第3話 害虫駆除(物理)と胃袋の掌握
(人間が生きていく上で、衣食住が整ったら次は「食」ですわね)
私はグーグーと鳴り止まない自分のお腹をさすりながら、決意を固めました。
お風呂上がりのシリス様(泥が落ちて美形になったので、少し敬意を払うことにしました)を脱衣所に待たせ、私は厨房へと足を踏み入れました。
「……予想はしていましたが」
そこは、バイオハザードの現場でした。
調理台には正体不明のキノコが生え、鍋の中では何かが独自の生態系を築いています。
冷蔵庫代わりの氷冷魔導具を開けると、異臭と共に緑色のガスが漏れ出してきました。
即座に扉を閉めます。封印です。二度と開けません。
「生物兵器の実験場かしら」
普通の令嬢なら泣き崩れるところですが、私はめげません。
腐敗があるということは、かつてそこに「有機物」があった証拠です。
私は厨房の床下収納に目を付けました。
分厚い木の扉には、保存用の魔法陣らしきものが描かれています。
期待を込めて開けると――。
「ありました!」
瓶詰めです。
乾燥した豆、塩漬けの肉、そして小麦粉の袋。
魔法による防腐処理のおかげか、これらは奇跡的に無事でした。
カビも生えていません。
「豆と干し肉のスープ、それに小麦粉を練って平焼きパンなら作れそうです」
最低限のカロリーは確保できました。
ですが、美意識の高い元伯爵令嬢として、これだけでは不満です。
「野菜が足りませんわ。ビタミン不足は肌荒れの元凶」
私は窓の外、中庭を見下ろしました。
そこは鬱蒼としたジャングルになっていました。
紫色のツタが絡まり、人の背丈ほどもある草が風に揺れています。
ですが、私の目は誤魔化されません。
あの赤い実はトマトに似ていますし、あの葉っぱはホウレンソウの親戚に見えます。
野生化した家庭菜園の成れの果てでしょう。
「ちょっと収穫に行ってきます」
私は厨房の隅にあった錆びたスコップを手に取りました。
脱衣所に戻ると、シリス様がバスタオル姿で体育座りをしていました。
「シリス様、少し庭へ出てきます。食材を調達して参りますので」
「……庭?」
彼はビクリと顔を上げました。
「待て。あそこは危険だ。結界の内部とはいえ、魔素溜まりができて変異種が湧いている」
「変異種? ああ、虫食いのことですね。大丈夫です、虫の付いている野菜はおいしい証拠ですから」
「違う、そうじゃない。僕も行く」
彼は慌てて、私がリサイズして縫った服(元王族の古着)を引っ掴み、着替え始めました。
私を一人にするのが心配なのか、それとも空腹で死にそうなのか。
おそらく後者でしょう。
◇
「……大きいですね」
中庭に降り立った私は、目の前の光景に眉をひそめました。
トマトらしき赤い実は、スイカほどの大きさがありました。
キャベツらしき葉は、雨傘に使えそうです。
この土地の栄養価が異常に高いのか、あるいは品種改良の失敗作か。
「離れていろ、ヴィクトリア」
私の後ろで、シリス様が緊張した面持ちで右手を掲げました。
彼の視線の先、茂みがガサガサと揺れています。
ヌッ、と現れたのは、巨大なバッタでした。
体長は二メートルほど。
緑色の甲殻は金属のようにテラテラと輝き、太い後ろ足には鋭い棘が生えています。
「ギチチチチ……!」
バッタが顎を鳴らし、こちらを威嚇してきました。
「魔獣だ。雑魚だが、数が多い」
シリス様の指先に、青白い稲妻のような光が収束していきます。
空気がビリビリと震え、私の髪が逆立ちました。
「消し飛べ。《サンダー・ボ……》」
「ちょっと待ってください!」
私は慌ててシリス様の腕を掴み、下に向けさせました。
「な、何をするんだ!?」
「何をするのはこちらの台詞です! そんな高出力の魔法を使ったら、後ろのトマト畑まで黒焦げになるではありませんか!」
バチッ、と魔法が不発に終わり、シリス様が目を白黒させました。
「は? トマト?」
「そうです! あそこを見てください、完熟のリコピン爆弾が鈴なりなんですよ! 爆風で潰れたらどう責任を取ってくださるの!?」
「い、いや、でも魔獣が襲ってきて……」
シリス様が言い訳をしている間に、バッタが跳躍しました。
恐ろしい跳躍力で空へ舞い上がり、私めがけて急降下してきます。
「危ない!」
シリス様が叫びましたが、私は冷静でした。
所詮は虫です。
サイズが大きくなろうと、動きのパターンは変わりません。
「畑を荒らす害虫は、即刻退場願います!」
私は手に持っていたスコップを、バットのように構えました。
狙うは一点。
着地の瞬間の、無防備な頭部。
「ふんっ!」
カォン!!
