顔で呟く。
それもそのはず、目の前では生存者が溢れかえっていた。駐屯地までは後、一キロほどあるというのに既に生存者は路上を埋め尽くしていた。これから一キロもこの人の波が続くのかと思うと、流石に足が止まった。
「そうだな。とにかく、通信出来るところまで行こう。本部と通信が取れれば、ヘリを学園にまわしてくれるかも知れない」
俺は銃を構えなおし、人並みの中に入っていった。なるべく離れない様にお互いの姿を確認しながら進まなくてはいけない。
しかしそう上手くはいかなかった。
俺たちの姿を見た民間人は、俺たちを囲んで口々に助けて、だのと叫んでいた。俺は全てを無視し、先を急いだ。残念ながら全員を乗せられる分のヘリはないだろう。
それよりも俺が気になるのはこれだけの民間人がいれば、感染者も紛れ込んでいるのでは?ということだった。この人ごみで感染者が発症すれば、大惨事は免れない。感染者が健康な人間を襲い、襲われた人間も感染する。そして逃げ場の無い民間人は混乱し、順番に死んでいくだろう。
「全員、止まれ。これ以上は危険だ」
俺が身振りで全員に伝えた。
これより先はさらに民間人の数も増え、固まっていくというのは難しい状況だ。
俺は手持ちの通信機を使い、本部へと連絡を取る事にした。電波状況がよければ繋がるのだが。
「……こちら渡良瀬市陸上自衛隊本部」
「よし、繋がった。俺は対特殊災害先行部隊、「翡翠隊」隊長、橘響夜だ。至急、渡良瀬市律明学園にヘリを飛ばしてもらいたいのだが」
しばらくの間を空けて、別の男の声が聞こえた。
「すみませんが、この町から出る脱出便はこれが最後です。感染者の大群がこちらに向かってきていますので、予定より六時間ほど早いですが、兵力は撤退することになりました」
「待て、ここにいる民間人はどうする?」
「自力で脱出して貰うしか、方法はありません。後、五分で兵力は完全撤退します。それまでにここまでたどり着けますか?」
「無理そうだ。俺たちには構わず、撤退しろ」
「貴方方もお気をつけて……健闘を祈ります」
それで通信は切れた。
俺は唇を噛み締め、次の方法を模索した。
「響夜!感染者だ!」
自分から五メートルほど離れた自販機の上で89式小銃を構えていた準一が叫んだ。
俺も振り返ると、背後の国道をこちらに向かって歩いてくる大量の感染者たちが見えた。
「ヤバイな。このままだと感染者と生存者がぶつかる。俺たちで出来る限り防ぐぞ!」
俺は国道を人の流れに逆らいながら歩いた。
途中、何度も民間人とぶつかったが、何とか最後尾までたどり着く事が出来た。
感染者と生存者の距離はすでに百メートルほどで、感染者は着実に迫ってきているのに対し、生存者たちは数が多すぎて詰まっているようだった。
「白鳥!村上!右を頼む!松山と狼森は左だ!俺と準一で正面、山縣と朝比奈で援護してくれ!矢島と寛人は生存者を早く避難させろ!」
俺は全員に叫び、発砲を開始した。後ろでは山縣と朝比奈が対物ライフルで奴らを狙撃していく。左翼、右翼ともに弾幕を展開していたのだが、如何せん感染者の数が多すぎた。俺たちは徐々に下がるしかなく、次第に感染者と生存者の距離も狭くなっていく。
俺が六回目のリロードを行った時、今度は生存者側から悲鳴が上がった。
「うわぁ!止めろ!」
「化け物だ!」
どうやら前方でも感染者が現れたらしい。
俺は後ろに控えていた山縣と朝比奈に民間人を襲っている感染者の始末を任せた。俺たち六人で正面の敵を撃っていく。
しかし幾ら撃っても奴らは減らなかった。所詮は焼け石に水で、小銃で幾ら始末しようと、奴らは幾らでもいるのだった。
必死の抵抗も空しく、遂に距離は十メートルまでに縮まった。
俺たちは絶体絶命の状況に追い込まれていた。
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