鷹見真一 7月9日 午後11時02分 渡良瀬市 県警 会議室
物音はしない。奴らの呻き声も今は止まっている。
今、俺と矢島、佐伯は警察署の最上階にある会議室に篭っている。俺たち三人が警察に到着したのと同時に暴徒は警察署を襲った。
警察はバリケードを張り、必死の抵抗をしたが、三十分で外のバリケードは破られ、中も奴らに占領された。俺の同僚も数え切れないほど死んだ。
もっと酷いのは、警察の上層部が暴徒の署内侵入と同時にヘリでさっさと逃げてしまったことだ。所詮、俺たちの命など自分の命や社会的な地位と比べたら、小さいもの。俺たちは完全に見捨てられ、一人、また一人と死んでいった。
俺たち三人は何とか逃げて、ここまでたどり着いたのだった。
「鷹見さん。そろそろ移動しません?」
佐伯が小さな声で俺に言った。俺も頷く。
「確かに。ここで篭っていてもあまり状況は変わらないかもしれないな」
俺は呟き、会議室の扉をそっと開けた。廊下に人影は存在しない。もう奴らも別の場所に移動したのだろうか?どちらにせよ脱出しなくてはいけない。
俺はドアを閉め、室内を見渡した。佐伯は会議室の椅子に座っていて、俺の指示を待っている。矢島は奥の署長室で仮眠中だ。
俺は拳銃の残弾数を確認した。後、三発残っている。マガジンは後一つだ。佐伯や矢島の銃はもう撃ち尽くしてしまった。
「そうだな。佐伯、矢島を起こしてくれ。これからのことについて説明する」
「はい」
佐伯は素直に頷き、署長室へ入っていった。しかし矢島の寝起きの悪さはお墨付きだ。佐伯がどう対応するのか、見ものだ。
案の定、直ぐにドタバタと騒ぐ物音が聞こえた。矢島の唸り声も聞こえる。どうやら相当、熟睡していたようだ。少し悪い事をしてしまったかも知れない。
数分ほど経って、かなり不機嫌そうな顔をした矢島とげっそりとした佐伯が現れた。佐伯の顔に痣があることから、やはり殴られたようだ。
矢島が椅子にどっかりと座り、口を開いた。
「で、脱出経路が決まったのか?」
「ああ、この階の非常階段を使って一階まで降りる。その後は運次第だ」
矢島が俯いた。しばらくして顔を上げたかと思うと、満面の笑みを浮かべた。
「気に入ったぜ。こうなったら俺たちの運に賭けてみよう」
俺も真顔で頷いた。佐伯は不安の色を顔に浮かべていたが、矢島の強い言葉に押されたのか、勢い良く頷いた。生きたいのは皆、同じなのだ。
「そうと決まったら行こう。時間が惜しい」
矢島の言葉に俺と佐伯も頷いた。
まず俺がドアを開けて、廊下を制圧した。幸い、廊下には敵が居らず、難なく進むことが出来た。俺は銃を持っているので、先頭を務める。佐伯はあまり力も強くなく、図体も小さいので真ん中だ。ゴツイ矢島はもちろん殿を務める。
非常階段は会議室から一番遠い場所にあるので、危険が伴うが、この様子なら奴らはもういないようだ俺たちは何の障害もなく、非常階段までたどり着いた。
俺がドアを開けると、生暖かい風が吹き込んでくる。非常階段は外にあるので、階段の手すりなどは鳥の糞だらけだ。凄まじい臭気が漂って、胃の内容物がこみ上げてきたが、何とか抑えた。
「早く行こう。鼻がもげる」
「同感です……」
俺たちは早足で階段を下りた。なるべくスピードを出して、尚且つ慎重にだ。階段を下りて、大通りに出た時には思い切り深呼吸をした。
「酷かったな……一体、どこの腐海だ?」
「さあ、でも約一名平気な人もいますけど?」
佐伯の言葉どおり、矢島は気にしてもいない様子だった。矢島曰く、下水道の修理のバイトをしていた時はもっと酷かったらしい。
俺たちは人気のない大通りを歩き始めた。人の気配すらしない大通りは不気味以外の何者でもない。
店のショーウィンドウは割れ、車があちこちに放棄されている。人の死体は……あまり見当たらない。既に蘇って奴らの仲間になったのだろうか?
俺がぶつぶつと呟いていると、矢島が俺の口を塞いだ。
「何だ?」
「静かに!物音が聞こえる」
俺も耳を澄ませると、確かにエンジン音が聞こえた。この大通りを走っているようだ。しばらくして道路の向こうに一台のバスが見えてきた。こちらに向かって走ってきている。
「丁度いい。乗せて貰おうぜ」
矢島が呟いて、足を前方に進めた。俺がそれを止める。
「どうした?行かないのか?」
「待て、バスの上に銃を構えた兵士が乗っている。もしかしたら部隊から離脱した賊かもしれない。この状況で統率の執れている部隊などいないだろう?」
「でも僕たち食料なんて持ってないですから、別に取られるものはないですよ?」
確かにそうだ。
しかし俺は拳銃を持っている。もし奪われたら、それこそ護身の術がなくなってしまう。
バスはゆっくりとこちらに向かってきていた。バスの上には二人の兵士が座っている。一人がこちらに気付いたようだ。手を振っている。
「危険……は無さそうですよ」
「そうだといいが……」
バスはやがて、俺たちの前で止まった。上に座っている兵士の一人が上から呼びかける。
「大丈夫か?良かったら乗れ。但し、噛まれている奴は御免だ」
その兵士はかなりの美青年だった。もうひとりは音楽を大音量で流している。聞いたことのない洋楽が先ほどからこの大通りに木霊していた。
「乗せてくれると助かります。俺は鷹見真一、警察官です。こちらは矢島健、こっちの小さいのは佐伯卓」
「そうか。俺は橘響夜。隣のは白鳥だ。よろしく」
「ええ、こちらこそ。で、何処へ向かっているんですか?」
俺は響夜というリーダー格の人物に聞いた。
「律明学園だ。立て篭もるのに最適な場所なんだ。中には民間人二人と他の隊員がいるから、寛いでくれ」
俺もはにかんだ笑みで返す。どうやら心強い仲間になってくれそうだ。
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