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潔癖令嬢の断捨離婚 汚れた英雄を丸洗いしたら溺愛されました  作者: 月雅


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第7話 大魔導師のトラウマを断捨離する



(部屋の汚れは心の汚れ。前世の師匠――清掃会社の社長は、よくそう言っていました)


私は廊下の突き当たりにある、重厚な鉄の扉を見上げました。

ここ数日、シリス様と一緒に離宮の大掃除を進めてきましたが、この部屋だけは別格でした。

何重もの鎖が巻かれ、赤い護符がベタベタと貼られています。

まるで、見てはいけないものを封じ込めているかのように。


「……ヴィクトリア、そこは駄目だ」


背後から、シリス様の切迫した声が聞こえました。

振り返ると、彼は顔面蒼白で立ち尽くしています。

洗濯したての白いシャツが小刻みに揺れていました。


「シリス様? ここは物置ですか? それとも……」

「入らないでくれ。見ないでくれ」


彼は私の手首を掴みました。

その手は氷のように冷たく、汗ばんでいました。


「汚いんだ。……僕の、一番汚い部分が、そこにある」


彼の瞳の奥に、怯えの色が見えます。

あの傲慢な騎士たちをゴミのように転送した時とは別人のような、脆い姿。

これはただ事ではありません。


私は彼の手を、そっと両手で包み込みました。


「シリス様。ゴミは、隠しても消えませんよ」

「……え?」

「蓋をして見ないふりをすれば、中で腐敗が進むだけです。いつか必ず、悪臭が漏れ出してあなたを蝕みます」


私は彼の目を真っ直ぐに見つめました。


「開けましょう。私が一緒です」

「でも……君が傷つくかもしれない。僕は、制御できないかもしれない」

「私のことを誰だと思っているのですか? 伝説の『お掃除妖精』ですよ?」


私が悪戯っぽく微笑むと、彼は泣きそうな顔で、けれど小さく頷きました。


          ◇


鎖を外し(錆びていたので物理的に引きちぎりました)、重い扉を押し開けました。


ギギーッ……。


嫌な音と共に、冷たい風が吹き抜けます。


「……うわぁ」


私は思わず声を漏らしました。

そこは、かつて研究室だった部屋のようです。

本棚は倒れ、ガラス片が散乱し、床は黒く焦げ付いていました。

壁には無数の爪痕のような傷。

そして何より、空気が重い。

埃臭さとは違う、鉄錆のような血の臭いと、焦げ臭さが混じった淀み。


「……師匠」


シリス様が呻き声を上げ、その場に膝をつきました。

彼は虚空を見つめています。


「ごめんなさい、ごめんなさい……僕が、僕のせいで……」


彼の目には、私には見えない何かが見えているようです。

部屋の隅に溜まった黒い影。

それは魔力の残滓トラウマが具現化したものでしょう。

シリス様の魔力が共鳴し、部屋全体がガタガタと震え始めました。

割れたガラス片が浮き上がり、凶器のように切っ先をこちらに向けてきます。


「シリス様、落ち着いて!」

「来るな! 僕に近づくな!」


彼は頭を抱えて叫びました。

周囲に青白い稲妻が走り、床を焼き焦がします。

暴走です。

過去の記憶に飲み込まれ、現実と幻覚の区別がつかなくなっているのです。


普通なら、ここで逃げ出すのが正解でしょう。

この部屋の魔力濃度は、常人なら即死レベルのはずです。


ですが。


「……ただの、散らかった部屋ではありませんか」


私は一歩、前に踏み出しました。

飛び交う稲妻も、浮遊するガラス片も、私にとっては「風で舞っているゴミ」と同じです。

私の体――『魔力不感症』の皮膚に触れた瞬間、それらは力を失い、カランと音を立てて床に落ちました。


「な……?」


シリス様が顔を上げました。


私は嵐の中を散歩するように、彼のもとへ歩み寄りました。

そして、床にうずくまる彼の頭を、胸に抱き寄せました。


「大丈夫。怖くありませんよ」


ギュッと抱きしめます。

私の腕の中で、彼の体がビクリと跳ねました。


「ヴィクトリア……? 離れろ、魔法が、君を……」

「効きませんよ。知っているでしょう?」


私は彼に纏わりつく黒いもやを、手で払い退けました。

私の手が触れると、靄は「シュゥ」と音を立てて消滅していきます。

それは、まるで汚れた窓ガラスを雑巾で拭うように、あっけないものでした。


「ほら、見てください。何もいません」


私は彼の顔を上げさせました。

部屋の揺れは収まり、浮いていた家具も元通り床に転がっています。

そこにあるのは、ただの古びて汚れた研究室だけです。


「……消え、た?」

「ええ。お化けなんていません。あるのは、片付けるべきゴミだけです」


私はポケットからハンカチを取り出し、彼の涙で濡れた頬を拭いました。


「辛い思い出があるのですね?」

「……うん。ここで、僕の力が暴走して……師匠が、僕を庇って死んだ」

「そうですか」


私は静かに頷きました。

否定も、安っぽい慰めもしません。

ただ事実として受け止めます。


「それは悲しいことです。でも、この部屋をこのままにしておくことは、師匠様への供養にはなりませんわ」

「……」

「綺麗にしましょう。過去を整理して、必要なものだけを残すのです。それが『断捨離』です」


シリス様はしばらく呆然としていましたが、やがて私のシャツの裾を握りしめ、小さく頷きました。


「……手伝って、くれる?」

「もちろん。追加料金は高いですよ?」


          ◇


それからの数時間は、無言の作業でした。

私は箒でガラス片を集め、雑巾で煤けた壁を拭きました。

シリス様は、散乱した本や書類を拾い上げ、一つ一つ確認していました。


「これは、もういらない」

「これは……残す」


彼は震える手で、けれど確実に選別していきました。

それは物理的な片付けであると同時に、彼の中の罪悪感との対話だったのでしょう。


やがて、瓦礫の下から一枚の写真立てが出てきました。

ガラスは割れていましたが、中の絵は無事でした。

優しそうな老魔術師と、まだ幼い銀髪の少年が並んで笑っている肖像画。


「……師匠」


シリス様はそれを指でなぞり、胸に抱きました。

もう、怯えてはいませんでした。

その顔には、寂しさと共に、穏やかな光が宿っていました。


「綺麗に、なったね」


彼が部屋を見渡して言いました。

黒く焦げ付いていた床は磨かれ、本は棚に収まり、窓からは夕日が差し込んでいます。

禍々しい空気は消え失せ、古い紙とインクの匂いだけが残っていました。


「ええ。もう呪われた部屋ではありません。ただの書斎です」


私は満足げに箒を置きました。


その瞬間、糸が切れたようにシリス様が倒れ込んできました。

私は慌てて彼を受け止めます。

精神的な消耗が限界だったのでしょう。彼は私の肩に頭を乗せたまま、すぅすぅと寝息を立て始めました。


「……まったく、手のかかる英雄様ですこと」


私は苦笑して、彼の柔らかい銀髪を撫でました。

重いですが、嫌な重さではありません。


窓の外では、一番星が光り始めていました。

この離宮に来て初めて、本当の意味で空気が澄み渡った気がしました。


「おやすみなさい、シリス様。……いい夢を」


私は彼が起きるまで、その場を動かずにいることにしました。

綺麗になった部屋で過ごす静寂は、何よりも贅沢な時間でしたから。


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