小気味良い金属音が、静寂の庭に響き渡りました。
私のフルスイングが、バッタの眉間(触角の間)にクリーンヒットしました。
バッタは空中で静止したかと思うと、白目を剥いて地面に叩きつけられました。
ピクピクと足を痙攣させ、やがて動かなくなります。
「……よし」
私はスコップを肩に担ぎ直し、残心を行いました。
前世、ゴミ屋敷に湧いたネズミやゴキブリと格闘した日々に比べれば、的が大きい分だけ楽な相手です。
ふと視線を感じて振り返ると、シリス様が口を半開きにして固まっていました。
「……魔法、使った?」
「いいえ? ただの物理打撃です」
「魔法強化なしで? キラーローカストの甲殻を砕いたのか?」
「硬いといっても虫ですから。角度さえ良ければ簡単に潰れますわ」
私は足元の巨大バッタを、邪魔にならないよう茂みの端へ蹴り飛ばしました。
肥料になってもらいましょう。
「さあ、邪魔者は消えました。収穫しますよ、シリス様。そのカゴを持ってください」
「……はい」
なぜかシリス様は、先ほどよりも私の言うことを素直に聞くようになっていました。
怯えているのでしょうか。
失礼な。私はただ、食材を守りたかっただけです。
◇
一時間後。
綺麗になったダイニングルームに、湯気の立つスープの香りが漂っていました。
「お待たせいたしました」
私はテーブルに料理を並べました。
メニューは、巨大トマトと干し肉のミネストローネ風スープ。
そして、フライパンで焼いた即席の平焼きパン。
最後に、巨大キャベツと豆の温サラダです。
見た目は少し不格好ですが、栄養バランスは完璧です。
「……食べて、いいのか?」
シリス様はスプーンを握りしめ、信じられないものを見るような目でスープを見つめています。
「もちろんです。あなたがこの城の主でしょう?」
「僕は……もう何年も、まともな食事をしていない。魔力だけで体を維持してきたから」
「それは不健康の極みですね。さあ、冷めないうちにどうぞ」
促されて、彼はおそるおそるスプーンを口に運びました。
トマトの酸味と、干し肉から出た旨味が詰まった赤い液体。
ごくり。
彼の喉が動きました。
紫色の瞳が、ゆっくりと見開かれます。
「…………味が、する」
彼は呟きました。
「温かい。塩気がある。……野菜の、甘みも」
震える手で、彼はパンを千切りました。
スープに浸して口に入れると、その咀嚼が止まりません。
「うまい」
一言、そう漏らすと、彼は猛烈な勢いで食べ始めました。
ガツガツと、けれどどこか必死に。
空っぽだった胃袋に、生命力が染み渡っていくのが見えるようです。
私は自分の分のスープを啜りながら、その様子を満足げに眺めました。
作り手として、これほど嬉しい反応はありません。
「おかわり、ありますよ」
鍋を持っていくと、彼はハッとして顔を上げました。
口元にスープをつけたまま、どこか泣きそうな、縋るような目で私を見つめます。
「……君は」
「はい?」
「掃除だけじゃなく、料理もできるのか」
「ええ、まあ。独り身が長かったので(前世含めて)」
彼はゴクリと唾を飲み込み、私の手首をガシッと掴みました。
「行くな」
「はい?」
「どこにも行くな。ここにいてくれ。僕のために、毎日これを作ってくれ」
必死でした。
まるで捨てられた子犬が、新しい飼い主を見つけた時のような目です。
世界最強の大魔導師と呼ばれる男が、ただのスープ一杯で陥落するとは。
「……条件があります」
「何でも聞く。国を滅ぼせばいいか? それとも月を落とすか?」
「物騒なことを言わないでください。条件は一つ」
私は人差し指を立てて、彼の鼻先に突きつけました。
「『いただきます』と『ごちそうさま』を言うこと。そして、好き嫌いをしないこと。いいですね?」
彼はコクコクと、首がもげるほどの勢いで頷きました。
「いただきます! 全部食べる!」
どうやら、胃袋の掌握は完了したようです。
私は微笑みながら、彼の皿になみなみとスープを注ぎ足しました。
この城での生活、意外と悪くないかもしれません。




