第4話 パンツ一丁の英雄と洗濯日和
「……ねえ、僕のパンツ、どこ?」
朝の光が差し込む廊下で、寝ぼけ眼のシリス様が私に問いかけました。
その姿を見て、私は思わず目頭を押さえました。
彼は現在、腰にバスタオルを一・枚・巻いただけの、極めて前衛的なスタイルです。
上半身は裸。
鍛え上げられた腹筋と、白磁のように滑らかな肌が惜しげもなく晒されています。
濡れた銀髪が鎖骨に張り付き、色気の暴力と言っても過言ではありません。
ですが、ここは健全な生活の場です。
露出狂の館ではありません。
「おはようございます、シリス様。パンツなら、庭に干してありますよ」
「庭?」
「ええ。あなたが着ていたものは、全て洗濯機(手動)行きです。汚れがひどいものは焼却処分しました」
私は爽やかな笑顔で告げました。
昨晩、彼が寝た後に確認したのですが、彼のワードローブは壊滅的でした。
カビが生えたローブ、穴だらけのシャツ、そして元の色が判別できない下着類。
潔癖症の私としては、半径五メートル以内に置くことも許せませんでした。
よって、夜通し洗い、煮沸消毒し、今は朝の陽光の下で天日干しにされています。
「じゃあ、僕は何を着ればいいんだ?」
「それを今から調達しに行くのです。布一枚でウロウロしないで、部屋で待っていてください」
「……寒い」
「心頭滅却すれば火もまた涼し、です。あとで温かいハーブティーを淹れますから」
私は彼を強引に自室(綺麗にした寝室)へ押し込み、扉を閉めました。
さて、ミッション開始です。
◇
私は埃っぽい螺旋階段を登り、塔の最上階にある「衣装保管室」を目指しました。
前世の知識ですが、こういう古い屋敷には必ず「捨てられない遺産」が眠っているものです。
かつてここを使っていた王族たちの古着。
流行遅れでも、素材は一級品のはず。
「……ビンゴです」
重い扉を開けると、そこには防虫香の匂いと共に、大量の衣装箱が積まれていました。
「虫食いは……なし。保存状態は良好ですね」
私は手当たり次第に箱を開けました。
出てきたのは、金糸の刺繍が入ったベルベットのコートや、フリルのついたシルクのシャツ。
どれも五十年くらい前のデザインで、少し過剰装飾気味です。
「これをそのまま着たら、ただの舞台役者ですね」
私は腕組みをして考えました。
シリス様の素材(顔と体)は最高です。
余計な装飾は、彼の美貌を殺してしまいます。
「リメイクしましょう」
私は裁縫箱を取り出しました。
幸い、私の花嫁修業スキルと、前世で培った「業務用の補修技術」があります。
男性用のロングコートを広げ、ハサミを入れます。
派手な肩パッドを除去。
金色のフリルを切り取り、シンプルな立ち襟に変更。
ウエストを少し絞って、彼のスタイルの良さを強調するラインに。
チョキチョキ、チクチク。
無心で針を動かす時間は、掃除と同じくらい心が落ち着きます。
整っていく過程に、カタルシスを感じるのです。
しかし、その静寂を破るものがありました。
ゴロゴロゴロ……!
低い地鳴りのような音が、窓の外から聞こえてきました。
「雷?」
顔を上げると、さっきまで快晴だった空が、嘘のように暗くなっていました。
ドス黒い雲が渦を巻き、窓ガラスを叩く風が強まっています。
まるで台風の直撃コースに入ったような急変ぶりです。
「あら、困りましたね。洗濯物が濡れてしまいます」
私は慌てて作業の手を早めました。
山の天気は変わりやすいと言いますが、これでは乾くものも乾きません。
生乾きの臭いだけは、絶対に阻止しなければ。
◇
「できました!」
一時間後。
私はリメイクした衣装を抱え、シリス様の部屋へ駆け込みました。
「シリス様、着替えをお持ちしまし……た?」
部屋に入った瞬間、私は立ち尽くしました。
部屋の中が、暗いのです。
照明が消えているわけではありません。
部屋の隅で膝を抱えているシリス様を中心に、どす黒い霧のようなものが渦巻いているのです。
空気はピリピリと帯電し、肌を刺すような威圧感が充満しています。
「シリス様?」
「……ヴィクトリア」
彼が顔を上げました。
その瞳は不安に揺れ、紫色の光が明滅しています。
「遅い。……いなくなったのかと思った」
「え?」
「服がない。寒い。誰もいない。……また、一人かと思って」
彼の呟きに合わせて、窓の外でドーン!と雷が落ちました。
部屋の中の黒い霧も、より一層濃くなります。
ここでようやく、私は理解しました。
この異常気象。
これは自然現象ではありません。
世界最強の魔術師である彼自身の、「不安」が具現化したものです。
服がないという無防備さと、私が姿を消した(作業していただけですが)ことへの心細さ。
それが魔力の暴走を引き起こし、嵐を呼んでいるのです。
(なんて手のかかる、最強生物でしょう)
呆れると同時に、少しだけ愛おしさを感じてしまいました。
彼は見た目は大人ですが、中身はずっと孤独な子供のままなのです。
私は恐れずに黒い霧の中へ踏み込みました。
私の体質(魔力不感症)のおかげで、彼が放つ重圧も、ただのそよ風です。
「お待たせしました。逃げたりしませんよ」
私は彼の前に跪き、持ってきたシャツを広げました。
「ほら、見てください。あなたのために仕立て直した特注品です」
深いミッドナイトブルーのシャツ。
素材は最高級のシルクで、肌触りは抜群です。
彼は涙目になりながら、そのシャツに触れました。
「……僕の?」
「ええ。さあ、バンザイしてください」
言われるがままに両手を上げる彼に、私はシャツを被せました。
頭がポンと出て、銀髪がさらりと流れます。
袖を通し、ボタンを一つずつ留めていく。
最後に、襟元を整えて完成です。
「うん、ぴったりです。私の採寸に狂いはありません」
鏡を見せると、彼は瞬きをしました。
ダボダボだったボロ布とは違い、体にフィットした清潔な服。
鏡の中の彼は、どこぞの貴公子にしか見えません。
「……暖かい」
彼が袖口を握りしめ、ほぅ、と息を吐きました。
その瞬間です。
サーッ……。
部屋の中に充満していた黒い霧が、嘘のように消え失せました。
同時に、窓の外の轟音も止みます。
分厚い雲が割れ、そこから眩しい太陽の光が差し込んできました。
「……晴れましたね」
あまりに現金な反応に、私は苦笑しました。
彼は気まずそうに視線を逸らします。
「……ごめん。ちょっと、取り乱した」
「いいえ。でも、次は言葉で言ってくださいね。天気を変えられると、洗濯の段取りが狂いますから」
私は窓を開け放ちました。
湿った風が吹き抜け、庭からはハーブの香りが漂ってきます。
どうやら、洗濯物は雨に打たれずに済んだようです。
「あ、そうだ。パンツも乾いている頃ですね」
私が庭を指差すと、シリス様は耳まで真っ赤にして俯きました。
「……取ってくる。自分で」
彼は新しい服の裾を翻し、脱兎のごとく庭へ駆けていきました。
その背中は、最初に出会った時の「死にかけの英雄」とは程遠い、元気な青年のものでした。
「ふふっ」
私は窓辺で頬杖をつき、その光景を眺めました。
衣食住、これで一通り整いました。
さて、そろそろ次の段階――「住環境のグレードアップ」に取り掛かりましょうか。
まだまだ、掃除したい場所は山ほどあるのですから。




